Far East Lounge 三代目春駒小林一彦オフィシャル 小林一彦イラスト

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2011年04月の日記

再び見学者、、、The Level Plain、、、 (2011.04.30)


午前中、雑務。宇品のスポーツオーソリティにて、1泊程度のバックパッキング用に40ℓのザックを購入。1万円を切る価格と濃いベージュという希少な色が気に入った。

午後、当道場にてSさん指導。Sさんの大学の友人が見学。彼女は高校時代、空手部所属で黒帯。インターハイに出場したこともあるそうで、Sさんから話を聞いて心体育道にも興味を持ってくれていたみたい。

3日前からトライしていた、アイリッシュの名曲「The Level Plain」をティンホイッスルで吹けるようになった。CDを聴きながらの耳コピ。っつーか、他の楽器と同じように譜面があったとしてもどうせ読めんのだし。オタマが珍しく「上手い」とホメてくれたので次回のライブで初披露だな(別にホメられんでもやるつもりだったが。笑)。

*写真:昨日の日報に書いた、シーカヤック積み込み作業風景(オタマ撮影)。上の帽子の男が俺。トップ部分(これだけで1.4メートルある)は取り外して車内に収納。しかし、でかいフネだわい。そこの女子、今度ご一緒にどうスか?(笑)。

海は誘う、、、おさるのジョージ、、、 (2011.04.29)


朝、友人2名が俺のシーカッヤック(世界最大級の全長7.4mで3人乗り)を借りに来る。GW中、上関沖の無人島O島で過ごすとのこと。
当アジトの専用艇庫からスイッと引っ張り出し、艇庫前に横付けしたクルマのキャリアに載せるまで1分もかからんかった。なんというあっけなさ。以前、これを大野のシーカヤックショップのレンタル艇庫に預けていた時はたいへんだった。あそこに取りにいくまで1時間かかるし、帰りも艇庫に戻すことを考えればショップの空いている時間や行き先などの調整も必要。ここに越してから状況が変わったことを理解してなかったのだな、俺は。っつーか、昨年6月までは、広島を出来るだけ離れたくない事情(ケアを必要とした某親族のため。2年以上続いた)があったりもし、正直、仕事以外では旅どころではなかったもんで。
俺のカヤックを積んで嬉々として出発する友人を、今日は指をくわえて見送る私。上関の潮通しバツグンの海で、カヤックの埃をしっかり落としてやってね。

で、その代わりという訳でもないが、家族を連れ、土師ダムへ(笑)。湖畔の緑地にマイテーブルを広げてオタマ弁当を食い、その後はレンタサイクルで、湖畔沿いのコースを7キロ走る。「おさるのジョージ」状態で、俺の前をドンドン加速していくセガレ(笑)。これはこれで、オヤジ的には最高に楽しいのである。

ココロとカラダに倍音を (2011.04.28)


某季刊誌の取材で、岡山の鷲羽山の、とあるホテルを訪問。
高速道往路は激しい風雨。春と夏がせめぎあっているカンジ。

起床後に毎日行っている気功やヨガに数日前からヨガの奥義といわれる「倍音声明(方法など詳細はまた後日)」を新しく取り入れたのだが、これはイイ。たった10分程度で経験したことの無いほどの深いメディテーション。心地よい波動に全身が包まれ、それがけっこう持続するのだ。夕方まで、すんごく楽しく仕事できましたとさ。

*写真:鷲羽山は晴れていた。瀬戸大橋は相変わらずカッコイイ。

再び召喚 (2011.04.27)


午前中、当道場にてIさん指導。
午後、某企業会議室にてプレゼン。
夕方帰り。再び道場でYくん指導。

本日は諸々、完全に役どころを超えた業務遂行のため市内を奔走した。以前なら「なんで俺がここまでやる必要が?」と被害妄想になっていたかもしれないが、ちょっと前に当日報に書いたように、これも余人を持っては代え難いものとして<召喚された>のだとしたら、俺はまたひとつ新しい扉を開けることが出来るのではないだろうか、、、、そう考えると、いい気分で立ち向かえたのだ。「適性」に合うかどうか、そんなもん今は考えなくていい。わかりきったような頭で見えるものはたかが知れている。良い気分です。土砂降りでも、雲の上は晴れているように。

人体という宇宙 (2011.04.26)


午前中、脊柱間狭窄症を患っている老齢の親族に付き添って広島大学病院へ。レントゲンやMRI検査後の診断結果を一緒に聴いて欲しいと。歳を取ると、悪い方にばかり考えてしまい不安なのだそうだ。しかし、この待合室の混雑ぶりはなんとかならないのか。心身ともに弱っている患者にとって、ギュウ詰めの薄暗い空間で何時間も待たされるのは、それだけで大きなストレスとなる。

