Far East Lounge 三代目春駒小林一彦オフィシャル 小林一彦イラスト

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2010年08月の日記

移植手術 (2010.08.31)

午前中、執筆業務&当道場にてSさん指導。

午後イチ、クルマでオタマとセガレを駅前の某所に送るついでにキサダにより、愛機「八丁念仏(テイラーの古い方で610)」と、もう何年も倉庫にほったらかしのギブソンJ-50の2本をO店長に預ける。J-50に装着したマグネット式ピックアップ「サンライズ」と世界最高水準のペグとの呼び声高い「ゴトー」を、ごっそり八丁念仏に移植してやろうという作戦。
八丁念仏に付けていた2wayのピックアップシステムは繊細かつド迫力サウンドで気に入ってはいたのだが、演奏中に突然音が出なくなるというトラブルが頻発(いずれもリハではまったく問題無し)。
その都度、原因究明のため楽器店に預けること数回。が、結局理由がさっぱりわからないのだ。おそらくは俺のストロークが強過ぎ、ブレーカーが度々作動しているのじゃなかろうかと。まぁ、安心して使えないモノに出番はない。そこでふと思い出したわけだ、J-50に付けていた「サンライズ」ちゃんを。構造がシンプルでタフでノンバッテリーだし、発売以来25年もの信頼実績がある。610はボディもネックも頑健ゆえ、これに装着すればツアーや野外でも手加減無しで使えるようになるはずだ。タフさでは、オベイション「銀次郎」のほうが数段上なれど、どうしても音がベッタリするからね。
え、J-50はどうするかと?あちこちにガタがきており、リペアには相当額がかかるので、再び永い眠りにつくことになるでしょう。以上、現場からの報告でした。

*写真:我が家の家庭菜園ならぬ「家庭水田」に待望の稲穂がっ!いや、正確には稲の花が無事受粉に成功したばかりのようである(籾からはみ出ているツブツブがオシベです。しかし咲くのが遅い!)。
スイレン用の土が失敗だったようで、葉がいつまでもヒョロヒョロと細く短く、「米は無理か」と諦めかけていたところだったので喜びもひとしお。スズメに食われんようカカシでも作るかね。

舌好調トーク、、、登山ガイドのSさん、、、俺の中のロレンス、、、 (2010.08.30)

午前中ラジオ。
この一週間はカープが珍しく勝ち越ししたのでカープコーナー「コイの手ほどき」も舌好調トーク(笑)。というか、何カ月ぶりかっつーの!

昼イチ、当道場にてIさん指導。
その後は執筆業務やらインターネットラジオの出演交渉。で、ネットラジオのほうは、山岳ガイドでエベレスト登頂経験もあるSさんが快くオッケーしてくださいました。登山のこと以外にも、前に一度、1000m級の山で彼の登山指導を受けたとき(屈折日報2009/12/02「山里の秘密」参照)、現地へ向かうチャーターバスの中で聞いた「例のハナシ」も語ってくださると。どひゃひゃ。面白くなりそうスね。

*写真:西表島でシーカヤックを漕ぐ私。10代後半、リバイバル上映で「アラビアのロレンス」を見て「いつか俺もラクダに乗ってネフド砂漠を旅したい!」と思ったものだ。だが、俺は意外かもしれんが埃っぽいのは嫌いで砂嵐などカンベンしてなのだ。水や食料、テントを積んで彷徨するシーカヤックの海峡横断は、荒漠たる大地を旅する感覚と同じだろう。漕いでいるとロレンスのサウンドトラックが頭の中で鳴ることがある。すべてはコーランに書かれている、すなわち「運命だ」というアリに対し「運命は自分で切り拓くものだ」と応えて、砂漠に消えたガシムを一人で救出に向かうロレンス。実在したロレンスはどんなヤツだったか知らないが、映画の中のロレンスは、いまだ俺のヒーローなのである。

本物はシンプル (2010.08.29)

午前中は、オタマの親族と駅前福屋の某レストランにて食事。

午後より、本を読んだりDVDを見たり。その中のひとつ、ヴィパッサーナ瞑想のメソッドを紹介するビデオは「ああ、なるほど」と納得のいく内容。これを半年前に見たとしても、まるでチンプンカンプンだったかもしれん。今は、この瞑想法が目指す方向、もたらす効果がリアルに理解できるのだ。これもまた、くどいようだがドクター苫米地いうところの「抽象度をあげる」訓練の一つなのだ。宗教も信仰も関係なく、ただ「あるがまま」の自分と対峙する実践的アプローチ。紹介されているシークエンスはあまりにもシンプルで拍子抜けしそうだが、本物は大体がそのセンだ。

*写真:石垣島の「スナック・マヤマヤ」で。3000円で飲み放題、さらに開店3周年記念の泡盛小ビンのお土産つき。

処理能力 (2010.08.28)

予定していた仕事が二日早く終わったので、午前中は道場に籠り、ヨガ、秘伝功、心体育道/捌きの型など、さまざまな修練に没頭。終えたあとは気分爽快で疲労感はゼロ。車で15分の坂ベイサイドビーチでも行って、ひと泳ぎすれば、なおエカッタかも。
でも、海には行かず、午後からは請求書起こしやら資料の処分やら、ひたすら雑務処理。それをやりながら、ふと、昨日一日で書き上げた原稿のことを思う。これからレイアウトだし、書いた内容に関しても代理店さんの手でチェックが入れられるところであるが、膨大な資料やインタビュー録音をチェックしながら、よくあれだけの時間内で仕上がったものだと思う。当HPの「仕事のご依頼」にも表記した通り「質とスピードの両立」には自信がある。それも他の追随を許さないレベルと言うておこう。数年前だったか、某IT関連のパンフ数種類(合計20ページ分)を手がけた件は語りぐさになっている(主に自分で語ってるわけだが。笑)。夕方ヒアリングに出向き、その日の深夜に書き上げてメールで送ったんだから相手も俺も驚いたもんだ。
で、昨日の件。ページ数では及ばないものの、情報処理能力は当時より格段に進化したのではないか。漫然と仕事をこなすのではなく、日々1ミリでも己の限界値を更新すべくフントーしてきた。その成果であれば喜んでいいだろう。

