Far East Lounge 三代目春駒小林一彦オフィシャル 小林一彦イラスト

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2011年08月の日記

白い光 (2011.08.31)


午前中、道場にて小学生Yクン指導。
その後、事務処理。
午後イチ、某企業にて季刊誌次号の構成プレゼン。概ね好評。

夕方、張式秘伝功をやっていると、突如、額のあたりに目を開けていられないほど(目を閉じた状態なのでヘンな言い方だが)強烈な白い光が出現。本を読み返してみると現在の「小周天」からもう一歩進んだ「大周天」でこれが起こるとの記述を見つけた。この修練を日課に取り入れて一年と8カ月。掌から気が自在に出し入れできたり、仕事の処理能力が速くなったり、はっきりした効果を実感しているが、超能力とかいうもんじゃ全然ない。「鉄棒の逆上がり」と同じで、やれば誰でも備わる能力。僕は純粋に、一つの生命体としての「感度」を極力高め、回りの自然、宇宙とのより深い関わりを見いだしたいだけです。
ただ、このレベルでも勘違いして「教祖」を名乗ったりするアホな連中もいるのだろう。気をつけましょう。

*写真:ミニアルバム「p.s」のリリースに先駆け、チラシが完成。「置いてやってもよい」「配ってあげよう」という殊勝な方がいらっしゃいましたらご連絡を(笑)。よろしくお願いいたします。

超瞑想法 (2011.08.30)


午前中、某デザインプロダクションの社長を訪ね、この数ヶ月間、互いに巻き込まれていたスッタモンダの事後処理について懇談。今後も随時情報交換し協力体制を維持する方向で折り合いがつく。

午後からは業務を完全オフとし、読書。
読むスピードが速くなった。苫米地英人さんの本日発行「超瞑想法」を2時間で読破。ところで「瞑想法に使えるかも(ここでいう瞑想とは煩悩を遠ざける『禅』とは似て非なるもので、架空世界の中で臨場感を極限まで高める訓練のひとつ)」と目星を付けていた映画「マトリックス」と「インセプション」の2本を、彼がそのまま推奨していてビックリ。っつーか、「瞑想」のやり方が身に付いてきたから、こういうシンクロが起こるんじゃろうて。よしよし。

行き倒れ、、、いよいよ発注、、、 (2011.08.29)


朝、目覚めると、リビングの床にパンツ一丁でのびていた私。
昨夜「のら屋」でたらふく飲んだ泡盛「残波」が効いたようで、風呂から出て、寝室までたどり着けなかった模様。最近、二日酔いはなくなったが、飲んでる途中、意識がとぶ。昨夜もチャリを「自動操縦」で帰ったみたい。転倒&ケガでもしたらシャレにならん。自重します。

午前中はボ〜ッと過ごし、午後より企画業務。
その合間、札幌市の某CDプレス業者にマスターCDを郵送。ジャケットのデザインデータもデザイナーH女史がメールで送ってくれ、あとは来月末の仕上がりを待つのみ。

*写真:一カ月間、さまざまなプレス業者を調べあげ、相見積りを出させた結果、ドロ様(椎名まさ子)が最初に紹介してくださったこちらがベストと判断。
「♪一周まわって元の位置ぃ〜、これがほんまの『チチ帰る』やおまへんか〜」という月亭可朝の名曲「嘆きのボイン」は、小学校一年生のとき、オヤジにレコード買ってもらってからの愛唱歌である。っつーか、どんなオヤジやねん?!

そら屋3回目、、、全共闘世代、、、 (2011.08.28)


午後、当アジトのビアテラスにて、ユーストリームTV「そら屋」オンエア。
本日のゲストはアシュタンガ・ヨガ広島の美人インストラクター「ゆりあ」さん(下の写真)。彼女の自然体の持ち味がうまく引き出せたような気がする。ゆりあさん、暑い中、サンキューでした。
あ、そのときの動画はこちらでどうぞ。俺はオープニングでウクレレ弾いてます(笑)。
http://www.ustream.tv/recorded/16925052

夕方、天満町の居酒屋「のら屋」にて、8/6にYMCAホールで開催された「広島平和の夕べ」スタッフの反省会。俺はその日、客として行ったのだが、イベント終了後のレセプションで急遽歌った「その男ヨシオ」の反響が大きかったそうで、招集かけられた次第。
メンバーの中には先の広島市長選に立候補し惜しくも落選した2名のほか、俺より一回り上の日本人なら誰もが知っている日大全共闘議長だったA氏の顔も。彼は映画に主演したり、岡本おさみ作詞・加藤登紀子作曲「あほう鳥」で歌手デビューもしたことがあるそうだ。30年くらい前だったか、NHKで村上龍が彼を訪ねるドキュメンタリーを見た。学園闘争の時代、当時の若者がなにを思い、変えようとしていたのか、俺にはわからないが、今のAさんはおだやかで澄んだ目をしている。それだけでいいように思うのだ。