最近、心体育道や気功などを修練していて、西洋的なスポーツ理論では説明の付けようが無い不思議な感覚が次々と発現している。コレでソレなら、アノ先は一体どうなっているのか、とことん行ってみたくなっている今日この頃。
突然病に襲われたり、加齢で障害が出たりと、ままならぬ身体が、どこまでなら制御できるのか。あるいは開発できるのか。我が肉体を使っての人体実験は、さらなる佳境へ。

豊かさの価値観、、、言葉のチカラ、、、 (2011.04.25)


某季刊誌の取材で、山口県熊毛郡田布施の、とある老人保養施設を訪問。
古き良き日本の山里が延々と続き、心和む。しかし、ここでなにがしか生計を立てて暮らすというのは生半のことではあるまい。今回の震災・原発事故で、この国の人々はこれまでなんとなく信じ込まされてきた(あるいは信じ込もうとしていた)価値観を根底から覆させられただろう。古臭かったり、不便だったり、受け入れ難かったものが、まったく別のキラメキを放ち「ゆるがぬ豊かさ」として目に映るようになるのかもしれない。

隠岐・中ノ島ツアーから帰って、ライブのオファーをいくつかいただいた。敬愛するKさんからは「向日葵」「横を向いて歩こう」をぜひに、と。こういうとき、歌の持つ「言葉」のチカラの可能性を感じる。

*写真:取材車「デリンジャー2世号」のお立ち台にて激写をキメる、Aカメラマン。今週末の岡山取材もよろしゅうたのんます!

魂の排気量 (2011.04.24)


昼から家族のリクエストでマリーナホップへ。
しばらく来ないうちに、バイクのパーツショップが出来ていた。広い店内を歩いてみたが、なんともない。母さん、20代から30ちょいまで、あれだけ激しかったバイクへの熱情は一体どこへいったのでせう??
いや、確かに「バイクと男のハッタリと女のケツ(=安産型)は、でかいほうがいい!」 とうそぶいていたのだ、あの頃は。
88ccにボアアップしたモンキー(これで120キロで走っていたのか大馬鹿野郎がっ!)から、ヤマハの250オフロード、400のカワサキ、1200の北米使用の逆輸入v-maxまで、一時は4台を同時所有。まったくなぁ、呆れ返るでホンマ。
すべてを手放した今、公道をけたたましく走る他人のリッターバイクのそれは、五十路間近の俺の耳には騒音でしかない(笑)。っつーか、俺が重視してるのはマシンではなく、生身の人体が発する「魂の排気量」なり。これが俺の中で豪快に鳴り響いてりゃ、ママチャリ漕いでても最高に愉しいのだよ。なにより環境にも優しいし(笑)。

*写真:隠岐の島取材シリーズその4。松江の夜、3軒目に行った、スタンディングバー「オフタイム」の沖縄出身マスター。手前になにやら怪しげなハッパが茂っていますが、もちろん作り物です。念のため(笑)。

溢れ出そうな気分 (2011.04.23)


朝9時半発のフェリーに乗り込み、1時前に七類港着。

米子道〜中国道のコースで、途中何度も休憩を取りながら、午後7時に帰着。
原稿を書くには充分過ぎる情報を収集できた。っつーか、あと数ページ分スペースをもらいたいようなほど「書きたい感」がある。今後は「無記名」ではない、ジャーナリスティックな部分の仕事も増やしていきたい。溢れ出そうです、いろいろと。

目からウロコの海士町 (2011.04.22)


二日酔いによる一人の脱落者もなく(プロとして当たり前ですが)、元気よく松江を出発し、美保関の七類港から大型フェリーに乗船。那覇〜座間味を結ぶフェリーとほぼ同型。これくらいデカくないと、荒波に対抗できないのだろう。
途中、見渡す限り海と空ばかりの日本海を漂い、約3時間で海士町のある中ノ島着。60キロという距離感も那覇〜座間味と似ている(ここを俺は手漕ぎのシーカヤックで渡ったのだな。スゴイよの)。
さて、俺が知りうる中で最強の雨男である代理店O氏は今回も本領をいかんなく発揮し、朝っぱらから見事に降ってくれた(笑)。取材の詳細は、まだ明かせないが「最果ての地」というイメージを完全に覆す、未来の指標となりそうな先進的ポリシーを持った人々から話を訊くことができ、来た甲斐充分。

今夜の宿は、港から徒歩数分のホテル。取材対象者の海士町町長の計らいで、オーダーしていた懐石コースに垂涎のプラスαが特別に提供され、感謝感激。これまで、瀬戸内海や沖縄周辺など二桁にのぼる離島を訪ね歩いてきたが、この中ノ島は、どことも違っている。たとえば港周辺や集落で必ず目にしていた不法投棄的な廃車やガラクタのたぐいを一切目にしないのだ。すべてが整備され、機能している感じ。良い意味での違和感。取材の旅も面白い。