*写真:波照間の「コート盛」。不審船を見かけたら、ここから狼煙を上げて沖合に停泊する琉球王府の監視船に知らせていた。当時の生活はどんなだったのだろう。

逆転サヨナラホームラン (2010.08.27)

終日、火ぃ吹くほどの苛烈さで執筆。夜になってもほとんど休みなくキーを叩き続け、RCCカープナイターで、天谷が巨人相手に値千金の延長10回逆転サヨナラ3ランをかっ飛ばしたのとほぼ同時の10時半、某季刊誌の原稿すべてアップ。来週、もう一冊の季刊誌の取材が1件残っており、この原稿をあげれば<ウヒヒのオヤジ>と化してもイイのである(意味不明)。いやあ、劇的な幕切れであった。しかし、窮地で2打席連続ホームランを打った岩本こそ、本日のヒーローでは無かろうか(野球か執筆かどっちか一本に話題を絞れってばよ)。

*写真:ベランダに置きっぱなしの俺とセガレのビーサンが、日射しに負けてネジ曲がるの図。俺のは周囲のぐるりが上に向かってそり上がり、セガレのほうは横幅が2センチくらい縮んでやがる(笑)。この夏のハンパでない暑さを物語る物的証拠でございます。

早起きの効用、、、自然体、、、 (2010.08.26)

その昔、どっかのCMコピーで「夏は早起き」なるフレーズがあったが、俺もこの夏は早起きな毎日。スタートが速いと、日課の修練も余裕を持って集中してできる。本日も仕事前に、西式3種(金魚運動>>毛管運動>>合掌合蹠運動/がっしょうがっせき)を各1分、秘伝気功15分、それから站椿功〜太極球の操練でトータル30分。「体力」や「根性」などなくても誰でもできるし、効果もはっきり解る。「バイアグラ」が必要な男性も、わずか数日後の朝「奇跡」を目にすることになるはずだ(笑)。

午後より、当道場にてJさん指導。
夕方、大手町にある某企業のミーティングルームに出向き、ヒアリング業務。いよいよ来週一杯で丸2カ月を要した大きなプロジェクトが2つ同時にファイナルを迎える。間を置かず次の案件が動き出すことになるが、今度もまた息を詰めることなく自然体で挑みたい。というか、「自然体」の本当の意味が解ったのも最近のことだ。

*写真:沖縄本島と石垣島を結ぶジェット機。1時間のフライトで、その距離が認識できた。沖縄と八重山はそれぞれ別個の文化圏と見るのが正しい。

掃除機修理、、、疲れ知らず、、、 (2010.08.25)

午前中、調子の悪い掃除機を持って、デオデオ宇品の修理カウンターへ。コンセント部分の接触不良。修理費に6000円かかると。新しいのを買うことも考えたが、オタマが修理して使いたいというのでそのまま預ける。我が家の家電製品のほとんどが結婚以来8年間使用している。ガタがくるならそろそろか。

昼イチ、当道場にてIさん指導。彼女の妹さんも心体育道を習いたいとのこと。こうなりゃとことんいくしかあるまい(笑)。
その後はひたすら執筆業務。残暑とはいえ、昨日あたりから涼しさを感じる。暑さが厳しい夏は、後半になると「もう飽きた。はよ秋きなさい」とボヤくのが常だが、今年はやたら元気。季刊誌2誌の取材で中国地方を走り回り、ライブを4本こなし、毎週ラジオの生番組をやり、長崎や八重山を旅し、広島に居る時は執筆や武術指導に明け暮れているというのに、こんなに疲れを感じない夏は、成人になって初のことである。

*写真:西表島の民宿「南ぬ風(ぱいぬかじ)」前のバス停。バスとはいっても、船会社が運営する無料の島内巡回バスである。帰りのバスの運転手は、ぴんから兄弟の「宮史郎」氏にソックリだった(笑)。

なか勝のうな重、、、マンドラゴラ、、、 (2010.08.24)

終日、福山市で取材業務。
昼食は、広告代理店O氏がオススメの、沖野上町にあるうなぎ専門店「なか勝」にて、うな重を食す。俺は決してグルメではない(玄米と味噌汁が最高の好物)が、ここは愛知県一色産のうなぎに特製のタレをかけ、じっくり炭火であぶったもので、100キロ走ってでも(広島市からの距離)食べに来る価値あり。
取材対象者もきわめて前向きで協力的な方達ばかりで、話が弾んで予定を大幅にオーバー。皆さん、ありがとうございました。

さて、読者諸兄は高木美佳さんという女性をご存知だろうか?広島市在住のヒーリングサウンドクリエイターである。一昨日、9月1日に発売予定の彼女の最新アルバム「マンドラゴラ」を、美佳さんのご好意でリリースに先駆けて耳に出来るという幸運に恵まれた。彼女は「音」というものを通常のミュージシャンではなし得ない表現方法で昇華させる。オーガニックであり、オーガムズであり、狂気であり歓喜でもある。それらが絶妙に絡み合ってヒーリングトリップへと誘ってくれる。
西表や波照間で感じた生命の根源的な奔流に触れてからは、これまで美佳さんが発表した他のアルバム「たまふりオルガン」「アルテミス」「木花佐久夜姫(このはなさくやひめ)」「ニイルピトゥ」も、一層リアルに響いてくるのだ。「ヒーリング=癒し」という言葉には、これまでは少々弱々しいイメージを勝手に持っていたが、彼女のそれには聴いていると魂が錬磨されていくような力強さがある。そして「マンドラゴラ」にはまたしてもヤラレてしまった。美佳さんと、そのご主人であるヒーリングアーティスト高木一行さんのことは、また日をあらためて書いてみたいと思う。

