Far East Lounge 三代目春駒小林一彦オフィシャル 小林一彦イラスト

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2010年11月の日記

耳掃除、、、新しい潮流、、、 (2010.11.30)


朝イチ、近所の耳鼻科へ。数日前、TV見ながら耳かきでホジホジやってたら、ゴリッ!っつー大音響。頭を左右に揺さぶるとそれに合わせて鳴り響きよる。取り損ねた耳アカが鼓膜にぶつかってるのだ。2年くらい前も同じ症状でこの病院へ来たが、今回も細い掃除機のような吸い取りマシンで数秒シュシュッとやっておしまい。耳掃除はやはりプロにお任せします(笑)。

夕方、某広告代理店さんと打ち合わせ。俺の提案、好感触。列席者からも「おー!」というようなアイデアが出てくる。

この一週間、読んで面白かった本
*日本は世界4位の海洋大国/山田吉彦
*お金持ちのお金はなぜなくならないのか?/宮本弘之
*未来型サバイバル音楽論/津田大介+牧村憲一

最後の「未来型〜」は、ミュージシャンのみならず、クリエイターにもオススメです。数年を待たず既存の音楽ビジネス(TVなどの芸能&マスコミ業界も含む)は大崩壊する。というか「メジャー」「マイナー」のレーベル区分けすら無意味になって久しい。業界は「さも存在しているかのごとく」振る舞っているだけだ。「あちら側」「こちら側」と、自分で線引きすることのおろかしさよ。軽く口笛でも吹きながら、遠慮なく跨ぎ越えて行こうじゃないの。
円は閉じず (2010.11.29)


午前中、ラジオ。
急用で出演できなくなったアヤちゃんのピンチヒッターで、リ・ファジ。アヤちゃんとはタイプが違うけど、同様のナイスサポートで滞りなくフィニッシュ。感謝。

午後より執筆業務。2時間ちょいで、2カ月に及んだ季刊誌2種の全原稿が終了。
夕方から当道場にてSさん指導。

夜、独り打ち上げ。
激闘でおました。「涼しい顔」を心がけたせいで、かなりの部分、波に乗れたス。それなりに満足はしているが、大団円ではない。円は閉じるどころか、地下茎のごとく次なるステージへ神経細胞が触手を伸ばしている感じ。

サメのごとく (2010.11.28)


終日、執筆。
今日中にカタをつける予定であったが、取材先から画像データを借用しなければならないことに気付き、あと少しのところで停滞。まぁ、フィニッシュは丁寧にいきましょう。

午後イチ、当道場にてIさん指導。
その後は企画業務と明日のラジオの準備。
12月前半はちょいとヒマになり、中旬からはまた忙しくなりそうだが、年明けは家族を連れて道後温泉にでも行こうかと。今年も取材やライブで西日本全域をせわしなく移動した。10日に一度は県外に出ている計算。仕事でもプライベートでもサメのように常に泳ぎ回っていたい。

*写真:先月末、取材で訪れた岡山は湯原温泉「油屋」のオリジナル下駄。

秋の陣ラストスパート (2010.11.27)


終日、執筆業務。2つの季刊誌“秋の陣”の最後の2ページ。鼻息荒く向かうも、気負ってしまうとあきません、筆がさっぱり進まんのです(笑)。

日没まで粘って3分の2をクリア。
その後は新規事業の企画。既存のシステムが次々と機能不全に陥っている。俺はますます「面白いと感じることしかやらん」方向で行く。セガレを見ていて思うのだが、それでいった場合の集中力と持続力は、やっぱりスゴイなと。ミニカーの行列が部屋をはみ出して俺の仕事場まで伸びて来るんだよ(笑)。

不毛のロジック (2010.11.26)


朝食後、いつものように十数鉢の観葉植物達に水を、メダカにはえさをやってから、昼まで徹底的に惚けてみた。結局、盆に5日ほど八重山へ行った以外は、ほんの数日しか休みを取ってないのだ。忙しかったから、というより、仕事が面白かった一年。結局「惚け」もたった半日で充分。俺にはやりたいことが多いし、これまで以上にインテリジェンス強化の必要性も感じている。ヒマがありゃ勉強!ってことで、いつも寝床にまで本を持ち込んでいるけど、10分持たず爆睡だ(笑)。俺の辞書には「不眠」という二文字はない。人間も所詮動物。疲れたら生理的反応で起きていたくても自然と眠りに引きずり込まれるのが道理と思う。こう言ったならば不眠症の某御仁から「眠れないツラサがアンタにわかってたまるか」と開き直られたことがある。このような「わかってたまるか」的自虐ロジックを突きつけられると俺は困惑する。まったくアホかいな。テメエの力をテメエで見限ってどうするんじゃい。