起きろ、でかけるぞ (2011.08.27)


午前中、道場にてIさん指導。
午後より雑務処理。

この夏、のっぴきならぬ事態に度々見舞われるも、感情をコントロールしきれたのは、今年感銘を受けたいくつかの本のなかから、これはと思うスキルを取り入れて実践したからだ。間一髪、ギリギリ間にあった。もし出会っていなかったら、と思うと冷や汗もんだが、出会うようになっていたと考えましょう、そうしましょう。
これでこうなら、あれはそうなるのではないかしら(意味不明)。知識を得るのは素晴らしいぜ、まったく。脳みそが2、3個増えたような気がします。っつーか、今までどんだけ使ってなかったんやと(笑)。「現在の自分」は過去の認識の集大成じゃそうな。つまり、昨日のまんまのアタマで見えていなかったものが今日見えるわけないのである。その閉塞感を打ち破るには、ひたすら移動しまくるか素っ頓狂なほど楽しい未来を想えばいい。そのビジョンと、今現在のギャップが大きいほどよろしい。さて、遥かなるギャップをどう縮めるか。どこか行ってみたい場所があって、そこの地図を買って開いた瞬間から、旅が始まるように、肩書きや立ち位置(生まれや育ち)から一歩外れてみる茶目っ気が、新しい地平への扉を開くのだ。起きろ、でかけるぞ、の心意気。

ひと区切り (2011.08.26)


午前中、企画業務。
午後より、原稿修正依頼の対応。
夕方、某デザインプロダクションにて7者集まってのミーティング。午前中書き上げたばかりの企画、好評にて安堵す。

文章にすればたったこれだけのことである。昨日の日報に「終息がつかん」とボヤいたばかりであるが、本日、期日通り大方の案件がフィニッシュ。
激闘の一週間。さすがにときたま、分刻みで煽られている感があった。それでもフツーに飲みに行ったし、稽古終了後に空手着のまま道場生とたっぷり話し込んだり、親戚の引き起こしたモメ事の処理にあたったり、パニくることもなく乗り切れたのが一番の収穫だ。
それと、俺の「アイデア」はカネになるな、と。クライアントにも明確な数字としての利益をもたらしている。逆に、コピーライティングは儲からん(笑)。単価が安過ぎじゃ。もっとあげてもらわんと困るニャ。

宇宙旅行時代 (2011.08.25)


午前中、道場にてJさん指導。

午後より執筆業務。この夏は複数の案件が同時多発的に舞い込み、休みを返上して果敢に攻め込むも、はたしていつ終息するのやら見当つかぬほどであったが、ようやっと某季刊誌の原稿をすべてアップ。残りは2つ、いや、3つか、、、まぁエエわ(笑)。

夕方、再び道場にてS本さん指導。
その後再び執筆業務。

最近、中高年の間でミニバンを使った「車中泊」という旅の形態が流行している。旅館やホテルなどの宿泊設備を使用せず、道の駅やサービスエリアなどの駐車スペースを利用し、車内に寝泊まりするスタイル。ザックを背負って旅する者が「バックパッカー」なら、こちらはさしずめ「オートパッカー」といったところ。日本人は農耕民族的な血が濃く、決まった場所に定住する傾向が強いが、ずっと時代をさかのぼれば、人類すべて狩猟採集生活者。移動しながら暮らしていたわけだ。このような「流れ者」が増えると、日本は良い方向へ変わる可能性が高いと感じる。見てみい、民主党代表選立候補者の冴えないツラを。とても未来を託せるレベルではない。それより皆の衆、全責任を個々で背負って自由に生きようではないか。住所不定、職業不明、大いにケッコー。物乞いではない、ちゃんと稼いで自立している新しいホームレスが、クルマを「宇宙船」のごとく操って、人生の海原を旅すれば素敵だ。これをやる人が増えれば、善良過ぎる定住者のフトコロをあてにしている政治家、天下り官僚など、すべてキレイに干上がるってもんよ。

*写真:マリオカートに熱中するセガレ。この角度、オタマにいわせると俺にそっくりらしい。

求められているのは自ら仕掛ける能力だと思う (2011.08.24)