*写真:西表島の民宿「南ぬ風(ぱいぬかじ)」の庭の手製ブランコ。手入れされた美しい芝が広がる庭で飲むモーニングビールは最高(笑)。

熱風街道 (2010.08.23)

午前中、ラジオ。
先週は八重山、先々週は長崎と2週続けて休みをもらったので、かなり新鮮な気分でトーク(笑)。やはり、ラジオという媒体はやってて面白いのだ。
午後、当道場でSさんを指導し、それからはひたすら執筆業務。しかし振り返ってみれば、2カ月以上に及ぶ執筆熱風街道、尋常でない暑さの中で、よくぞここまで歩を進めてきたもんである。というか、恥ずかしいほど元気なのだ。食欲旺盛、ウンコもモリモリ。どっからでも執筆依頼、かかってこ〜い!の心境なれど、ただ、その他のことに充てる時間の捻出はすでに限界で、今夜も誠に申し訳ないことに、PICOでのAKIRAさんライブに駆け付けることは出来なかった。
今週を耐え抜けば、あとはラク、、、、になるのか?

もうひとつエンヤコラ。
オタマからのハナシでは、某女性ピアノ講師とその生徒の小学5年生の女の子が、当道場で心体育道を習いたいと。意欲がある方には、極力対応したい。心体育道の術理を分かち合うのは本望である。特に非力な女性が理不尽な暴力から身を守ることにおいて、この武術ほど実戦性の高いものはないと言い切れる。教える時間がとれるのかって?まぁなんとかなる。

*写真:波照間の海へと続く道は、どこもこんなカンジ。ザワワザワワと風に吹かれたサトウキビが歌っていた。

嗚呼、二日酔い (2010.08.22)

「お久しぶりネ」な二日酔い(笑)。
昨夜は久保も俺も相当酔っており、ラストあたりの記憶無し。

ゲロ吐くほどでもないが、胸焼けがひどくて座ってるのがシンドイ。仕事はあきらめ、夕方までゴロゴロと過ごす。
日が暮れる頃、ようやく復活し、執筆業務開始。異様なハイペースで某会社案内8ページ分の原稿をモノにする。これで明日からの作業がラクになってくれるといいのだが。

*写真:西表シーカヤックツアーの一こま。昨日、久保が高級一眼で撮影した画像データをくれた。ここに写っている俺は、自分で言うのもなんだが、野性味が一段と増したというか、ほとんど「野人」に近い(笑)。一番グッときた一枚を、当HPの夏期限定表紙にするつもり。乞うご期待?!

やしがに兄弟 (2010.08.21)

終日執筆。

夕方より、流川の沖縄料理店「うちなー」にて、久保直樹と、八重山ツアーの打ち上げ。今回もすべての日程において、面白過ぎる旅だった。というか、久保とのタッグ「やしがに兄弟(ちょーでー)」で2001年を皮切りに何度も沖縄に足を運んでいるのだが、その一日一日をはっきり反芻できるのだ。我々の旅は、まだまだつづきます。

*写真:竹富島での「アコークロー(昼と夜の間)」。沖縄本島、慶良間、久高島、八重山は、時間の肌触りが、本土のそれとはまるで違う気がする。

異業種交流 (2010.08.20)

終日、執筆業務。

夕方、市内某居酒屋にて、ヨガ講師Yさん、デザイナーHさんと茶道家である夫君、販促ツールなどを扱う起業家のMさんらと懇親会。なんだか皆さん、職種もバラバラで統一感が無いが、見ている方向でミョーに重なる部分がいくつもあり、それぞれの得意分野を体験レッスンし合うセッションをやろう、ということになった。こういうのを本当の「異業種交流」と呼ぶのである(笑)。

*写真:西表のシーカヤックツアーでは、初めてカレントデザイン(左)に乗った。少し小回りが利かない気がしたが、その分直進性が良く、軽くて安定感もあるので外洋にはぴったりなのだろう。

やればワカルさ (2010.08.19)

午前中、執筆業務。
午後より、FMちゅーピーで某新聞記者さんをゲストに招いてインタビューを収録。
帰ってから再び執筆。

この日報にも何度か書いたことだけれど、年が明けてからのひとつの目標が「思考の抽象度を上げる」ということであった。「抽象的」と聞くと、具体的でない、つまり「曖昧で不明瞭なイメージ」を抱くが、「思考の抽象度の高さ」とは、1次元的あるいは2次元的な幅の狭い視点を捨て、高い次元から物事を立体的に観て考えるということであると、俺は認識している。地磁気に反応する方位磁石(コンパス)と、上空を飛ぶ複数の衛生から情報を得るGPSの差といえばわかりやすいか。抽象度の高いGPSなら誤差が少ないうえ、ほかの機能と組み合わせることで、さまざまなデータが入手できるのだ。
「抽象度を上げる」ということを広く提唱している苫米地英人さんの著作にあった方法(秘伝功もそのうちのひとつ)をいくつか実践して8カ月。ようやく「これだったのか」と。結局「抽象度を上げる」という意味の本当の理解は、実際に抽象度が上がってみないとわからないのだ。

*写真:八重山2日目の西表島の民宿「南ぬ風(ぱいぬかじ)」から眺めた夕陽(クリックすると少し大きくなります)。こりゃどう見ても日本国内に思えんでっしゃろ?! こういう非日常パラダイス空間に身を置くことも、抽象度を上げる手助けになる。

すんなり復帰 (2010.08.18)

終日、執筆業務。
午後、某広告代理店担当氏が来宅し、来週の取材の打ち合わせをしたのだが、帰りにあやうくスーツケースを置き忘れるところでした(笑)。皆さん、暑さで参ってらっしゃるようだ。
沖縄から帰ると頭がボケてしまい、社会復帰するのに4、5日かかるのが常なれど、今回は問題無し。それどころか、パワーが漲っている。「八重山エキス」の原液100%が体内を巡っているさぁ。