*写真:年末が迫るというのに、ますます常夏気分をあげてゆく我がオフィス(笑)。

匠の所作 (2010.11.25)


午前中、通常業務。
昼前から当道場にてIさん指導。

午後、駅裏にある某結婚式場兼フレンチレストランを取材。各界の一流から直に話が訊けるのがこの仕事の良いところ。はたして、フランス国内7カ所のレストランを渡り歩いて腕を磨いた彼のフランス料理哲学はスッと気負いのないシンプルかつ朗らかなもので、なんでもないような料理の所作の一瞬にも「今度は客で来たい」と思わせる匠の煌めきがうかがえた。トレビアン!

梶山シュウに倣い、俺も来年から武者修行的なライブを某所にて定期展開する。俺のような天然&突発型歌うたいは「生」の場でこそポテンシャルが引き出せるのだろう。やってナンボ、なのである。

ちゃんと釣らせる (2010.11.24)


午前中、当道場にてJ氏指導。彼も入門して約一年が経過。バツグンにキレが良くなっている。心体育道なら50歳を越えてもこれだけの進化が期待できる。教えているこっちのほうも嬉しくなる。

午後より通常業務。
夕方、再び道場にて小学生のYクン指導。

さて、今年一年手がけた仕事の「評価」がクライアント、広告代理店、プロダクションから次々と寄せられる。季刊誌や会社案内の類いはいずれも高い費用対効果があったようで、その中のいくつかは来年は新しいレベルへの移行を検討中とのこと。たのむ、予算もっとくれ(笑)
昨年秋から携わった某百貨店の通販サイトリニューアルの件では、前年比200%アップを越えたようである。クライアントにとってはこれだけでもスゴイことなのかもしれないが、俺が当初提案した他のオプションも細かくやっていれば、ハッタリではなく300〜400%増は充分狙えたと思う。それも半年以内で。最初の打ち合わせの席においても断言したが、さぞかし大口を叩くヤツと思われたことでしょう(笑)。
俺は腕のいい「遊漁船」を目指している。釣り客を乗せたら、とっておきの釣れるポイントへお連れする。たいていのコピーライターは船を運転するだけで釣れるかどうかは補償しない。俺は釣りたい魚を必ず釣らせる。だから「PRコンサル」を名乗るのであって能力を限定されかねない「コピーライター」では今後仕事を請けない。っつーことで、これからは「船長」と呼んでください(違うだろっ?!)。

PS. 当サイトのライブスケジュール・コンテンツ「36.5」に、来月12月15日、「ライブ・ジューク」でのFarEastLoungeソロライブの詳細をアップしました。地上19階の夜景が一望出来るお洒落なスペースです。ぜひ!
アレがコレしてソレなわけ (2010.11.23)


勤労感謝の日にして8回目の結婚記念日。
仕事しようかするまいか、午前中たっぷり考えたあげく、結局午後より通常業務。

年明けから自分に課した新しい取り組みが、一年近くを経過した今、かなりの成果を上げているので、来年はさらに踏み込んでみやしょうと。続行コンテンツにくわえ、さらに新しいこともやりやしょうと。
トライしてみたいことの一つが某吹きもの系和楽器の習得である。「習得」とはいっても、現在知ったげな顔で演奏しているギター、ウクレレ、ブルースハープ(ハーモニカ)、ティンホイッスルのいずれも誰かに習ったことがないし、ウクレレとティンホイッスルにいたっては手にして一カ月も経たずステージに上がっているというふてぶてしい俺である。音を出してみて「エエかも」と思えば人前に立ってオッケーという。で、アレは、見たところ簡単そうである。なにしろ、通常のライブステージでコレを演奏しているのを見たことがないほどの希少種。いや、珍しさ故のチョイスではなく、ソレの紡ぎだす「天来の音」と称される非日常感一杯の響きが好きなのだ。ま、とにかく、やってみま笙。あ、言っちゃいました?!

