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三代目春駒 小林一彦 プロフィール
1962年10月25日広島市生まれ。母方の祖父「ヨシオ」は日系ハワイアン2世。その妻であり戦前まで芸者として活躍していた祖母「春駒」の芸号を屋号として使用。活動は「コピーライター・ナレーター業」「音楽活動」「武道」の3つのステージに区分しています。

Stage:1 コピーライター・ナレーター
Stage:1 コピーライター・ナレーター1988年/「ロックバンドのボーカリストとして正しい日本語の発声を知っておきたい」という理由で、某TV局運営のアナウンススクール基礎科へ入校。現役アナウンサーの講師から「声がいい」とホメられ、専攻科にも進む。修了後、ナレーターデビュー。以後、現在まで年20本平均でTV・ラジオのCM、企業や商品のPV(プロモーション映像)ナレーションを担当。
1992年/まったくの思いつきで広島市内のデザインプロダクションにコピーライターとして入社。
1994年/市内の別のプロダクションに移ると同時に大きなプロジェクトに就かされ、激務に明け暮れる。この頃より、広告賞もいくつか受賞。
1999年/ヒラのコピーライターから、チーフコピーライターに昇格。
2000年/応募者760人の中からオーディションで選出され、コミュニティFM「ひろしまPステーション76.6MHz」の2時間生番組「そるそるチューズデー」のメインパーソナリティーとなる(2005年終了)。
2004年/スタッフが増えルーティンワークと化しつつある業務に疑問を感じ、デザインプロダクションを退社。フリーランスのライター、コンセプター、ナレーターとしてマルチな活動を開始。
2007年/ひろしまPステーションの新番組「口八丁手八丁」の金曜日メインパーソナリティーtoco嬢のサブパーソナリティーとしてラジオ復帰。
2008年/個人プロダクション「オフィス春駒」を立ち上げる。
Stage:2 音楽活動
Stage:2 音楽活動中学時代/ボブ・ディラン、ボブ・マーリィ、豊田勇造に影響を受け、ギターを持ってオリジナル曲を歌いはじめる。
1980年頃/高校卒業と西日本各地でストリートライブを敢行。
1983年頃/ロックバンド「NO-SIDE」結成。
1986年頃/ロックバンド「southside avenue band」結成。西日本ツアーを数回実施したほか、コンテストにも出場しいくつか受賞。
1991年/広告デザイン事務所に就職し、音楽活動休止宣言。しかし数ヶ月後にはソロで活動再開。
1998年/かつての相棒である梶山シュウ、水木ツンと自然発生的に「FarEastLoune」結成。この頃より、アコースティックギターではなく、ウクレレを多用するようになる。
2001年/ライフワークであるシーカヤックで、人生初の海峡横断となる沖縄那覇〜座間味60kmツーリングを親友と二人で敢行。この経験がきっかけとなり、沖縄の島唄に深く傾倒。
2002年/沖縄で作った4曲を収録したマキシシングル「その男ヨシオ」(沖縄限定バージョンのタイトルは「テビチ記念日」)を自主制作。芸者である祖母の号を勝手に襲名し「三代目春駒」と名乗る。
2004年/ウクレレ一本による第一回目の沖縄ライブツアーほか、西日本各地でライブを実施。
2007年/FarEastLoungeに椎名まさ子が新加入。また、梶山シュウ、椎名まさ子、久保直樹の4人で沖縄限定ユニット「やしがに兄弟」を結成し、沖縄2カ所でライブ実施。
Stage:3 格闘技・武道
Stage:3 格闘技・武道 1978年/高校入学と同時に、空手部(松濤館空手)に入部。同時に極真空手芦原道場広島支部(現・芦原空手)にも入門。
1992年/某実戦太極拳道場に入門。ここで指一本ふれることなく、人をフッ飛ばす術を使いこなす達人が確かに存在すことを確認。約一年通う。
1998年/廣原誠先生が創始された「心体育道」の広島直轄道場に入門。
2002年/心体育道師範資格取得。
2006年/福昌堂よりリリースされた技術書「心体育道/表の捌き・裏の捌き」で模範演武を担当。
2009年/竣工したばかりの「オフィス春駒」新社屋1Fに、心体育道小林道場を開設。全国的に見ても珍しい、マンツーマンによる指導を実施中。

*心体育道オフィシャルHP
http://www.shintaiikudo.jp/menu.htm
*本人が模範演武をしている書籍「心体育道〜表の捌き・裏の捌き〜」 アマゾンで入手可能
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4892247987/249-3079265-1133933?v=glance&n=465392