*写真:初日の石垣島のバー(マヤマヤに行く前に寄ったオシャレな店)にて、久保直樹撮影によるGショック「イルクジモデル」。2001年、久保と那覇〜座間味シーカヤック横断をやったとき腕に巻いていたもので、当時は「バスクリン」のような派手過ぎる蛍光グリーンだったのだが。バックライトだけは、あの頃のまま。親子のマンタのシルエットが浮かびます。ちなみにタイドグラフ(潮汐)は、石垣港にセットして出かけた。西表、竹富、波照間でも、ほぼ同じで役にたった。

いきなりの日常 (2010.08.17)

いつものように6時半起床。
「昨日まで八重山を浮浪しとったのが、どうにもピンとこんで」と何度も独りボヤきつつ午前中は企画業務。
昼前より当道場にてIさん指導。
午後、市内の某企業を広告代理店担当者さんと訪問。
いきなり「いつもの日常」ではあるが、これはこれで面白い。俺は好きでやっているんだし。心の中には、八重山の青い空と海、満天の星、色とりどりの花が揺れてるし。

*写真:竹富島の水牛さん。あまりの暑さに、頭の上に「氷」を載せてもらっています。

八重山巡礼5日目:そして旅はつづく (2010.08.16)

竹富島でもっとも歴史の古い民宿「泉屋」の離れで、爽やかに起床。昨夜、近くのお洒落なカフェバーで飲み過ぎ、そのまま小一時間ほど爆睡してしまうという失態を犯したというのに、酒がまるで残っていない。というか、八重山入りしてほぼ一日中飲んだくれていたはず。この暑さだ、飲んだ端からアルコールが揮発したのかも?

昼前に高速艇で石垣島へ戻り、飛行機を乗り継いで広島には夕方帰還。
今回の旅もまた、小学校の同級生にして永遠の遊び仲間、久保直樹の存在無くして実現出来なかった。「一度八重山へ行ってみたい」という俺のリクエストに、ルートのチョイスから飛行機チケットや宿の手配まで、バカみたいに忙しかった俺に代わって奔走してくれたのだ。そうやって、はじめて訪れた八重山4島は、どこもサイコーに面白く魅力的で、これからの俺の生き方や音楽にも、少なからず好影響を与えてくれそうだ。また行こうじゃないの。よろしゅう頼む。

*写真:私も現地の海人(うみんちゅ)と見まごうばかりに日焼けしてしまいましたとさ。

八重山巡礼4日目:波照間の世間師、、、ファイナルセッションin竹富島、、、 (2010.08.15)

波照間の朝。お世話になった民宿「うるま屋」のチェックアウトを済ましてから、通りを挟んで向かいにあるフクギに囲まれたオープンカフェテラスで久保とセッション。でかい声出すだけが歌ではない。木立を吹き抜ける風に同調してとけ込むように囁くも、いとおかし。
その後、うるま屋のオヤジさんとしばし話し込む。
彼は若い頃、外国航路の船員として世界中を旅したらしく、たいへんな物知りで驚く。山口県の周防大島では、島を離れ広い世界を奔放に巡った者を「世間師(しょけんし)」と呼んで讃えたそうだが、この60半ばのオヤジさんも経済、食べ物、文化、はては「女性」まで豊富な見識を備えており、聴いてて勉強になった。八重山の小さな離島の住民を、俺の中で勝手に「素朴な人々」と思い込んでしまっていた部分もある。また会いに来たい人ができてしまった。

昼前にまたまた石垣へ戻り、そこから高速艇で10分の竹富島へ。
ここはまた、小さな島全体が「沖縄古民家のテーマパーク」のように赤瓦の美しい町並みで整然と統一された希有なエリア。珊瑚が敷かれた真っ白な道を、観光客を乗せた牛車がゆっくりと行き交う。石垣には原色の花が咲き乱れ、人工的なノイズはほとんど聞きとれないほどの静寂が包み込む。都会の若い女性には相当にウケが良さそうだ。しかし、西表を覆う手つかずのジャングルや、波照間のあっけらかんと突き抜けた空間を体験した後では、やや薄味な感もあった。
夕方、久保と楽器を持って西桟橋へ行き、水平線に没する陽を見ながら、このツアー最後のセッション。群青の空に月や星も輝き、俺らの音も導かれるように気持ちよく広がっていった。

八重山巡礼3日目:日本最南端でシャバダバダ (2010.08.14)

午前中、高速艇で石垣島まで戻り、そこから波照間島行きの高速艇に乗り換える。八重山諸島のどこへ行くにしても、一度この石垣島の離島ターミナルに戻らねばならんのだ。
べた凪の東シナ海(こんな日は年に一、二度しかない、と地元のオジイも驚いていた)を60kmほど南西に走って、日本最南端の有人島、波照間島にタッチダウン。「果てにあるウルマ(珊瑚礁)に囲まれた島」が縮まって「はてるま」になったという。「柿のタネ」を思わせる楕円形の平坦な島で人口は約500人ちょい。12月から6月までここから眺めることの出来る「南十字星」目当てに訪れる観光客も多いようだ。

本日の宿「うるま屋」に荷を投げると、海パンに着替え、冷えたオリオンビールを詰め込んだアイスボックスをレンタルチャリに積んでニシ浜ビーチをさらに南へ下ったところにある、ひと気の無いビーチへ。10年前、久保はシーカヤックツアーでこの浜へ上陸しテント泊をしたらしいが、翌年島内のある場所で観光客の若い女性が殺害される事件が起こり、以降、キャンプは全面禁止となっている。心ない輩のしでかしたアクシデントで楽しみが奪われるのは寂しいことだが、人が立ち入らないことで環境が守られる例も少なくない。判断の難しいところだ。
この浜は沖の潮流が速いため遊泳禁止区域なので、オリオンビールを手に水深40センチ程度の浅瀬にプカリプカリと浮かんでみる。嗚呼、なんという至福!!!!「夢見心地」とはこういうことを言うのであろう。「なんかしらんが、すべて良し!」と宇宙丸ごと肯定したくなる気分。

八重山巡礼2日目:西表島で野生の洗礼 (2010.08.13)