日本海と宍道湖の幸 (2011.04.21)


午後イチ、カメラマンA氏の車に広告代理店担当O氏、デザイナーF氏とともに乗り込み、一路、松江へ。

今回目指す隠岐諸島の一つ、海士町(中ノ島)へのフェリーは、美保関町の七類港から出る午前中のフェリーが午前9時半の一便のみ。乗船手続きなどを考えると、もっと早く到着しておく必要があるので余裕を持って前乗り策をとった。
今夜の宿、JR松江駅そばのビジネスホテルには日没後にチェックイン。取材業に関しては天才的に鼻の効く俺が嗅ぎ出した近所の某居酒屋の座敷席へ腰を降ろすと、なんということでしょう、明日の取材対象者が扱っている海士町名物の岩ガキ「春香(はるか)」や「白イカ」が出てくるではありませんか(笑)。春香は、一般的な真ガキとは違う点がいくつかある。まずはその大きさ。通常のサイズの軽く2〜3倍はあり、でかいものでは殻の長さが20センチもある。旬は春から初夏。一度に大量養殖するのが困難なため、価格も高めだが、見かけの割には味は濃く繊細。白イカもこってりした甘みがあるし、メニューを見てネーミングに興味をそそられた「松江おでん(いろいろ種類があるそうだが、俺らが食べたのはあっさり系らしい)」も、きわめて美味。日本海や宍道湖産のとれたて魚介類をたっぷり堪能いたしましたとさ。
二件目&三件目は、これまた予備調査無しで偶然見つけたアイリッシュバー「ドゥシャン・ペパ」(マスターは白人のカナダ系のニーチャン)と、レゲエ・スタンディングバー「オフタイム」(こっちは沖縄出身のオジサン)という具合に、バラエティに富んでおる。にゃはは、ぎゃははと松江の夜はふけゆくのであった。

*写真:これが海士町ブランド岩ガキ「春香」様。Mサイズで小学生の握りこぶしくらいある。

臨場感さえあれば (2011.04.20)


午前中、当道場にてJさん指導。

午後イチ、Sさん指導。その後は、明日から二泊三日で実施の島根県は隠岐の島取材のためのレジメづくり。実際の取材は1日で充分なのだが、松江の七類港からの隠岐行きフェリーが朝9時発のため、余裕を持って前日前乗り体勢をとるのだ。
この島へ仕事を兼ねて渡るビジョンはすでに2年前からあった。もちろん根拠などない。ないが「いけるにきまっとる」と自分の中の何者かが言い切ったのである。回りにも吹聴もした(証言者あり)。俺はたいていそうなのだからしかたがない。高校時代の進路相談で担任I先生に「空手の指導員、ラジオのパーソナリティ、執筆業、音楽を併行して食っていける人生を目指すことにしました」と宣言し「エエかげんにせい。世の中ナメんな」と叱られたときも全然ヘーキ、俺には妙な自信があったのだ。ほかにもここに書ききれないほど多くを実現しているが、悲しいかな、いまだ「金持ちになる」というビジョンはまったく臨場感が持てずイメージできん。サノヨイヨイ!

さて、明日、明後日、隠岐の島遠征のため当日報はお休みです。珍道中(デザイナー、カメラマン、代理店担当氏、俺の4名)の様子は帰ってからアップしますのでお楽しみに。
試験放送、、、レコーディングその3、、、 (2011.04.19)


午前中、通常業務。2社分のインタビューシート、某案件の企画書etc。

午後イチ、ヤマサワくんが機材を抱えて来宅。15分程度でセッティングし、俺らのユニット「倍α(バイアルファ)」が手がけるユーストリームプログラム「ゲストハウス・そら屋」の試験放送にトライ。2つのカメラの切り替えもうまくいく。雨がパラついていたので、仕事場横のビアテラスでのロケは無理だったが、実際の放送形態を体験したことで、番組をどう仕切っていけばいいのかハッキリ見えた。本放送は5月半ばからスタート予定。ちなみに試験放送は、下記アドレスで視聴可能。
http://www.ustream.tv/recorded/14131413

夜、椎名さん宅でミニアルバム「P.S」制作プロジェクト3度目となるレコーディング。今回はいよいよ、「向日葵」「はてのうるまの祈りうた」の歌入れ。俺にとってやりやすい「勢い一発勝負」ではなく、ピアノ伴奏のみというシンプルきわまりない編成で歌を乗せるという行為は、ある意味暴挙に近い。でも、それぐらいハードルを高くせねば挑む価値も無いのだ。果たして、最初のレコーディングの仮歌収録時に感じた自分のダメっぷりは、密かに敢行した一カ月半のボイストレーニングの成果か、うまいことリカバリーできた気がする。作った本人が言うのもなんだが、「はてのうるま」なんぞ、単調なメロディゆえ、ハンパない表現力が要求される難しい曲だ。今夜、歌い切れたのは、的確なアドバイスと斬新なアイデアで地平を拓いてくれたマエストロ<マー坊>と、「どこでもドア」風に時空を自在に超越するピアノ旋律で背中を押してくれたドロンジョ椎名様のおかげなり。