過去、現在、未来 (2010.11.22)


午前中ラジオ。先週の放送で痛烈に感じた問題点は、少し改善された気配。ま、少しずつ丁寧にいこう。

午後、街の中心部の某レストランにて、久保田<お遍路>涼子ちゃん、同じくWebデザイナーにして老舗神社の神主でもある梶山クンの3人で懇親会。ライフワークからして三者三様。決して一筋縄ではいかぬ私たち(笑)。
28の涼子ちゃん、37の梶山クン、俺48と、10歳ずつ違うところのギャップも面白く、話が弾みまくった。某脳機能学者によると「過去」「現在」「未来」は同時に存在するものらしい。これはそのまま3人にあてはめることができはしないか。俺らは現時点、同じ場所にいながら別々の時空を旅している。俺らはお互いに10年分のスパンで「過去」「未来」を「現在」から見ている。この世は幻想。スリリングなパラレルワールド。そんな気がした。

アーティスト家族 (2010.11.21)


午後イチ、チャリで1分とかからぬ県立産業会館西展示場にて開催中の、第15回広島カスタムナイフショーへ。
俺は第1回目からほぼ欠かさず見に行っている常連である。知人のナイフクラフトマン、郷坪さんとも一年ぶりの再会。というか、毎回ここで会ってるんですね(笑)。彼の今出展作の目玉は、ムラ染めした帆布を幾層にも重ねて圧縮成形したオリジナルグリップ装着の一本。数年前、世界初となる和紙を使ったバージョンを発表しカスタムナイフ界で大注目を浴びた彼の最新作だ。
彼の一人息子で、高校時代の3年間、心体育道直轄道場に通っていた聖史(さとし)クンが、京都の美大卒業後、なにしているかを訊いてびっくり。来月、東京で開催される現代音楽の巨匠、フリオ・エストラーダの舞台にダンサーとして出演する著名な舞踏家にして俳優の田中 泯。その田中氏のボディペインティングを聖史クンが担当すると。うははー、やるのう!オヤジがカスタムナイフのパイオニアで、オフクロさんがフラメンコダンサー。セガレが新進気鋭のアーティストたぁ、面白過ぎる家族である。郷坪さんみたいに、親は「興味のあることには体ごとぶつかって行け」と背中を後押しするだけで良いのだと思った。

午後、県病院に入院している、限りなく親族に近い知人を家族で見舞う。数時間に及ぶ緊急手術を終えたばかりとは思えないほどフツー(そう見えるように振る舞っていたのかも)。少々面倒な類いの病気ではあるが、どんな場合でも可能性は残されている。焦らず、じっくり養生して欲しい。
治癒証明書、、、使える本、、、 (2010.11.20)


午前中、セガレをかかりつけの小児科へ連れて行く。オタフクから発症一週間で、無事「治癒証明書」をゲット。というか、左側が少し腫れて最初の2日くらい痛がった程度で熱も出ず、メシもよく食い、外で遊びたいのを押さえきれず、家の中で大騒ぎする毎日だった。俺が幼稚園で罹ったときは、入院するほど症状が悪化したのだが。

仕事する予定が、なんやかやと用事が入ったのでヤメ。ゆめタウン紀伊国屋で本を2冊購入。今年に入って新刊だけでも月5〜6冊は読んでいる。勘が冴え、ハズレがない。なかでも「月刊・苫米地」と称されるほど、頻繁に本を出しまくっている苫米地英人さんの「脱・洗脳教育論/牧野出版」は、これまで以上に気合いの入った良書と思う。ほとんどの本を「口述筆記」でリリースしている彼が、これは自分の手で書き下ろしたものだろう「です、ます調」を使わず、ズッシリと重みのある提言がよどみなく綴られている。
自己啓発の類いの本は、読んで感銘を受けても実際には実行し難い「使えない」ものが多いが、彼の「抽象度アップ」をはじめとするスキルは、やってみるだけの価値がある。俺は年明けから実行し、もの凄い効果を体感している。同業者(ライターやデザイナー)がどんどん廃業に追い込まれる中で、今年業績が上向いたのは、苫米地メソッドの恩恵もある。
「日本に本当の仏教は伝わっていない」とする「お釈迦さまの脳科学/小学館新書」も、俺が高校時代から抱いていた仏教や般若心経の矛盾点(浄土真宗系の高校ですから)をキレイに解説し払拭してくれた。人間はもっと自由に、未来へ希望を持って生きていいし、その方法はある。確実に言えるのは、ヒクツさからは何も生まれないということだ。
ゼブラな気分 (2010.11.19)


午前中、執筆業務。
昼過ぎ、駅裏のカッコイイ某結婚式場を取材。今日でファイナル!のつもりが、追加取材が発生し、来週再訪することに。さらに踏み込んだ取材ができるので、ラッキーなことには間違いない。

今月はじめ、横川シネマでの青柳拓次氏のライブを目撃し、自分でも気付いていなかった音楽表現の別の扉の存在を知ることができた。そのフィーリングを先日日曜日の「ジュゲム祝&祝ライブ」にてユリカちゃんとの「ソニー京屋」というユニットで表現してみたのだが、うまくハマったカンジがし、今日また何気にウクレレ弾いてると思わず「おー!」と叫ぶほどの良いアイデアが襲来。一人でも二人でもFarEastLoungeでも、俺はミュージシャンとして、まだまだ面白いことがやれそうだ。

*写真:とりあえず「ゼブラーマン」になってみようかと?!