昨夜「マヤマヤ」でけっこう飲んだはずであるが6時ちょうど、爽やかに起床。
7時半、天ぷら屋「はっちゃん」の向かいにある離島ターミナルから西表島・上原港行きの高速艇に乗船。沖縄県内では本島に次いで2番目に大きい島なれど、その9割は急峻な山岳地帯。というか、ほとんど「ジャングル」であるそうな。
高速船が島に近づくにつれ、それがハッキリと理解出来た。沖縄本島や、その周辺の離島で見た、どこかのんびりした植生とは根本的に違う荒々しさ。上陸すると、それら植物の猛烈な草熱れに目眩をおこしかけたほどだ。

さて、西表島での目的はシーカヤックだ。広島出身の友人でシーカヤックガイドのシンペイがここに家族で移り住んで3年半。彼のデンワによる指示で、港から船舶会社が運営する巡回無料バスに乗って終点の小さな港町「白浜」で下車すると、中近東の人っぽい顔立ちから「モハメド・シンペイ」と呼ばれていた彼がカヤックを4艇ルーフに積んだワンボックスカーのハンドルを握りニコヤカに登場。っつーか、異様なほど日に焼け、ますますナニ人かわからん状態(笑)。
「今日のツアーは、神奈川からの夫婦と合わせてゲストは4人です。全員シーカヤックのベテランなので、細かいブリーフィングはナシ。じゃ、行きましょうか」
ご夫婦サンはタンデム艇。シンペイ、俺、久保はそれぞれシングルに乗り、べた凪に近い海面へ漕ぎだす。リアス式海岸のように凸凹と入り組んだ入り江を漕ぐこと1時間。急に幅が狭くなったと思ったら、両岸にビッシリと幾層にも生い茂ったマングローブ。いつのまにか「川」を遡行していたのだ。やがて滝の音が聴こえはじめ、突然開けた視界に小ぶりだが勢い良く落下する2本の滝。これこそが、シーカヤックに乗ったまま滝くぐりが出来るという西表名物「水落滝」だった。俺もおっかなびっくりトライしてみたが、数人のオトナに踏んづけられるほどの衝撃。まさに西表の洗礼なり。
そこから一旦湾に戻り、小一時間ほど漕いで外洋へ抜けると、ジャングルからうってかわり今度は一面グランブルーの珊瑚礁だ。しばし頭が混乱。おかしな言い方だが「大自然のテーマパーク」のようである。
無人のビーチに上陸して昼食後、再び外洋を漕ぎ、3時あたり目的地の干立(ほしだて。「星立」とも書く)のビーチに到着。
「ほれ、そこが今日の宿泊場所ですよ」とシンペイが指差す先に、民宿「海の家・南ぬ風(ぱいぬかじ)」があるではないの。上陸して徒歩20秒でチェックイン(笑)。

夜は、久保と楽器を持って、南ぬ風から歩いて10分ほどの橋の上で、星を見上げながらセッション。地名は「星立」のほうが正解ではないか、それほどの凄まじい数の星が満点の夜空をびっしり覆いつくし、ギンギラギンと派手にまたたく。ジャングルから発せられる、聴いたことも無いさまざまな生物の鳴き声が俺らの演奏に面白い即興ハーモニーを加えてくれ、得難い野外ライブとなる。っつーか、こんなステージ、街なかじゃ絶対無理でしょうが(笑)。

*写真:俺の艇からの撮影。正面にガイドのシンペイ、左は神奈川から参加のご夫婦。アウトドアのプロばかりのパーティーだと、互いに気を使わなくてもいいのでホンマにラクでした。

八重山巡礼1日目:石垣島の招き猫 (2010.08.12)

本日より、盟友、久保直樹との4泊5日八重山ツアースタート。
石垣島、西表島、波照間島、竹富島の4島を、1泊ずつ順繰り回る。「八重山」一口に言っても、民俗や自然環境は島それぞれ大きな違いがあり、その希少性および多様性を我が肉体でもってダイレクトに感じ取りたいというのが周囲に喧伝していた主たる目的であったはずだが、那覇から乗り継いだ飛行機が石垣島に到着するやいなや、久保と広島空港を発ってからすでに3度目となる「乾杯」をしたあたりから「南の島で飲みたかっただけ」というホンネの部分のみがむき出し全開となる(笑)。
まぁいいか。
空港からタクシーで5分の「ベストイン石垣」にチェックインして荷を投げておいて、まずは10年前、久保が八重山シーカヤックツアーでこの島を訪れた際「抜群に美味かった」という離島ターミナル前の天ぷら屋「はっちゃん」を訪ね、港を臨むオープンテラスで早めの夕食。お目当ての「マグロの天ぷら」は、随分前にメニューから無くなっており久保は残念がっていたが、現在口に出来るメニューもなかなかの味で俺は充分満足。
日没後、市内繁華街へ。「どうせなら観光客向けでないB級の飲み屋へ行ってみよう」ということで意見が一致。そこで場末っぽい裏通りを歩いていると、ケイタイで話し中の60前後のオバチャンと、うっかり目が合ってしまう。オバチャン、ケイタイを耳に当てたまま、俺らに向かって激しく「オイデオイデ」。その必死なしぐさに大笑いさせられ、誘われるまま入った店が「マヤマヤ」。八重山方言で「ねこちゃん」を意味する店名なれど、ママさんはかなりの老ネコ(失礼)。俺らをオイデオイデした女性は最近バイトで入った新人さん。店内がたくさんのお祝いの花や観葉植物で飾られている理由を訊くと「ウチはやっと開店3周年記念を迎えたばかりさぁ」とのこと。ママさんは石垣出身だが、東京暮らしが長かったそうだ。この歳になって(再び失礼)、生まれ故郷に戻ってバーの店主になるなんて、どんな背景があるのかは知らないが、笑顔の絶えない超熟女ネコには、不思議なパワーが満ちていた。このまま100歳超えても店を続け「妖怪マヤマヤ」を目指して欲しい。3000円で飲み放題。しかも「祝3周年」とラベルの貼られた泡盛の小ビンを1本ずつ、お土産にもらっちゃいました。いきなり面白過ぎる人物に出会ったことで、明日からの旅にも期待が持てるというものだ。陽気&妖気があふれるネコおばちゃんたち、これからもお元気で。マジで楽しかったですよ。