午前中、駅前のS眼科へ。使い捨てコンタクトレンズを処方してもらうためだけに、29才から約20年間、年2、3回平均で利用した馴染みの眼科であるが、本日を持って閉院。思い返せば、使い捨てレンズにしたのはコピーライターになった日からなのよ。目を酷使する業務ゆえ、メンテが楽な方がいいだろうとの判断だった。っつーか、当時はまだ珍しかったような。

夕方、某居酒屋にてデザイナーYさんと会食。一年を費やしての世界一周旅行の経験もある彼に、「もっと弾けまくってイイんじゃないですかね」とアドバイス。混迷の時代だからこそ、自らなにかを仕掛け、生み出すクリエイティビリティが求められている。誰かの指示を待ってもしょうがないし、言われたことしか出来ないような受け身の姿勢では楽しめない。

おそるべき慧眼の持ち主 (2011.08.23)


午前中、道場にてIさん指導。

午後より執筆業務。
休憩合間に高城 剛氏の「サヴァイヴ!南国日本」を読む。2007年に出た本であるが、氏の鋭過ぎる慧眼に驚く。原発事故に言及するなど、まさに今を言い当てている箇所多数。例の沢尻エリカ絡みで「正体不明の中年クリエイター」というマスコミの一方的な決めつけ報道をされたが、実際は相当に冴えまくった男である。先週はスペイン、今日は中国と、本当の意味でのボーダレスな活動を展開している氏には遠く及ばないかもしれないが、おこがましく言わせてもらうなら俺の思想と重なる部分が多い。いや、そこへさらなる広がりと深みを与えてもらった。

*写真:いよいよ来月中旬発売予定の三代目春駒featuring椎名まさ子ミニアルバム「p.s」のジャケットデザイン。このカットは、4年前、ケラマ諸島・座間味の港で当時3才だったセガレを撮ったもの。

熊野の地力、、、 (2011.08.22)


午前中、安芸郡熊野町の、由緒ある某神社を訪問。こちらのデザイナーにして若き神主でもあるKクンから「なにかイベントを仕掛けたいので知恵をかりられないか」との相談に応えての下見。ここのユニークなところは境内に6つもの社が祀られているところだ。神サンの複合ユニットとしては日本最大だろう。境内をくまなく散策しながら思いつくままにアイデアを語る。
しかし、俺んちから車でわずか30分の熊野町は、広島市内との空気感がまるで違う。熊野峠を越えた途端、他県に来たような新鮮さというのか、特別に濃い地場の形成を感知。広島の旧市街地は三角州ゆえ、「地」のエナジーはかなり希薄な気がする。

午後より執筆業務。ときどき、昨夜の会合でKさん(40代以上の広島市民なら誰でも知っているであろう有名グラタン店の元オーナーでもある)が言ってたことがフラッシュバック。
「なにをするにもオカネは必要。まず財源をどう確保するかを検討しないことには始まらない」と。
まったくもって同感である。これまで広島発のイベントには大小さまざま関わらせてもらってきた。しかし、中長期のビジョンがなく、万事場当たり的なものも少なくなかった。一番話しにくいオカネのことは、ちゃんと最初から気にしておかないと続かない、ということか。美談とされる「手弁当=ノーギャラ」も一部のケースを除き(趣旨に心より賛同出来きた場合)、持続性を考えると大いに問題ありだ。

*写真:ハイビスカス、タイタンビカス、アサガオなど合計10前後の大輪が咲き競う我が家の朝。

まずは耳を傾ける (2011.08.21)


朝から大雨洪水警報。
終日、書類の整理、身体鍛錬etc。

夕方、天満町某所にて新しく発足した、とあるミーティングに参加。
人は通常、自分の興味の在る物・ことしか認識できない。意識を拡充したいなら、他人のセンサーを利用するのが効果的、との判断から、俺の感知していない面白そうな情報があればと思って顔を出した次第。
朝崎郁恵さんの広島初のライブを11月に自主企画しているMさん(知人の奥方でした)や、前々から一度話しを訊きたいと思っていた某活動グループのメンバーであるEさんと出会えたりと、それなりに収穫があった反面、持論を一方的に主張しているだけにしか見えないシーンも多々あり。こんな空気は俺の趣向ではないし、なにか一方向への思想を結束して実現するというスタイルとも同調するつもりは基本的にない。今後も他者を尊重し「いろんな意見を訊いてみる」というスタンスは継続していくが、相手にも「自分と異なる考えをまず受け止めてみる」という柔軟性が欠けていると、ディスカッションは成立せん。もちろん威圧的な物言いもNG。「やはりこういう会は難しいな」と思いつつ、Kさんに誘われ、明日は別の会合に行ってみることにした(笑)。

*写真:スコールの合間にときおり強い日射し。まるで亜熱帯。

寄る年波 (2011.08.20)