*写真:給食当番のユニフォームを着て盛り上がるセガレ。おまえは陳建一か。

天が与え賜うた仕事 (2011.04.18)


午前中、当道場にて元・陸上自衛隊習志野空挺部隊のS本さんの体験入門。
部隊で実戦的な格闘術の経験があるらしく、良い意味で動きが動物的。ネコ科のようなしなやかと俊敏さがある。で、稽古終了後、正式に入門を申し込まれました。一昨年の秋、マイ道場を開設した当時、マンツーマン指導制ではトータル3人が限度、と考えていた。それが半年で定員となり、S本さんで5人(笑)。こういうのを「嬉しい悲鳴」と言いましょう、そうしましょう。
大学教授にして武術家でもある内田 樹さんの本「街場のメディア論」にこんな一文がある。

『しかたがないなあ、私がやるしかないのか』という立場に至ったときに、人間の能力は開花する。ピンポイントで、他ならぬ私が、余人を持っては代え難いものとして<召喚>されたという事実が人間を覚醒に導くのです。

召喚=vocation=天職。なるほど。これまでの無節操きわまるピィヒャラ人生を振り返ってもそれはわかる。他者に呼び寄せられることで、深化が増して進化し、真価が現われる。そしていずれは俺が神化するっ!、、、え、どこかおかしんか?
つまらんシャレはさておき、俺は今、武術がますます面白くなってきている。

*写真:最近のヒットめし。オタマにオーダーした、放射能に打ち勝つ納豆、玄米、味噌汁の三本柱(広島に原爆が落ちたとき、これで原爆症を回避or軽減した被爆者は少なくない)を基軸とした、名付けて「多重防護定食」なり。っつーか、こんな事故が起きなくても、俺は20年前から玄米中心のオーガニック食を心がけておる。納豆丼は、しらすや大根おろしとのハーモニーがたまらんスよ!

手軽に空へ (2011.04.17)


某季刊誌の仕事で、カメラマンA氏と、神ノ倉山を拠点としているパラグライダー愛好者を取材。初めて間近で見たこのスカイスポーツ。揚力を得るセールが意外に小さいことにまず驚き、風を受けてヒョイと立ち上げサッと飛び立つあっけなさにボーゼン。監修をお願いしたベテランインストラクターCさんの言う「手軽で気軽」そのまんま。小柄なオバチャンパイロットもサーマル(上昇気流)をつかまえトンビのごとくみるみるうちに遥か頭上へ。コンディションが良ければ、ここから岡山あたりまでフライトすることも可能とか。いや、オモロイ遊びです。

夜は天満町の某居酒屋での会合に歌のゲストとして出席。ほとんどが60代70代。ウクレレのみローランドのミニアンプにつなぎ、声は生。「その男ヨシオ」一曲の予定だったが、アンコールがきて「月の下ジントヨー」も歌う。喜んでもらえた気配。このような小さいスペースではアンプラグドのほうが気持ちよく演れる。

*写真:太陽に架かった虹の輪に沿って悠然と飛ぶパラグライダー。この目で見ても、あそこに人がブラ下がっているのが信じられん(笑)。

再びマイクの件で、、、花粉ガード、、、 (2011.04.16)


昼前、ハイブリッド倍音フルート「フトゥヤラ」に装着できそうなマイクを物色すべく先週のキサダ楽器に続き本日はヤマハ楽器広島店へ。と、やはりフルート用のもので、マイク、パワーモジュールのセットを発見。ただ、マイククリップがないとフトゥラヤに付けるのは無理。ヤマハには置いてないそうで、まず1000円程度のクリップのみネットで買い、その後こちらで相性をチェックさせてもらうことに決定。っつーか、しつけぇよな俺も(笑)。

午後は通常業務。その合間、冬物のコート、ジャケット類をクリーニングに出したり、ライブ用の小物を買いに行ったり。予報では本日も花粉が大量に飛散しているはずであるが、一発のクシャミも出ない。エーザイの花粉吸着クリーム「クリスタルヴェール」を鼻に塗った効果だろうか。
山っけ日和 (2011.04.15)


終日、企画、取材準備。
昼過ぎ、当道場にてSさん指導。武術家を名乗るにはあまりにも未熟なれど、気がつきゃアンタ、最近多い時は一日6時間以上も稽古しとるじゃにゃいの。