*写真:石垣島の街路樹は、フツーにバナナだったりする。もちろん実もなってます。地元の方によると「今年は台風が少ないから豊作さぁ」ということです。

ツアー準備 (2010.08.11)

午前中、墓参りで市内4カ所を巡る。
10時より、当道場にてSさん指導。
午後から通常業務&明日からの八重山ツアーの準備。長崎の水辺の森コンサートを中止に追い込んだ台風4号氏が、またしても俺の行く手を阻むのかと焦ったが、どうやら氏は少し早めに日本海側を抜けてくれるようである。
日程は以下の島へ一泊ずつ。
12日/石垣島
13日/西表島
14日/波照間島
15日/竹富島
できればすべての島のビーチで「星の波間に」「月の下ジントヨー」「はてのうるまの祈りうた」「アカバナー」「愛しいひとよ」などを歌いたいス。

そうそう、昨日不思議なことがあった。
帰りの新幹線「のぞみ」で、広島まであと5分くらいの時だった。ふと出し抜けに「阪神の城島が近くに居る」のがわかった。ことわっておくが、俺は彼の野球選手としての並外れた能力をしっかり認識しつつも、決してファンではない。阪神だから(笑)。はたして、数分後、のぞみから降りて改札に向かう俺の目の前を、ラフな格好の城島クンがホントに歩いていたのだ。同じ新幹線に乗っていたかどうかは不明。ただ、間近で見た彼は「ほう」と思わず唸るほどの強い何かを放射していた。「オーラ」という言い方は軽々しく使われ過ぎて好きではないが、ある種の人間は、常人が持ち合わせていないエナジーを纏っているのだろうか。
それから俺も、気功の小周点が出来るようになって「気配」に敏感になったのも確かなのだ。
疾走する中年 (2010.08.10)

朝7時、長崎駅近くの某ビジネスホテルの一室で、もっさり起床。今回は「歌うだけ」が目的だったが、次回、時間をたっぷりとって観光したい。
9:15長崎発の、昨日と同じ高速バス「九州号」に乗り込んだはいいが、昨日に続く高速道で発生した事故の影響で博多の手前で大渋滞に巻き込まれる。いや〜な予感。「11時32分着予定が10分前後遅れるおそれがございます」と運転手のアナウンス。42分に着けば12時ちょうど発の「のぞみ(指定席をとっていた)」には間にあうだろう、と余裕をかましたのもつかの間、渋滞はなかなか解消されず、終点の博多駅前に着いたのはナント11時56分!「駅前」とはいえ、駅は大通りの向かい側で、さらに新幹線ホームまでは相当の距離があったのを昨日チェック済み。やるだけやるか。ザックを背負い、両脇にウクレレとギターをしっかと抱き込んで、青信号を合図に出力全開全速前進!!!!
人ごみでごった返す長い構内を「ハウルの動く城」と化した47の中年男が忍者のように駆け抜けられたのは、心体育道の奥義「十二式ステップ」のおかげであろう。てなわけで発車1分前に無事ヘッドスライディングを決めましたとさ。

さて、自宅に帰り着いてPCメールをチェックすると、たった一日広島にいなかっただけというのに、山のような難問が(笑)。明後日からは、また旅の空だ。よかろう、ギリギリまで受けて立ちましょう。
長崎はやっぱり雨だった (2010.08.09)

6:49広島発のこだまで、まずは博多へ。そこから高速バス「九州号」に乗り換え、長崎を目指すも、九州高速道に乗った途端、乗用車3台の玉突き事故により、大渋滞。長崎に着いたのは定刻より1時間オーバーの12時過ぎ。
で、長崎はやっぱり雨だった(笑)。しかも強い風を伴っているのは沖縄あたりにいる台風4号の影響だろう。7日から長崎入りしていた田口ランディさんとホテルで落ち合い、彼女の案内で「水辺の森コンサート」の会場となる長崎水辺の森公園へ行ってみると、コンサートはすでに中止が決定され、機材の撤収が行われていたので俺も手伝う(笑)。遠路はるばる自腹で歌いに来たのに、着いてすぐ撤収作業でも落胆しなかったのは、雨の中、傘もささずズブ濡れになりながらもジョークを飛ばし賑やかに手を動かす若い男女のボランティアスタッフを見れたから。また、予想はしていたが、雨天中止の場合の屋根つき代替会場もちゃんと準備してあった。そうこなっくっちゃ。

夕方、思案橋横丁(元は遊郭があったとか)にある、そのリザーバー会場「ワインバー田舎(いなか)」へ。異国情緒たっぷりの迷路のような細い路地を辿って、ギター、タイコ、キーボード、アコーディオンを担いだミュージシャンが続々と集まってくる光景は、ランディさんの表現を借りると「まるで上等のロードムービーの一場面」のごとく感動的なシーンであった。確かに。
今年3回目となるこのライブイベントは、地元長崎以外にも九州全域、遠くは四国(高松のちとっちゃん)や関東からプロ・アマ混在のエントリーがあり、今後のさらなる広がりの予感を感じたし、なにより粋な心意気と遊び心を持つミュージシャンがこんなにもたくさん居ることが嬉しかった。
さて、本番。もちろんランディさんも一緒だ。
俺のライブでは、たぶんこれまで一度も経験の無い「その男ヨシオ」からのスタート。正直に言おう、力み過ぎちゃいました(笑)。広島に続いて人類史上2回目の原爆が長崎に投下された日に、ここで歌えるとは、きっとヨシオじいちゃんの引き合わせに違いない!」と思えば、張り切るなという方が無理なのではありますまいか。2曲目「夫婦蛸(リクエストです)」で少し持ち直し、3曲目のランディさんとの共作「Be Free」は、二人のハーモニーの掛け合いもキマリ、反応よし。ラストは「ひかりのうた」だったが、後半に「長崎」という歌詞が出てくるあたりで再び暴走(笑)。俺もまだまだ青いス。早くも「来年リベンジ」を決意する俺であった(笑)。