午前中、妻子、甥っ子をそれぞれ「東雲屋内プール(セガレの水泳教室)」「スタジオDUCK(甥っ子のドラム練習)」へクルマで送り迎え。合計4往復す。
20代の頃、休日の行楽地や複合スーパーで、家族のために奔走して疲れ切ったのかベンチで惚けるトーチャン連中を見るにつけ「こうはなりたくない」とやや蔑みの目で見ていた事を思い出す。親になってわかったよ、あれは種の保存に忠実なオスとしてのしごく当然な、尊い献身であったのだと。ひとつ違うのは、俺は今のところ全然疲れてないのが有り難いやね。

夕方、市内某所にて、疲れていないどころか、すこぶる強健な心体育道・兄弟子Oさん50才のお誕生日会。先月は廣原先生、その前6月が兄弟子Sさんと、今年は先輩諸氏が続々と大台へ突入。で、今年はこれで一旦〆となり、来年10月にはこの俺の50才(どひゃ〜!)の誕生日会を催してくださるそうな。ふはははは。

その後、PICOへ。十数年続いた広島の夏の風物詩「パーカッションキャンプ」が、年々メンバーの集まりが悪く今年ついに休符。かわりにPICOへ場所を移して一夜限りのパーティーを、ということになったと。到着時には宴もたけなわ、レギュラーメンバーがぎゅう詰め状態で、雰囲気的にはまんまパーカッションキャンプ。若手もいなくはないが、やはり高齢化著しく、「野営」という形態が体力的にシンドくなってきた人が少なくないと見る。武術にしても音楽やるにしても「寄る年波」と、どう向き合うか、今後の重要なテーマになりそうな気がする。っつーか、すげえジジババを目指すのみ(笑)。

ギタースタンド、、、個人主義のススメ、、、 (2011.08.19)


午前中、道場にてIさん指導。

午後イチ、大手町のK楽器へ行き、注文していた5本立てのギタースタンドを受け取る。
帰って早速組み立て。脚となるフレームのネジ止めの穴の突起部分がセンターになく、左右どちらかに持ってくるかで5ミリ以上の開きが出るというのに、説明書にはそれに関する記述無し。これで上手くハマるのでせうか。しかして、上部のラックから垂直に延びるフレームを差し込んで笑ってしまった。穴の位置が外側or内側のどちらにきても大丈夫なようになっていた。これを設計したのはアメリカ人だろう。テキトーなのか、合理的なのか。

3.11から約半年が経過しようとしている。その間、この国のシステムの欠陥がありありと見て取れた。今後、価値ある未来を拓くなら、そのスタイルは「徹底的な個人主義」であるべきと思う。個々人が「一国家」となり、外交、エネルギー政策、食糧問題を含めたほとんどを自分でまかなうのがいい。中央集権システムからの離脱、昔で言うと「脱藩」だ。3年後をメドに、ボクは準備に取りかかることにします。

*写真:例のギタースタンド。エレキなら5本だけどアコースティックなら3本が限度だな。

シンクロ率アップ (2011.08.18)


広告代理店もデザインプロダクションも通さずに知人から直受けした某案件で、カメラマンA氏、デザイナーM氏と終日、五日市の某海沿い屋外にてフォトセッション。午前10時スタートでバス3台、タクシーや特殊車両など合計9台の外観と、その内部を撮りまくり、フィニッシュが夕方5時。A氏の集中力に感嘆す。
「薄曇りで良かった。もしピーカンだったら、途中でぶっ倒れてましたよ」とA氏。しかし、今日はこのようにベストな撮影日和になることは決まっていた、とも俺は思うのである。仕事によっては「念力」が作用したとしか思えない瞬間がある。で、今回はそれが連続で起こっている。なにしろ予報では、今日は雨が降るはずだった。雨天の場合は当然中止だし、逆にピーカンだと、A氏が言うように体力が持たなかったろうし、車体がテカテカし過ぎて非常に撮り辛い。計3日間ロケハンして探しだした場所も最適だった。
っつーか、「念力」は大げさだな。環境や事象とのシンクロ率が高くなった、みたいな。状況を良い方向にリードする感覚で、全然無理はしていないのだ。

*写真:タイタンビカス、3つの大輪が同時開花。ツボミの具合では明日はさらに多いかも。

武術を愛する私たち(笑) (2011.08.17)