古い友人からデンワ。チェルノブイリ事故25周年に合わせた某環境セミナーの打ち上げ会場の居酒屋(ここも25周年らしい)で「その男ヨシオ」を歌って欲しいとのオファー。この一カ月、同様の「ヨシオ」出動要請が全国から10件近く寄せられ、スケジュールが許す限り引き受けている。しかし、こんなんだったら、普段からもうちょい人気あってもいいような気がするんですけど(笑)。
音楽の話題ついでに、新年度の展開として、どこかで月イチのレギュラーライブをやるべく準備中。集客を頑張らなくて良い分、短めのやつを無料でやるとか。ハイブリッド楽器「フトゥヤラ」など実験的なことにもチャレンジしたい。やはり、どんなにスタジオで音出そうが、結局人前でやらねば俺は成長しそうにないのだよ。
武術は足掛け30数年で、小さくともマイ道場と4人の門弟(来月もう一人加わりそう)を預かる身となった。音楽はそれ以上やっとる。ここらで俺もエエかげん、ひとかどのミュージシャンになってもいいのではないかと。っつーか、ならせてくれ、たのむ(笑)。

*写真:比治山の現代美術館の裏手にあるモニュメント。ちゃんとした作品名があるのだろうが、俺は勝手に「サカムケくん」と呼んでいる。

クローンvs天然モノ (2011.04.14)


終日、企画、ヒアリング、取材スケジュール調整等。

夕方、セガレを連れ、比治山に登る。以前、花見でよく利用していた御便殿跡(明治天皇の行在所跡地)に行ってみると、わずか数本を残し、ほとんどの桜が新しい樹に植え替えられていて驚く。古いものは枯れてしまったのだ。比治山だけでなく市内の花見名所のソメイヨシノは老衰状態で痛みが激しく、数年で消え往くことになるのではと懸念されている。そもそも、江戸時代末期に突然変異で登場した種で、接ぎ木で増やすしかない「クローン」(だから同じエリアでは同時に咲き、散るわけだ)。年々寿(樹)命が短くなるサイクルから逃れられない。
「トト(俺のこと)、見よってよ」と、公園の端から端を全力疾走で砂埃をあげつつ何往復もするセガレを見ながら、「自然交配」で生まれ出た天然モノのパワフルさをあらためて実感する俺でありましたとさ。

遥かなる離島の呼び声 (2011.04.13)


午前中、当道場にてJさん指導。
午後より通常業務。
来週から、2種類の季刊誌の取材行脚「春の陣」がスタートする。初っ端は、島根県の沖合約50kmに浮かぶ「隠岐の島」だ。ウホホーイ。離島フリークとしては、訪ねてみたい島の筆頭だったもので。昨年は山口県の祝島、沖縄の石垣、八重山、波照間、竹富と、未踏エリアに流れ着けた良い年だったが、今年も案外イケそうかも。
そうそう、来週月曜日に試験放送を開始するユーストTV「ゲストハウスそら屋」に続き、すでに開局済みのポッドキャスティングラジオ「ミミクル」において、「無人島の時間」というプログラムも5月中スタートを目指している。
「無人島に持っていきたい本」と題し、ゲストの思い入れのある一冊について語りあうという趣向。座右の書である島情報ガイドブック「シマダス」から、毎回一島を取り上げて紹介するコーナーあり。BGMは波音。エンディングテーマ曲は現在レコーディング中の俺のオリジナル「はてのうるまの祈りうた」だ(笑)。
え、聴いてて眠くなりそう? はい、ズバリそれ狙った癒しの番組です。リスナーを煽ってウルサイだけのラジオにゃ俺もうんざりなのです。

対等である事 (2011.04.12)

午前中、某企業会議室にて打ち合わせ。
クライアントに「ダメなものはダメ」とハッキリ伝えることが春駒レギュレーションである。それをせず、機嫌を損ねるのを怖がって言いなりになり続けると、仕事のグレードも下がり、どのみち契約を切られることになるのだ。俺はフリーランスになった瞬間から「下請け」という意識は捨て去っている。今回の原発事故修復作業を見てもわかるように「下請け」は使い捨てにされる(こういうときこそトップが現場の最前線で陣頭指揮をとらないでどうする)。
俺は最初から対等にプロの立場から自信を持って勧められるもの以外、会議の俎上に乗せはしない。
で、本日。
協議の結果、先日一旦はボツになった二つの案件のうち一つが覆って採用となり、もう一つも、再検討してくれるという。俺はすべてのクライアントに高い費用対効果を約束している。だから、簡単には諦めない。

入学式 (2011.04.11)