なければ作れ (2010.11.18)


午前中、当道場にてJ氏指導。
午後より執筆業務。この3日で7、8P分の原稿をアップ。明日は「季刊誌ダブルヘッダー秋の陣」のいよいよラストの取材である。この後しばらくインターバルがあって、来月初旬には、もう次号(2011年春号)の仕込みが始まるのだろうか(誰に訊いとるんスか?)。

最近、就職説明会があちこちで催されているのだろう、リクルートスーツに身を包んだ、どこか悲壮感ただよう若者集団を多く目にする。「冬の時代」をとうに越え「氷河期」を迎えているという。未来に希望を見いだせない社会を作ったのは、親、学校、企業などオトナの責任と思うが、文句を言ってもどうにもならん。この際、就職をあきらめ自分で職業を作ったらどうだろう。なに、そんなもん考えたこともない? なるほど「考えたこともない」ものが実現する訳はない。「考える」からこそ新しい地平が拓けるだよ。自分が本当にやりたいことを徹底的にイメージして、ありありと目の前に思い浮かべるレベルまで持っていけば、大抵のことは叶うと信じる。そこへ踏み込むために必要な手順がわかる。俺が刺激を受けた人物は、すべてそのセン、つまり「なければ作る」の達人ばかりだ。

*写真:アイデアに煮詰まったら屋上でウクレレを弾け(意味不明)。

実のある話 (2010.11.17)


午前中、心体育道指導。
昼過ぎ、デザインプロダクションにて打ち合わせ。
終了後、新しく立ち上げが検討されている映像関係プロジェクトへ企画スタッフとして協力参加の要請があった。これまで俺が企画・取材・執筆を手がけてきた某案件の内容が評価され、そのTV版を作る方向でハナシが進められていることはウワサで聞いていたが、有り難いことである。
当日報で何度も書いた通り「コピーライター」とだけ、名乗ることのデメリットは、俺の場合シャレにならんレベルである。範疇を越え2倍3倍の役割を果たしていても、ギャラが加算されることはまずなかった。このような形で、報酬の別ルートが開拓されるのは今どき奇跡に近い。
執筆職人 (2010.11.16)


終日執筆。
面白かった取材の原稿を書くのは(時間的余裕がある場合に限るが)至福のひとときだ。インタビューした人の息づかいや仕草までも、ありありと思い浮かべながら、文字を「鋳込んで」いくスリリングさときたら。俺以前に、誰か取材した者がいれば、なんとしてでも越えようとするし、そうでないと意味がない。誇大な表現やウソを使わず、微粒子に過ぎなかった文字が集まり、徐々にカタチを表す瞬間がたまらんのです。マグロの一本釣り漁師が、大物の掛かったテグスを辛抱強くたぐり寄せ、ようやっと魚影が見えたときもこんな感じなのだろう。え、大げさなことを言うとお思いですか?いや、案外そうでもないよ。対象者を決め、交渉し、取材クルーを組んで出かけ、話しを訊いて写真を撮り、手にした材料を元に、文字を抽出するのは、おそろしく時間と忍耐と労力を要するのだ。文筆家としての力量が全工程において問われる。言い訳無用。俺の代わりも、そう簡単には務めさせません、のココロです。

*写真:日ごと寒さがつのる中、我が家のハイビーは絶好調である。

縁はつづくよどこまでも (2010.11.15)


午前中ラジオ。
個人的に今後の対応を真剣に再考する必要を迫られる、いろいろとシンドイ放送内容であった。

午後より通常業務。
取材&執筆地獄も2カ月が経過し、大きな案件のうち、2つが収束しつつある。残り1つを今月22日フィニッシュと照準を定めており、終われば武術指導以外の業務を4、5日完全にストップ、、、できると良いのですが(笑)。

音楽仲間のチトッチャン(せとちとせ)が娘のサラちゃんを連れ、、約2カ月前から北海道を皮切りに47都道府県をすべて巡る「チトセンチメンタル・ジャーニー(俺が勝手に命名)」を敢行中。日光まで南下し、昨夜は絵師の香川大介くん、本日は世界最強のマルチアーティストAKIRAさん宅に逗留。驚くのは、俺の魂友である日光在住の両人を、俺がチトッチャンに直接紹介した訳ではないということだ。彼女が旅をする中で出会った人の誰かが「日光ならこの人を訪ねなさい」と推挙したのである。日本は広いが「縁」は地下茎のごとく、見えない部分で繋がっているものだ。