午前中、道場でYくん指導。
昼過ぎ、里帰りしていた妻子を迎えに行き、夕方は再び道場にてS本さん指導。

稽古後、元・習志野空挺団のS本さんと武術、仏教、ヨガ、気功、シュメール文明などの相関性について、しばし話し込む。
脳を基軸とした身体能力開発の結果、到達できる最高峰の領域があるとする。その頂点へ向け、ある人はヨガ、また別のある人は気功というルートをたどって目指している。で、我々が思うに「武術」という道は、ある種独特なものではないかと。武術(護身術=心体育道)は、暴力によって生命を脅かされる緊急事態・危機的状況からの回避が主目的であり、それゆえ、ほかのメソッドに比べ、本能的な部分へ働きかける効果がより大きい気がする、ということで意見が一致。入口がいきなり「調和」「友愛」「平和」は理解し難い。それは「結果」として体得しなければ、ただの「キレイごと」でしかなかろう。武術を志向する我々は脳を含む身体を総動員して「理」を求めていく。好戦的なわけでは決してないのだ。

*写真:グラスに氷を入れて味わうタイプの「アイスビール」。期待していなかったが、意外とウマイ!

3点セット、、、スタジオで読書、、、 (2011.08.16)


午前中、当道場にてヨガ・インストラクターYさんの体験入門。

午後、デザイナーのHさん、Mさん来宅し、打ち合わせ。後半、俺が日課の鍛錬として取り入れている倍音声明、張式秘伝功(ぷるぷる気功)の話で盛り上がる。二人とも「やってみたい」というので、少し指導。っつーか、実に簡単ゆえ誰でもスグできてしまうのだ。過信は禁物。それを重々承知で言わせてもらうと、これに心体育道の「西式」を加えた3点セットを毎日続けるだけで、成人病を患う可能性は激減する!、、、、気がします。

今夜も妻子が居ないので、なにか変わったことをしようと思いついたのが、エアコンの効いた音楽室にてビール片手に読書。これはいい。なぜ今まで気がつかなかったか。音を出すだけでなく、外部音を遮断するので真空のような静けさ。
はるかなる喜寿 (2011.08.15)


昼、父親の喜寿のお祝いで、某ホテルレストランに親族揃っての会食。数え年77才か。俺も含め、その後に続く世代が、どんな道のりをこれから歩むことになるのか。考えてみれば、この街に原爆が投下されたのは66年前だ。今は戦時下ではない、というだけのことで、平和な世の中とはとても言いにくい。良いビジョンを保持するのは難しいが、挑む価値はある。災厄があったとしても口笛吹きながら跨ぎ越え、楽しく過ごしたい。

オタマとセガレが二泊の予定で里帰りしたので、久々の独り身の夜。こんな日に限って野球中継もナシ。ううむ、この家、広すぎるで。
五色の旗、、、つぎはぎの墓、、、 (2011.08.14)


海田〜祇園〜大手町と、墓参りツアー。
「葬式仏教」と揶揄される、日本独特のスタンスであるが、お盆の風習は風物詩として誇って良かろう。祇園から大手町に向かう途中、寺町のど真中を通った。両脇に立ち並ぶ各寺院に掲げられたカラフルな仏旗(ぶっき)が夏の青空に翻る図は美しかった。ちなみに旗の5色は青=定根(じょうこん)、黄=金剛(こんごう)、赤=精進(しょうじん)、白=清浄(しょうじょう)、オレンジ=忍辱(にんにく)を表しているそうな。

さて、最終ポイントの大手町には祖父ヨシオとその祖先の眠る墓がある。原爆ドームからの距離は2、30メートルしか離れていない。こちらの先代住職の奥さんの生前の証言によれば、原爆投下時、ヨシオの墓を中心(もちろんこの時ヨシオは墓に入っていなかったが)として、放射状に墓石が散らばっていたそうな。つまり奥さんによれば「あんたのお墓こそ爆心地」だと。
そんなことを思い出しながら、ふとヨシオの左隣にある奉る人もいない寂れた墓を見てギョッとした。墓石から順に下へ、上台、中台と、すべて異様な亀裂が入りまくっているではないか。っつーか、一度バラバラに破壊されたものをコンクリで繋ぎあわせている。墓石の「ブラック・ジャック」といったところか。ざっと見た限りではヨシオの墓を含め他はみな戦後新調しているようだから、ひょっとするとこれは被爆墓ということになるのだろうか?今まで気付かなかったのも不思議。

夏バテ知らず (2011.08.13)


終日、雑務。
夕方、ドロ様(椎名まさ子)宅へ。マエストロまー坊氏より「一カ所修正したいところがある」とのこと。俺の耳では判別し難い微妙なレベルをしっかりフォローしてもらって有り難い限りである。