セガレの某附属小学校入学式にオタマと参列。
体育館に新1年生が入場するまで、しばらく待ち時間があったのだが、俺が学生時代だった頃も含め体験したことのない妙な違和感。なんだろうと思って顔を巡らせてハッとした。すでに着席している2年生から6年生までの在校生全員、背筋を伸ばし、私語を交わすどころかほとんど微動だにしないのだ。と、司会進行役のセンセが「6年生、起立!」と号令かけた瞬間、これまた一糸乱れぬ素早さで「ザッ」と立ち上がりよる。
「軍隊か?!」と怯んだのもつかの間、和やかな音楽に乗せてセガレら新1年生が入場したのち、6年生全員による「学校行事の紹介」を見て安堵、というか感動した。歌、セリフ、ギャグまで散りばめられた、ミュージカル仕立てのハイレベル・パフォーマンス。ううむ、このノリは一朝一夕に身につくものではない。某聖母幼稚園の時と同様、オタマがこの小学校へ入れたがっていた理由がわかった気がした(遅いっつーの)。

ただ在るだけでいい (2011.04.10)


午前中、街の中心部にて、甥っ子を連れ、彼の高校入学祝いの品々を物色。約束通り、俺は時計、Tシャツ、サンダルを、オタマはジーンズ2本をプレゼント。

その後、中央公園川土手の花見会に合流。梶山夫婦、久保、椎名さん&スーチャンと、メンバーも場所も、昨年とほぼ同じ。先月、大きな震災と原発事故が起こったこともあり、こうして今年も無事に相変わらずの顔ぶれが満開の桜の下に揃っていることだけで、ただただ、嬉しくて、有り難くて。
フトゥヤラ開眼 (2011.04.09)


終日雑務。

先月手に入れた新世紀楽器「フトゥヤラ」。本日は4本のアタッチメント「C、D、A、G」のいずれも装着せず、初トライとしてオーバートーンのAキーのままで吹いていると、突如、悟脱。「エヴァンゲリオン」風にいえば、A.Tフィールドが消失して初号機に取り込まれたシンジ。完全に楽器とシンクロした。
オーバートーンスタイルだと、管の先端のただひとつの開口部を掌で塞いだり離したりして音に変化をつけることになるのだが、このようなシンプルきわまりない直観的感性が要求される奏法なら、俺は充分勝負出来る。っつーか、ギターから始まり、ブルースハープ、ウクレレ、口琴、リゾネーター、ティンホイッスルなど、いずれも教則本などに頼らず「カン」だけで演奏しているわけだし。
と、タイミングよくキサダ楽器のO店長からデンワ。フトゥヤラに装着可能な小型マイクが手配できそうとのこと。ふふふ。面白い事になりそうですな。
稽古三昧 (2011.04.08)


午前中、当道場にてJさん指導。
午後からも、Sさん、Iさんと連続指導し、終了が6時。ほぼ一日中空手着のまま。疲労感ゼロ。心体育道の「無理・無駄・ムラ」を排した術理があってのことだろうが、48歳にしてこの体力は誇ってよかろう。

Sさんの稽古は、見学者があった。陸上自衛隊習志野第一空挺部隊に数年間所属したことがある、28歳の男性。習志野空挺部隊とは、パラシュートで作戦地域に降下し、敵地制圧、後方撹乱、後続部隊の血路を確保する陸自最強の精鋭レンジャーだ。彼の目にどう心体育道が映るのか、興味を持ちつつも、いつも通りの稽古(といっても毎回内容は変えている)を展開。まったくの未経験からまだ入門一年半を迎えたばかりSさんの的確でスピーディーな連続ワザは、体格や性別,年齢を超える心体育道の超絶エッセンスの生きた見本。
で、稽古終了後「こちらに入門させてください!」と。仕事の勤務時間が変則的で直轄道場には通えないようである。これ以上、門弟を抱えると業務に支障を来すかも、と一瞬思ったが、心体育道の良さをわかってもらえる方には、なんとかする。っつーか、考えてみれば、早朝あるいは夜遅い時間帯には、まだ空きがあるではないか。とりあえず、来週彼には一度体験入門をしてもらい、その後に再度意向を確認することになった。

青春とは、、、鈴木亜紀さん、、、 (2011.04.07)

ホテルの玄関先から送迎バスに乗り込んだのが、AM9:30。その一時間後には自宅まであと数分の距離まで帰っていた(宮島口に車を停めていたもので)。遠方まで足を伸ばさなくとも、格安で充分ゴージャスな家族旅行でしたとさ。