朝ライブ (2010.11.14)


朝だ朝だよ、朝ですか?(意味不明)
「祝ジュゲム40周年&祝ルーシー還暦ライブ」に出演すべく、朝日に照らされて「巨大な化石」のように静まり返った薬研掘ストリートを歩き、8時半に「クラブクリーム」入り。
たしか昨日の日報で「客は一人もおらん」と断言したはずだが、ドアを開けてビックリ。ここだけまだ深夜然とした不健康な紫煙たなびく薄暗がりの中に、20人以上の人間がうごめいているではないか。おっと、ミキサーは和田男爵だ。御歳60のルーシーさんまで、真っ赤なテンガロンハットにオーバーオールという、アメリカンな少女スタイルでニコヤカに迎えてくれた。ほかにもプロカメラマンの岩切さんや、「ジャミン」マスターのユキナリ君、ミュージシャンのカワちゃんとか、見知った顔がかなりある。
と、司会者がやってきて、「前に出演する予定のバンドが現れないから、30分繰り上げて2バンド分たっぷりやって欲しい」ですと。
っつーことで、ユリカちゃんとそそくさとステージに上がる。予定していたのは4曲だが、彼女が入りやすそうな曲を思いつくまま歌い始める。

セットリスト
「テビチ記念日」>「月の下ジントヨー」>「はてのうるまの祈りうた」>「その男ヨシオ」>「雨のラブホテル」>「夫婦蛸」>「Be Free」

俺の30年以上に及ぶライブキャリアで、朝の8時台に演奏したことは一度もない。なのに、恥ずかしいほどデカイ声が出る。一曲目が終わった時点で、ユリカちゃんが酔っぱらいのようにフラついている。サックス吹き過ぎて立ちくらみがしたらしい(笑)。が、徐々にペースがあがり、いいカンジで終了。しかもウケたみたい。後半使用したテイラー「八丁念仏・改」は鬼のようによく鳴ってくれた。ユリカちゃんのサックスもコーラスも気持ちよく、また一緒にやろうということに。知り合い数人からも「ソニー京屋というバンドはオマエらだったのか」と好評(笑)。なんだかわけのわからないまま、10時に一旦帰宅。

昼過ぎ、ちょっと仕事を抜けて再びクリームへ。酒井俊さん、Maggie、椎名さん、ユリカちゃんのユニットだけ聴いて、仕事に戻る。なんだか不思議な一日だ(笑)。ルーシーさん、これからもますますお元気で。

*写真:朝っぱらから熱演する「ソニー京屋」。撮影してくれたREIKOさん、ありがとうございました。

オタフク、、、初陣支度、、、 (2010.11.13)


終日、執筆業務。ほぼパジャマのままで(笑)。

昨日から「ほっぺたが痛い」と言っていたセガレ、病院に連れて行くとオタフクと判明。約10日ほど自宅で安静せねばならんげな。今は元気なのだが、極度に痛がったり、耳が聴こえにくくなるなどの症状が出たら即、舟入病院に行きなさいと。クルマでの緊急出動に備え、俺も10日間は酒を断つことにする。

夕方、サックス奏者のユリカちゃんと、仏壇通りにある彼女のバー「キャラバン」で、音合わせ。明日「クラブクリーム」での「祝ジュゲム40周年&祝ルーシー還暦ライブ」出演が、彼女との新ユニット「ソニー京屋」の初陣となる。俺らのセットリストは4曲ながら、俺はウクレレとギターとブルースハープ、ユリカちゃんはサックスのほかドラムも叩く予定で、かなり面白いことになりそうだ。
それはいいのだが、このイベント、本日18時から明日19時まで約50組が出演する25時間ぶっ通しマラソンライブで、俺らの出番は朝9:15ときたもんだ。断言しよう、客は一人もおらんと(笑)。PA担当と、店のスタッフと、俺らの前後に出演するミュージシャンだけだろうて。これが妙にワクワクするのだよ。

*写真:先日訪問した佐伯区のインテリアショップ「マージナル」で一目惚れした、リングホルダー。真珠のネックレスをした黒いブタの鼻に指輪、耳にピアスが掛けられるようになっている。そう、「ブタに真珠」でございます。もちろん俺用(笑)。

爆睡、、、ラジオ生演奏、、、 (2010.11.12)