今年に入ってず〜っと脳内視野&身体感覚のフルオープン状態が続いている。張式気功や倍音声明などが大いに役立っているが振り返ってもストイックに修行してきたという実感はまるでなく、むしろ、楽しんでやっている。どちらもあまりの簡単さゆえ、やり初めの頃はやや軽視していたところもあったが、今や毎日欠かしたくない主要なメソッド。たとえばこれをカープの選手が取り入れたなら、パフォーマンスは最低でも2、3割以上アップするとみている。精力アップの効能は笑いが出るほどで、十代ならまだしも、アラフィフ(アラウンド50)の俺が、毎朝「朝立ち」があるんですぜ(笑)。方法を教えた10人近い20〜60代男性も大体1週間で効果を確認している。続けている人は、俺同様、夏バテなど無縁じゃろうて。けけけ。
低速前進 (2011.08.12)


午前中、季刊誌の取材で、西区商工センターにある某システムキッチンメーカーを訪問。
取材後は、五日市材木港にて、別件の撮影のためのロケハン。

昼過ぎ、椎名さん宅にて、ミニアルバム「p.s」の再度ミックスダウン。前回の課題が、クリアされたどころか、さらなる高みにタッチダウンできた手応えあり(マー坊サンキューでした!)。来週中にはこのマスター音源、ジャケットデザイン、チラシ含めすべてデータを業者に送れそう。あなたの手元にお届け出来るのは来月20日あたりになると思います。

夕方、ひたすら雑務処理。最近、この煩雑な仕事こそもっとも重要と認識している。停滞の原因は「保留」である。「終わらせる」ことで次のステージへと進める。
盆の準備 (2011.08.11)


午前中、当道場にてJ氏指導。
昼イチ、パルコの某楽器店でウクレレ用スタンドを購入。ホントはギターが数本まとめて置けるスタンドが目当てだったのだが、値段が安い分かなりチープ。こんな脆弱なスタンドに俺の愛器をまかせるわけにはいかん。日を改め、K楽器を訪ねることにしよう。

夕方、再び道場にて、S本さん指導。2コマで合計4時間超。おかげで体調すこぶる良好。
さて、明日は某季刊誌秋号のための最後の取材。これが終われば盆は打ち合わせもデンワもなく、執筆に没頭できる。あ、美女からの飲みのお誘いは大歓迎っすよ〜。うひひ!
この顔にピンときたら、、、突破せよ、、、 (2011.08.10)


午前中、某季刊誌の取材で五日市の某ファミリー銭湯を訪問。名刺を渡すと「顔見た瞬間、あ、春駒さんだ!ってスグわかりましたよ」と笑顔で店長氏。ちょうど一年前、この近くの太光寺で開催されたスピリチュアル系イベントで歌った俺をご夫婦で見ていらっしゃったんだと。
「特に『夫婦蛸』という演歌、素晴らしかったです」
マジ嬉しいことです。一度のライブで顔と歌をしっかり覚えていただけるなんて。

午後より執筆業務。さすがに少々疲労気味っす(笑)。最高に多忙なり。先月からほとんど無休で突っ走って来たんだから無理もないが、かまわず続行。俺は「頑張った自分へ」などというフニャけた発想が好かん。まだ余力があるのに自分で低い限界を設けて陶酔するな。傍目には常にフニャけてろ(笑)。でもって、気の利いたジョークのひとつでも飛ばしてみぃ(シモネタでも可)。そこにこそ人としての真価がある。
支えられているということ (2011.08.09)


6時起床。窓を開けると、大島瀬戸の涼やかな潮騒。ああ、海のそばってサイコーですのう。
10時半にチェックアウトし、一路広島へ。そんなにぶっ飛ばしたわけでもないのに、1時間ちょいで帰宅。近いね、周防大島。

午後から執筆業務。その合間、トレーニングの最中に、ある事実を思い出してドキッとする(なにかに集中しているときは脳がニュートラル状態=止観に近いのかヒラメキが多い)。
数ヶ月前、オタマに「今年はイッペン、俺の歌を中沢啓治さんに聴いてもらわにゃいけんの」と言ったのだ、確かに。オタマに確認すると、やはりそうだった。口にした時、根拠などあるわけがない。ただ自然に、そのようなことが望ましく思われ、同時にリアルな臨場感を得た。
そしてさらに、もう一つ。7月末の時点で、これまたオタマに「世の中には、この俺を8月6日に広い場所で歌わせてみようと考えるユニークな御人はおらんもんかのう。たとえばアステールプラザ大ホールで、とか。だはは!」っつーようなことをホザきました、ええ、ええ、確かに。
で、ホンマに叶ったではないか。
これを偶然と観るかどうか。もちろん俺はエエ方にとる。例によって過信はせんが、俺は良き人々に絶妙なタイミングでサポートをいただいている。有り難い事です。感謝せねば。