*写真:ライブ終了後はヨットハーバーに面したお洒落スポット「出島ワーフ」にてランディさんとその友人知人でささやかに打ち上げ。嗚呼、こうして長崎初夜はふけゆくのであった。

耐熱ギター? (2010.08.08)

午前中、オタマの親族の墓参りで、呉〜海田の墓地をハシゴす。昨日立秋を迎え、わずかながら空が高くなったような気配。セミもクマゼミやニィニィゼミから、アブラゼミ、ツクツクホーシにシフトしつつある。

午後、雑務&明日の長崎ライブの準備。当初、ギターはバックパッカー用「ウルトラライト」を持って行くつもりであったが、これだと生音が出ないわけで、田口ランディさんとの会場脇での事前プチリハが出来ないと判断し、オベーション「銀次郎」にチェンジ。シルバーの吹き付け塗装が荒々しく施してあるこのギターは「へぇ〜!こりゃまた変わったカラーリングですね」と珍しがられることが多く「でしょ?耐熱耐火塗装の野外仕様モデルですからね、120度までオーケーです」と言うとすごくビックリしてくれる。もちろんウソなのだが(笑)。っつーか、随分前「いざとなればナベにも使えるんですよ」と言うたらマジに受け取った女性がおったなぁ。うぶなひとをからかってはいけません。

人である前に、動物なのだ (2010.08.07)

終日、デンワによるインタビュー&執筆業務。
7月に入ってから、取材、執筆、ライブと毎日フルスロットル状態が続いているが、その割にはやたら元気である。ストレスもほとんど感じていない。「一日も欠かさず武術やらヨガやら気功やら、意志が強いんですね」とよく言われる。これは「体が求める」からやれているんであって、俺に特別な根性があるとは思えないのです。

夜、TVの報道系番組で、2人の子供を部屋に閉じ込めたまま餓死させた若い母親の特集。コメンテーターは口を揃え「許せない」「理解しがたい」と繰り返すばかり。以前、海外の某大学の研究チームが飼育ケースの中に適正な生息キャパを大幅に上回るネズミを入れてみたそうな。すると、しばらくしてほとんどのネズミが異常な行動をはじめたと。子殺し、育児放棄、同性愛者、未成熟なメスをレイプする者etc。この地球上に生きとし生けるものは、すべからく種を存続させるためのシステム=最後の切り札を持っている。最近、クジラの大集団が、浅瀬に乗り上げて大量死する事件が世界中で起こっているのも「増え過ぎたことによる自殺」の可能性が高いと俺は見る。人間とて、例外ではない。年々増加する自殺、児童虐待、性倒錯、子供をほしがらない夫婦、巣立てない若者。これは種の保存のための地球規模のシステムが作動しているからであって、価値観や倫理観ウンヌンで語れるものではない気がする。
子を持つ親として、今回の事件は俺とて耐え難くつらいものだが、親を糺弾してもまったく意味が無い。まず、その背後にあるものに眼を向ける勇気を持ちたい。人間である前に、動物なのだ。

そのときヨシオが眼にしたもの (2010.08.06)

午前中、ガッツリと通常業務。

夕方は西区の「行者山 太光寺」で開催の「Peace キャンドルライブ」にFarEastLoungeで出演す。オリジナルメンバーに加え、マクちゃん、アサミちゃん、ヨーコちゃん、チッチ、久保直樹らパーカッション部隊も緊急エントリーし、瀬戸内海を臨むロケーションも相まって、声も魂も気持ちよく吹け上がる。特に「その男ヨシオ」はトルネードのようなメンバーの弾き出す超絶気流の渦に巻き上げられ、昨日にも増して凄まじい演奏となった。この高台から左手眼下には広島市内が広がっている。65年前の今日、ここからの光景はどのようなものだったのか。ヨシオの手記には<キノコ雲>がこう表現されている。

「パッと眼に入ってきたのは広島の市街である。
いや、正確に言えば市街ではない。市街の方角で、その上空にかかっていた五色の雲である。
思わず見とれてしまう。なんとその色の奇麗なことよ!
西方浄土からの御来迎の雲、紫雲といわれるものもかくやと思われたことであった」

この直後、彼は妻(初代春駒)、寝たきりの母親、兄弟、親戚、友人が居る中心市街地が紅蓮の炎に包まれて行くさまを見ることとなる。たぶん、「ヨシオ」を歌っている最中、左手側に眼を転じたとき一瞬ではあるが彼の思念が65年の時空を超えて我が脳内ビューへ投射された感覚があった。ジイちゃんよ、俺が小4のときに逝ったジイちゃんよ、これからもパワフルに歌わせてもらいます。

さて、この日はライブだけでなく、ヒーリングセッションや、スピリチュアル系物品販売なども行われていたのだが、その中に、最近ちょっと気になっていたヒーラーの杉本錬堂さんを発見。面識は無いが、先日出し抜けに彼のHPを見ており(経緯不明)、掲載されていた写真(ピッコロ大魔王にソックリ。笑)からすぐ本人と直観。しかも友人チャオさんの師匠だということもわかり、紹介してもらった。あっけらかんと気さくな方で、我々のライブも楽しんでもらえたようだ。主催者の一人で受付をしていたナカタニ女史とも「うんこネタ」で盛り上がるなど、なんとも鳥山明的に楽しいイベントであった。

おっと、盟友。田口ランディさんの8月7日付けブログに「その男ヨシオ」の歌詞が掲載されているので、よかったら是非。ランディさんありがとう。9日は長崎で彼女と一緒に歌います。
http://runday.exblog.jp/

それぞれの想い (2010.08.05)