たっぷり9時間爆睡。平均睡眠時間が5、6時間の俺には珍しいこと。やはりどこかで無理していたのかもしれんが、一夜で完全チャージしたもよう。

午前中はボ〜ッと過ごし、午後より執筆業務。

夜、FMちゅーピーの名物番組「スナックよしの」に、ミュージシャンゲストとして生出演。女性パーソナリティの土肥ちゃん&大江ちゃんがやってる「スナック」にギターを担いだ「流し」の俺が訪れるという設定。となれば、歌う曲は国民的オリジナル演歌「夫婦蛸」しかあるまい?
っつーか、あっという間ですな30分番組は。トークが調子に乗ってきたところで閉店。不発だったかも(笑)。
イグアナだって進化する (2010.11.11)

朝イチ、風呂場の排水溝を分解掃除。年末大掃除を小分けにしてやってしまおうという作戦の第一弾。
その後、当道場にて昼までJ氏指導。
午後より、某企業にて会社案内冊子の打ち合わせ。

複数の案件がカブりまくっていたこの2カ月だったが、ようやっと出口が見えてきた気配。少し落ち着けば、仕事の請け方や進め方を軌道修正する。っつーか、これからはますます「やりたいことしかやらないライフスタイル」を貫きまくる所存。
ガラパゴスのイグアナは陸でサボテンなどを食う「リクイグアナ」と、海中に潜って海草を食べる「ウミイグアナ」の2種類がいる。しかし、2000年代後半どちらにも対応できる身体的特性を備えた水陸両用のハイブリッドイグアナが登場した。絶海の孤島で、のんびり奔放に生きているように見える彼らでさえ、環境変化に合わせて進化しているのだ(いまのところ在来の2種のどちらにも馴染めずイジメを受けているらしい)。
俺も進化する。少々嫌われても(笑)。

そうそう、ハナシは飛ぶが、明日金曜日の夜8時からFMちゅーピーの生番組「スナック よしの」に、シンガーとしてゲスト出演します。歌うのはもちろん無敵のオリジナル演歌「夫婦蛸」になるでしょう。

*写真:心体育道指導終了後、次のクライアント訪問までに時間がないので空手着のまま昼食をかき込む私。気のせいか、最近イグアナに似てきたような?!

キリム (2010.11.10)


午前中、佐伯区八幡のインテリアショップ「マージナル」を取材し、西方アジアの伝統的毛織物「キリム」を何点か撮影。数年前、宝石商でキリムの個人輸入もしている方のコレクションを取材したことがある。作られて半世紀以上経つものは「オールド」と呼ばれ、価格も新しいキリムの倍以上になる場合も少なくない。こちらにもオールドがあったけど、大きめの玄関マット程度でなんと、破格の1万円台から。デザインも良いのが多くて舞い上がり、もうちょいで買いそうになった(笑)。ちょっとだけ金銭的余裕がありそうな年明けあたりにでも再訪したい。キリム好きのドロンジョ様(椎名さん)にも教えてあげよっと。

マージナル広島店の詳細はこちらで
http://www.marginal.jp/shoplist.html

海を想う (2010.11.09)


朝イチ、風邪を引いて体調を崩している吉浦のお義母さんをオタマと見舞う。なんかしらんが朝っぱらから台風襲来を思わせるような強風が吹きまくっており、往路、広島大橋の上で車高の高い我が愛車「ベンツSL63(ホントはダイハツアトレー・4WDターボだけど)」は「Shall we dance?」状態を余儀なくされ、肝を冷やしたです。オタマのでかいケツも「重し」にはならんかった(笑)。なので、帰りは下道で。冬の海の深い群青色はイイ感じ。

終日、怒濤の執筆モード。ラジオ、取材、打ち合わせ、心体育道指導がなにひとつ無い日っつーのは、何日ぶりだろうか?すべての開口部を閉め切った当アジトは深海のごとく静かだ。文字の糸をたぐりながら、ひたすら沈降す。

ステップアップ (2010.11.08)


午前中ラジオ。
スタジオ入りするまでは昨夜の熱狂の余韻で、やや朦朧状態だったが、オンエア開始と同時に一瞬でパーソナリティモードへとスイッチ。こういう芸当がいつのまにかできるようになっていたのだね。

昼食のあと、昨日のライブで得た気付きを静かに反芻。歌は、一撃必殺を旨とする。よって「次の曲のために余力を残す」などという発想のない俺は、これまで絶叫系のナンバーを繋げると、さすがに息があがったものだが、昨夜は全然ヘーキだった。肺活量や持久力を高めるために、走り込んだりした訳ではない。思いあたるとすれば、日々の心体育道稽古に加え、年明けから始めた秘伝功30分だ。50歳を目前にして、なお身体能力が上向いている。15から、なんらかのトレーニングを途切れることなく続けてきたから微妙な変化もわかるのだ。

シェルター69 (2010.11.07)


夜、銀山町シェルター69にて、FarEastLoungeライブ。
「今回は忙しくて行けそうにない」とのハンパない数のメールが事前に寄せられていたので(笑)覚悟はしていたのだが、それでも寒くない程度に客席が埋まり、ホッとする。やっぱり日曜の夜は、難しいね。来ていただいたお客さんにもちょっと無理させたかも?