昨日、ロープウェーの終点から弥山頂上まで約30分の登山中に発生した、脳内フラッシュバック。
そうだった、30年近く前、初日の出を拝みつつ熱唱しようと、大晦日の深夜、除夜の鐘を合図にギターを担ぎ、紅葉谷から徒歩で山頂を目指したアホがいたっけ(俺だ)。
あのときは懐中電灯なども用意しておらず、月明かりを頼りにしての無謀過ぎる登攀だった。また、途中、立派な大木を見つけるたび、空手の「正拳突き」を全身全霊の気合いで打ち込んだ私。
そのせいで、頂上に着いたときは、骨折したらしくドラエモンの手のように拳が丸く腫れ上がっていたものだ(そもそもなんのために?)。
こんな非生産的イベントを嬉々として2、3年続けたのだから恐れ入る。
あ、もう一つ思い出した。
さらに数年後、「今度は浜辺で初日の出を」と同じく宮島の包ヶ浦へ行った時も事件が勃発。歌うどころか早々に酔いつぶれてテントでノビていると、ローソクが倒れて炎上。外に居た梶山シュウが気付いて声をかけなければ、焼死するところでしたな。
マッカーサー元帥が愛し、J・F・ケネディがスピーチで引用した事でも有名になった、サミエル・ウルマンの「青春」という詩に「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」なる一節があるが、俺の場合、青春とは「アホぢから」そのものである。

夜、ジュークで鈴木亜紀さんのライブ。ゲストに椎名さんと梶山。鈴木さん、なんと、俺が持っていた浜田省吾作品のカバーアルバムで「君に会うまでは」を歌っていた鈴木亜紀さんだった(気付けよ自分)。「ハムカツサンド」「こいのぼり」「港タクシー」など、初めて聴いたオリジナル曲もありありと<風景>が見え、驚愕、いや、大げさでなく。

たまには観光客になるもよし (2011.04.06)


セガレの幼稚園卒園&小学校入学記念として、宮島(厳島)へ。
快晴。
ドイツの気象庁発表では、原発事故の放射能がここらへん上空にも到達している模様。

トータルでは100回近くも足を運んでいる馴染みの島であるが、その際の「足」となるのはほとんどがシーカヤックで、宿泊する場合も無人の浜でのテント泊。弥山山頂に登るには徒歩。食料も、サザエほか、俺の珍曲「ヨーデル潮干狩り」でも歌っているように内緒のビーチで掘り出した特大アサリ、山菜などハジメ人間ギャートルズ的な現地調達スタイルを踏襲してきた。
それが、いきなり俺にとっても生涯初となる「ホテル泊」ときたもんだ。ロープウェーを乗り換えながら弥山山頂に立ち、桜咲き乱れる紅葉谷や土産物屋を観光客に紛れて散策。夜はホテルで充分過ぎる食事と大浴場を満喫。はは。これはこれで楽しめた。

*写真:紅葉谷公園に立つ、セガレ、紅葉(くれは)。「名前がいっぱい。ボクの島じゃ!」とゴキゲン(笑)。

超フラット化する社会 (2011.04.05)


午前中、通常業務。
午後より、ヤマサワEPくんと、ユーストリームTV「ゲストハウス・そら屋」の打ち合わせ。

日曜日の夜、ソフトバンクの孫正義氏プロデュース&出演のユーストリーム映像を見た。彼自身、原発事故による避難対象エリアへガイガーカウンターを手に乗り込み、危険な数値が出たエリアでは今なお退去しない住民を必死で説得したのだとか。NHKほか大手TV局が踏み込まない領域へ、というか完全なタブーとされるコメント(たとえば「風評被害をもたらしているのは、誰あろう、東電、保安院、政府、NHKだ」)を堂々と言ってのける孫さんは実にカッコ良かった。また、ゲストコメンテーターも、これまた民放メジャーが無視し続ける気鋭の有識者、田中三彦さんと後藤政志さんだったりして、これだけでもう既存メディアは完敗なのである。
俺の音楽の師匠、豊田勇造さんは、かつて「行方不知」のなかで「ピエロの時代は終わったのだ。すべてよ歌い手となれ」と歌った。
放送時間や表現の縛りが少なく、スポンサーの顔色をうかがう必要もなく、大がかりな機材もいらずスマートフォン1個あれば映像生配信できるユーストは「すべてを発信者」にする。これに高機能ソーラーなどの自家発電が加われば、電力会社が不要となり、必然的に原発も消える? さらに「個人レベル民衆間外交」と「自給自足」のプラスで政府もいらん?!
いや、ありえる。これまでは考えられなかったことが起こりえる。産業革命以来の世界の大転換機に俺らは生きている。「個の独立&完結」こそが揺るぎない自由な生き方へ至る確かな道だ。
全部見直し (2011.04.04)


終日、企画業務。といってもクライアント向けではなく、本日は自分自身の仕事内容に関する新年度施政方針の見直しっすね。「時代より、ちょっとだけ進んでいる感覚」を志向してきたが、「ちょっと」では対症療法に過ぎない。タイミング的に今回の原発事故(地震は天災、こっちは人災)は、既存のあらゆるシステム(既得権益やらも)が時代のサイズにまったくフィットしなくなったことの象徴として起こるべくして起こったものだ。
よって、俺の仕事は新しいモデルの提案でなくては意味が無い。いっぺん、すべてを否定するくらいの突き抜け具合が必要だ。
と、タイミングよく、住所不定の友人から、グッとくるメールが届いた。台湾〜沖縄と転々と住まいを移り、今は関東に居るようだ。
以下、勝手に抜粋します。都合が悪いようだったら、連絡を。