午前中、執筆業務。

計4ページ分の原稿を広告代理店担当氏に無事送ってから、午後は横川フレスタの屋外イベントスペース「カジル」で開催の「Each feeling2010」に出演(このイベントの趣旨等は当サイト「Live 36.5」参照)。イベント主催者のシンガー兼女優の玉城ちはるさんと、障害者アスリートの永野明さんの呼びかけで、広島のミュージシャンの他、ジャズギタリスト杉本篤彦さんや、ショーロクラブの沢田穣治さんら、ビッグネームも参戦。
と、リハを終えて控室で寛いでいると、某スタッフから「梶山シュウさんが1Fでウロウロしていた」との情報がもたらされ、即座に「よし、出てもらおうじゃないの」と決意。果たして会場に駆け付けると、居りました(笑)。たまたまチャリで通りかかっただけらしく当然ベースを持ってきていないので、ウッドベースを中野力氏より貸してもらうことにし、主催者にも出演許可を得て、いつものように曲も決めずにヤツと二人、ステージに上がる。
梶山、ウッドベースを触ったのが20数年ぶりとは思えぬほどのスーパーテクでぶっとい弦をこねくり回し、鬼気迫るグルーブ。俺も脳天蹴飛ばされたように着火し、炎天下のガチンコ演奏(笑)。いや、おもろかった。昔、梶山とパンクイベントに出たことを思い出したでよ。当時、コワいもの無しだった俺らの勢いそのまんまだった。
杉本篤彦さん、玉城ちはるさん、沢田穣治さんのステージも素ン晴らしいパフォーマンス。玉城さんは、神がかっていた。こういう女性こそ<ディーバ>というのであろう。っつーか、ある種の霊力を備えてこそ、この呼称が許されるのではないか。
ライブ終了後は杉本さんから嬉しいオファーもあり、なんだか手応え充分のイベントだったよ。声をかけてくれた生駒さん、感謝です。

便秘知らず、、、オーバーヒート防止策、、、 (2010.08.04)

今日も元気だ快便だ。朝、トイレに腰を下ろすと、いつものようになんのストレスもなく「スルッ」と産み落とされる巨大なブツ。直後、脳裏に「別れの一本グソ」なるフレーズがヒラめき、トイレ内でひとりウケる。「便秘」という感覚がまったくイメージ出来ない俺は幸せなのだろう。

終日、怒濤の執筆業務。クーラーが好きでないので、頭上のシーリングファンを「強」にして凌ぐも、夕方ふとMacを触って、その尋常でない熱さにビックリ。野獣の俺が耐えれても機械にゃ酷のようである。このままではヤバイ。放送局や映像プロダクションでは高価な機器に負担がかからないよう夏でも震え上がるほど冷房が効かされている。当オフィスも明日からはクーラー使用もやむを得んですかのう。

照明器具、、、カープ三省寮、、、 (2010.08.03)


午前中、執筆業務。西式>>秘伝功>>ヨガという春駒式チャンプルー鍛錬を約30分みっちりやってから取りかかるので、脳の立ち上がりがすっごく速い。もちろん身体の調子も文句ナシ。

午後、某季刊誌の取材で市内西区にある照明器具ショップさんを訪問。コーディネートしてくれた
Iさんの嗅覚は期待以上の超感度で、今回もまた発見と感動の連続。照明の世界は実に面白いス。営業中とゆうのに、こちらの要望を受け入れてテキパキとセッティングしていただいたライティングプランナーのTさんもカッコイイ女性でした。おかげでグレードの高い誌面が構成出来そうです。

そうそう、本日3日付の中国新聞朝刊25面の真ん中にカープ三省(みささ)寮閉鎖の記事があるが、どういうわけか、達川光男氏に対する俺のコメントも載っているんでお見逃しなく。ちなみに俺の仕事はちゃんと「自営業」になってます(笑)。ちなみに三省寮の由来だが、この地のもともとの名前「三篠(みささ)」に「三度、省みる」つまり「日々反省しつつ心技体を磨く」という心構えが込められたものらしい。カープ黄金期を支えた名選手のほとんどは、ここから育っているのだ。

歌の種まき、、、飛び込み営業、、、 (2010.08.02)

午前中、ラジオ。
電話ゲストで、沖縄生まれで広島育ちのシンガー&女優の玉城ちはるさん登場。5日に横川フレスタのカジルで開催される「Each feeling2010」のPRをしてもらう。当日は俺もソロで出演するので時間ある方はぜひ(詳細は当サイトのライブインフォメーション「LIVE36.5」参照)。
このイベントにはノーギャラでの出演である。玉城さんはじめ、障害者プロレスラー永野明さんなどスタッフと出演者の姿勢を粋に感じたからだ。というか、今後、純粋に「歌うだけ」のオファーにも積極的にこたえていくつもり。まず声を出さねば。存在を知ってもらわねば。俺はまだ、種まきの段階である。

昼イチ、某中堅広告代理店にて営業担当氏と打ち合わせ。この方、いまだに「飛び込み」つまり、アポ無しでの突撃訪問を自主的に敢行されているとか。理由は「そのほうが面白いから」。マジで営業の鑑である。広告業界の暗黒時代がいわれて久しい。が、このような御仁がいれば、今までとは違う新しい地平が拓かれるような気がするのだ。やはり最後にものをいうのはポジティブな人間力ではあるまいか。

魂の波打ち際 (2010.08.01)

日曜日?あ、そう。みたいなカンジで終日執筆業務。

四方八方にめぐらせた開口部から風が吹き込んでくるので、どうにかエアコンかけずにやれているが、それでも気がつくとかなりの汗。NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」で、向井 理扮する水木しげるが、春夏秋冬、昼夜ぶっ通しでデスクにへばりついて猛然と描きまくっているのをみると「負けられんなあ」と気持ちが奮い立つ。俺も「魂の波打ち際」に立ち続けますとも。などと言いながら夕方たまらずゆめタウンへ涼みに。しかし、今まで見たこと無いほどの凄まじい人の密度にはじき出されて退却(笑)。皆さん、他に行くとこないんかい!!(そーゆー自分もそうだろが)

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