ライブの内容は俺に関して言えば良い点、悪い点が混在。
誰に向け、何を伝えたいのか、表現方法や展開をもう少し絞り込む必要がある。やりゃあいいってもんではないのだ。ただ、声だけはエライ出る。全力を出し切ったつもりでステージを降りたのに、まだ2、3時間行けそうな余力もあった。課題が見えたので、次に向かえる。
おおはた雄一と青柳拓次 (2010.11.06)

午前中、執筆業務。
午後より雑務。と、いきなりインスピレーションが降りて来て、一曲完成。というか、別のメロディですでに出来上がっていた曲なのだが、もっと「らしい」旋律が見つかったのだ。これを明日(日曜日)のライブで演ってみるか?

夕方、横川シネマにて、おおはた雄一と青柳拓次のジョイントライブ。おおはた雄一は数年前から興味を持っていたシンガーソングライター。07年にリリースされた「song book 2」は、俺のアルバムランキングベスト20入を果たしている。歌詞や声、メロディの醸し出す豊かな叙情もさることながら、「ギタリスト」としても数多くのミュージシャンをサポートをオファーされるのがよくわかった。おそろしく高いテクの集積がさりげないフレーズの中にうかがえ、良い意味でとても30代とは思えなかった。
続く、青柳氏。出て来た瞬間、少しひるんだ。白地のシャツに、きっちり折り目のついたベージュのチノパン。ここまではフツー。問題は足元だ。まくり上げたチノパンから覗くのは、白い地下足袋ではないか。足でエフェクターをあれこれ操作するのに便利だからと、地下足袋をチョイスするミュージシャンを知っているが、彼はそのようなこともせず(ほとんど動かない)、地味な歌を淡々と詠唱。聴いてる俺も強烈な睡魔に襲われる。「おおはた氏だけ見て帰るべきだった」と反省しきり。ところが後半になっていきなりシフトチェンジ。こいつ「牙」を隠していやがった。ライブが終わる頃には、リリースされたばかりの彼のアルバム「まわし飲み」を買うことを決めていた(笑)。

*写真:日曜日のライブでどっちを使うか悩み中。

加湿器、、、ピンチヒッター、、、上得意様、、、 (2010.11.05)

目覚めると、喉の調子が戻っている。昨日午後から咳が出始めたので、ゆめタウンで2980円のシンプルきわまりない加湿器を購入し、一晩つけっぱなしで寝た。効果あり?

午前中、執筆。
ウチから徒歩数十秒の元カープのピッチャーがやってる焼き肉屋でラーメン定食を食ってすぐ、ピンチヒッター案件が舞い込み、たった一時間で2ページ分の誌面構成と各コーナーの見出しを書いてメールでプロダクションへ。こうゆうの、決して良い仕事のやり方ではないね。
2時より当道場にてSさん指導。
その後再び執筆企画業務。

このところ、格闘技グッズを扱うネットショップからDMパンフが頻繁に届く。門下生が増え、稽古のプラスになればと色んなモノを購入しているうちに「上得意様」になったようだ。っつーことで、バーゲンセールのキックミットに目が吸い寄せられる(笑)。

*写真:台の上に乗って皿洗いを手伝うセガレ。バイトらしい(笑)。

モチはまず絵に描け (2010.11.04)


午前中、当道場でJ氏指導。

午後より通常業務。デザインプロダクションに送った原稿がレイアウトされメールで次々と送られていくる。企画プレゼン段階で、俺の脳内スクリーンだけに映し出されていたビジュアルが、こうして完璧な絵ヅラとなるのは、何度経験しても気持ち良過ぎてたまりません。この一瞬に、これまでの膨大な労力が報われるのだ。そしてまた毎度のことながら、まだ印刷が終わっていないというのに次の構想を考え始めている。
広告デザイン業に限らず、俺の場合、脳内に浮かんだインスピレーションは「描き起こす」ことによって、かなり高い確立で具現するようだ。前にも書いたが、昨年6月末に完成した当アジトは、2008年6月8日午前4時(その後の6/25の日報も参照)、眠っている時に「夢」として見えた図面を起こしたものだ。それはプロの建築家も「完璧」と賞賛してくれるほどだったし、いまこうして住んでいても間違いなかったのが実感できる。
第一段階としては「絵に描いたモチ」は正しい。それに対し徹底的な臨場感を与え続けることで「食えるモチ」になる。俺が目指すのはさらにその上の「美味いモチ」だ。このような「モチに対するリアルな動機づけ」という意味で生まれた造語が「モチベーション」である(ウソです)。