*写真:プールで顔をつけて泳げるようになったセガレ。2mくらいだけど(笑)。

島で騒ぐ (2011.08.08)


家族と高一の甥っ子を連れて、周防大島へ一泊旅行。
まずは片添ヶ浜にて、今年初となる海水浴。ティーンエイジャーからオバちゃんまで、俺のカラダをなめ回すような視線を送ってくる(笑)。若いモンでムキムキはアリとしても、白髪のオッサンの場合は珍しいようだ。俺にとってはフツーだし、オヤジは58まで現役の競輪選手として突っ走ってきたのだ。というか、日本人の中年はハラ出過ぎだっつーの。それこそアブノーマルでしょうに。

昼過ぎ、周防大島の入口まで戻り、老舗旅館「大観荘」にチェックイン。部屋は眼前に大島瀬戸の潮流を望む露天風呂付き。早速、代わりばんこに風呂に入り、プールでも泳ぐ。25mを息継ぎ無しの潜水で軽々泳ぐ俺もスゴイよの。しかし、全員ハシャギ過ぎたようで、セガレと甥っ子は8時過ぎ、親たちも9時半に轟沈す。

*写真:部屋に備え付けの露天風呂に浸かるオタマ。リニューアルしたばかりの宮島水族館かっつーの(笑)。

ありがたい事 (2011.08.07)


午前中、執筆業務。明日から一泊予定でプチ遠征のため、10日締め切りの複数の原稿をあげにゃいかん。もう必死っす。

午後、道場にてIさん指導。
夕方から再び執筆。
各方面からミニアルバム「p.s」に対する「まだかいな」コールが続出(笑)。はは、もうちょい待ってくださいまし。ここまできたら、納得できるまで粘りたいのだ。その分、間違いなく良いものをお届けできると思いますので。今週中に、ジャケットだけでもチラ見せいたします。あ、「myspace」で試聴できるようにもしましょうか。多くの方に期待してもらえていることがホンマにありがたいです。
頼もしいアキニたち、、、はだしのゲン&ヨシオ、、、 (2011.08.06)


午後イチ、広島アステールプラザ大ホールで開催された平和祈念ダンスイベント「I PRAY」の音楽枠に上綱克彦さんと出演し、「その男ヨシオ」を歌う。共演は、高尾六平さん(峠三吉の詩を朗読)、南一誠さん、パンフルート奏者の岩田英憲さん。皆さんそれぞれ確たる地位を持っていらっしゃるのに、手弁当での参加とか。ほとんど初公開という一誠さんの弾き語り、たどたどしさゆえ(失礼)心に沁みた。六平さんの語りにも泣かされそうになったし、岩田さんの音色も鎮魂の日にドンピシャ。そして上綱さん。初めて生で聞く「青い瞳のステラ」は情景がありありと目に浮かび、これまた涙腺決壊寸前。男気に溢れた頼もしいアニキたちである。

出番を終えると「はだしのゲン」の原作者である中沢啓治さんの証言を聞くためタクシーでYMCAホールへ。「ゲン」で描かれている物語は、中沢さんの人生そのものであることを再認識。それにしてもなんだこの焼けるような痛みは。随分前にTVインタビューで同じ事を聞いているはずなのに、子を持つ身になったからなのか、爆風でつぶされた家の梁に頭を挟まれ、「おかあちゃん、あついよ!」叫びながら焼け死ぬ彼の幼い弟「ススム」の話はホントに耐え難いものだった。戦争をやりたければ、やりたい連中だけ集まってやればいい。だが、非戦闘員を巻き込む戦争には微塵の正義も存在しない。
公演後、YMCA別館にて交流会。約60人が参加。ステージが用意してあり、奈良からやって来ていた親子による詩の朗読(またしても峠三吉)、サンシン演奏、気功の実演(笑)など実に多彩。
と、主催者の一人である女医の河野美代子さんがいつのまにか背後に立っており「春駒さんも、もちろん歌ってくれるんでしょ?」と(笑)。もう随分ビールを飲んでいたのだが、会場には中沢さんがいる。「その男ヨシオ」のサビ部分「オリャ、オリャ、オリャ、生きたるんじゃ!」は、俺のヒーロー「ゲン」の叫びでもあるのだ。ここは一発気合いを入れ直してウクレレを持ち、本日二度目となる「ヨシオ」を熱唱。はたして、中沢さんはイスから身を乗り出して聴き、とても喜んでくれた。
「ゲン」は「啓治」であり「ヨシオ」でもある。それは原爆投下後のヒロシマやナガサキだけでなく、今回の東北大震災でも現れたはずだ。数えきれないほどの名もなきヒーローよ、勇気をくれてありがとう。