3・11のできごとが、日本人がもっとテゲナー(良い加減あるいはテキトー)になるきっかけになればいいです。
今まで過剰だったことを削減していけば、ちょうど良いくらいになるんじゃないでしょうかねえ。
働きすぎ、食べすぎ、飲みすぎ、吸いすぎ、買いすぎ、使いすぎ、無理しすぎ、
明るすぎ、動きすぎ、TVの見すぎ、ギャンブルやりすぎ、スピード出しすぎ、農薬使いすぎ、
合成洗剤使いすぎ、香水使いすぎ(いや、都会には香水で臭くなってる女性が多いよな!私も臭いけど!)、
添加物使いすぎ、道具持ちすぎ、きりがないくらい出てくるこの過剰を終わらせようやな。

そのややこしくなってる世界から、いちばんに「もうあかんねんオレ!もうええわ働くのやめたいねん!」
って言いはじめたのが原発君なのではないかと・・・。原発君は、みんなの代表。
自らパンクロッカーとなり(今さらパンクでは、30年ほどの時代遅れだが許す)、
中指立ててくれたのです。気の毒なぐらいゴクローサンです。

*写真:日に日に日射しが強まる仕事場横のビアテラス。

花見と自転車 (2011.04.03)


昼過ぎ、南区の千田廟公園にて、心体育道の花見会。廣原先生、兄弟子ほか、道場生20数名が参加。
桜は3分咲き。俺ら以外の花見客はまだ少ないが、こんなときだからこそ、被災を免れた地方の住民は普段通りでいいような気がする。
この数年、自転車ツーリングにハマり、四国や九州宮崎まで走り込んでいる廣原先生から、俺も旅用の自転車を買うよう進言される(笑)。
「自転車を長い距離こいどると、いろんなインスピレーションが降りて来るんよ」と先生。それはメディテーション=瞑想のようなものかもしれない。「瞑想」とは座禅をし、雑念を遠ざけるイメージが世間一般にはあるようだが、元々釈迦が実践し弟子にも提唱した瞑想は、テーラワーダ仏教で行われている動的なものなのだ。ヨガ、武術、音楽など、時間を忘れて没入し、その過程で自分を客観視できるとしたら、やはり瞑想になるのだろう。

*写真:花見会場にトレーラー付きのクロスバイク(街乗りからロングツーリングまでこなせるタイプ)で登場の廣原先生。大型のアイスボックスもラクに積める。先生は旅の目的別に4台所有とか。

神経の時代 (2011.04.02)

終日雑務。合間に読書。高城 剛氏の新刊「私の名前は高城剛。住所不定。職業不明。」が面白過ぎる。

「二十世紀が、テレビ、コンピュータ、デザインといった網膜の時代、目に見える時代だとすれば、これからの100年は神経の時代。目に見えないけど感じる時代、となります。科学技術的に道徳的に精神的に、今後100年かけて、自分のすべてと相手のすべてがわかってしまう時代が来るのです」

俺がうまく言い表せなかったことをサラリとあっけなく解説されちゃいました。広告表現の関するプレゼンの場でいつもクライアントに伝えているのは「徹底的に正直にいきましょう」という一点に集約出来る。今回の福島原発事故でもわかるように、嘘はバレ、メッキは剥がれ、燃料棒は溶融する時代なのだ。原発など時代遅れもいいところなのである。
虚飾をすべて捨て去った「素」の状態から、真実と未来へのビジョン提案を盛り込むのが肝要と思うのだ。また、新しいインスピレーションも舞い込んでくる。
「エリカ様」の件で、妙な扱われ方をされた高城氏であるが、この本はお勧めします。

夜、流川スマトラタイガーにて東北関東大震災チャリティーライブにソロで出演。客はギュウ詰め。

セットリスト
「その男ヨシオ」>「横を向いて歩こう」>「BeFree(withドラマー・シロタ)」
未踏のジャンル (2011.04.01)


午前中、当道場にてSさん指導。
午後より、雑務。ときどきデンワで代理店さんと打ち合わせ。

よく人に、俺が「自分で料理はしない」というと驚かれる。なんでも作れそうな気がするんだと。興味が無いわけではないが、というかすごくあるのだが、うっかり手を出してハマったらのめり込む事必至のジャンルと推測する。だから、そこへ踏み込むのは55歳からと決めている。なぜ、55か。秘密です(笑)。

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