で、俺の次なるモチは(しつこくてゴメン)1、2年内をメドに、作家デビューすることだ。大きな書店に行くたび、いつも思うのだ、「一生かかっても読めないほどの本が並んでいるのに、俺の書いたものが一冊もないのは、どう考えてもおかしい」と(笑)。

*写真:今週の日曜に迫ったライブに備え、散髪してきました。店長に「まかせる」と言ったら、こんなんなりました。「矢沢永吉っぽく」だそうです(笑)。

休日知らず (2010.11.03)


おいおい、こんなエエ天気の祭日にオフィスに籠れってか?! などとブツクサ言いつつ執筆業務。
しかし、大音量のクレイジー・ケンバンドのオッサンエナジーに乗って気分を持ち直し、昼過ぎには目標原稿をクリア。

で、家族のリクエストでマリーナホップへ。ここには毎度、俺の購買欲を刺激する物がほとんどないけど、正面左側ゲートから入ってすぐのお洒落な改造ワゴン車で売っている作り立てのメロンパンは抜群に美味かったど。車の後ろに回って見ると、プロパンボンベを2機搭載していた。本物のガスオーブンで作っているということだ。移動販売でも、これほどのグレードが出せることに感心。

っつーか、もうちょい遠方へ家族を連れてってやりたいね。俺も一体どのくらい休みを取っていないのでせうか。8月の八重山遠征のときみたいに、強行突破するか?(笑)

臨場感 (2010.11.02)

終日、怒濤の執筆業務。
いくつかの案件で膨大な資料に目を通さねばならず、さすがに目が痛えっス。

ある人から「ライブが近いので準備が大変でしょう」と言われたが、毎日一定時間スタジオに籠るのがすっかり慣例となっているので、いつでもOK状態なのである。我が心体育道の師、廣原誠先生は1987年と翌88年、全米カラテチャレンジの重量級に出場し2連覇の偉業を達成した。しかも87年のエントリーは開催直前にイキナリ決まったとか(故・芦原英幸先生からの緊急指令)。「常日頃から内容の濃い稽古をやっているから、いつ出場要請があってもまったく問題なかったんよ」ということで、実にカッコイイのである。これこそ一流の武人の心がけじゃん!と感動し、昨年、当アジトが完成してからはライフワークの習慣化に努めてきたでごじゃる。先生には遠く及ばないが、常住坐臥、あらゆるフィールドの臨場感を持っていたいス。

*写真:全米カラテチャレンジ重量級決勝戦で、自分より体格を大きく上回る外国人選手を撃破する廣原先生。ちなみのこの大会のルールは、通常のフルコンタクト系の大会よりも規制がゆるめで、試合は必然的に実戦により近いかたちとなる。ルールすら存在しない心体育道は試合をすることができない(笑)。

永遠のヒーロー (2010.11.01)

午前中、ラジオ。

午後より通常業務。予期せぬ展開があり、三歩進んで二歩下がる。「予期せぬ」ではあるが、「何かある」は予想していたので支障はない。

夜、BSでスティーブ・マックイーンの特集。小学校の1、2年生だったかTVで「大脱走」が放映された。数多くの名だたる名優陣に埋もれることなく強烈なカッコ良さを放っていたのは、子供の目にも見て取れた。1980年に公開された「ハンター」も想い出がある。スクリーンの中で彼が着用していたなんとも男くさいジャケットが「MA-1」であることを知り、不良のたまり場でもあった近所のデンジャラスなジーンズショップで米軍放出品を見つけだして購入。そうとも、当時コレを着ているヤツなど、俺以外にはまったく見なかった。
ファッションだけでなく、俺がこれまで関わった「バイク」「ショットガン」なども彼の影響だ。BSでは、マックイーン生誕80年&没後30年ということで、しばらく彼の作品をオンエアしてくれるらしい。果たして俺は、少しでも彼に近づけたのか。テレビの前で熟考したい(笑)。

*写真:MA-1も、あれから何度も着つぶして、現在は4代目。これも10年使用。

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