先輩おそるべし (2011.08.05)


終日、執筆。
明日、8月6日は広島アステールプラザ大ホールで開催される平和イベントで「その男ヨシオ」を歌うことになっている。声をかけてくれたのは元「柳ジョージとレイニー・ウッド」のキーボード奏者で現在もサウンドコンポーザーとして活躍中の上綱克彦さん。数日前、突然デンワがあり、急遽出演することになったのだが、面識のない彼に「ヨシオ」を歌う俺を熱烈プッシュしてくれたのは音楽仲間のTさんだった。それにしても自分の出演枠を削ってまで、会った事も聞いた事もない俺をステージに立たせる上綱さんって、器がでかい。マジ驚きました。9つくらい上で崇徳高校の先輩でもある。っつーか、同じく出演予定の南一誠さんも崇徳ですね。わはは。キンチョーの夏!
明日を想う (2011.08.04)


終日、執筆。
夕方、道場にてS本さん指導。
夜は天満町の居酒屋にて、とある会合。メンバーは俺より一回り以上の人がほとんどで、元・某国立大学全共闘のメンバー(笑)。激しい季節を生きたかつての若者が、その時どんな夢を見、それから数十年後の今、なにを思っているのか、俺には想像がつかん。というか、今だってたいへんな時代だろう。俺はささやかであっても、子供たちが希望を託せるステージを用意してやりたい。ただただシンプルにそう思うのだ。
役者が揃った? (2011.08.03)


午前中、廿日市の某企業にて打ち合わせ(しかしまいにちうちあわせじゃの)。
午後より、執筆業務。その合間にデンワで取材日の調整など。
夜、執筆しつつラジオでRCCカープナイター。栗原が2打席連続ホームランで4連勝。昨日から廣瀬選手も復帰。ようやく役者が揃ったのか?

7月末から季刊誌2種の企画・取材・執筆、プレゼン、新規案件、ミニアルバム「p.s」制作のためのあれこれ、ライブ、ネットTV放送等、数えてみたら10近いプロジェクトが同時進行。これに週数コマの武術指導が入っている。おまけに連日の猛暑だ。少しくらい疲れても良さそうなもんだが、むしろますます元気になっている感じ。ま、何ごとも過信せず、油断せず。カープみたいに(笑)。

*写真:季刊誌の取材・執筆月間に突入すると、幅3m以上あるデスクが資料で埋め尽くされる。普通のライターはここまでやらない。常にその先のレベルを目指すのが春駒レギュレーションである!(エラそうに)

境界線、、、「ヨシオ」出動要請、、、 (2011.08.02)


午前中、雑務処理。
午後、某企業にて打ち合わせ。
仕事と趣味の境界線が限りなくゼロに等しい俺であるが、企画立案・コピーライティング・ナレーションに対するスタンスは、音楽や武術のそれとは明確に違う。広告・執筆業の成果物は絶対に「作品」には成り得ない。なぜなら、そこにはクライアントのニーズが最優先されているから。変わらないのは、「のめり込み具合」「熱情」といったところか。しかし、きわめて近い将来、作家デビューを成し遂げたらどっちなんでしょうね(なにをいまからしんぱいしているのだおれは)。

夕方、とある方から、8月6日に市内の某大ホールで「その男ヨシオ」を歌ってくれないか、とのデンワ。もちろん快諾。ヨシオじいちゃんも喜んでくれるだろう。詳細はいずれ。っつーか今週末じゃん?!

繋がり、、、明滅する宇宙、、、 (2011.08.01)


午前中、気功やら倍音声明やら。もう、決まった時間にやることにこだわるのはやめだ。取材月間に入れば一日のルーティンなど吹き飛んでしまいますからな。スキがあったら、果敢に攻めるべし。

午後、某デザインプロダクションにて打ち合わせ。このプロダクションとのタッグは初めてながら、見知った顔もあり、広島の狭さをしみじみ感じる。2、3人たどれば、必ずどこかで繋がっている。

夜、当アジト屋上にて、セガレと花火。幼児も今ではすっかり少年。火花に照らし出され明滅するその横顔が、俺の過去の面影のフラッシュバックのようであり、ドキッとする。いや、時間には未来も過去も現在もないのだろう。時間はどの方向にも流れていない。すべてが同時に存在する。宇宙は、不思議だ。

*写真:でんじろう先生の「おもしろ科学マジック」に興じるセガレ。この表情は完全にオタマ似である(笑)。

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