Far East Lounge 三代目春駒小林一彦オフィシャル 小林一彦イラスト

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2011年11月の日記

期日あればこそ (2011.11.30)


昼過ぎまで、緊急の修正依頼に対応。

この秋の超過激スケジュールを乗り切った結果、企画・取材・執筆を手がけている2種の某季刊誌は、合計30冊を達成。自分のことながら「お見事!」としか言い様が無い。なぜ乗り切れたかと言えば、ニーズとオファーがあったのは当然として「期日」があったからです。ケツを設定すれば、あとは抜群の集中力を発揮してガムシャラに突っ走れるのです。
なんだ、そうだったんスね、といったカンジだが、この発見は大きい。
で、クライアント、代理店、プロダクションの3者不在、オファーもないのまま、来月よりいくつかの自主プロジェクトに関し、「期日」を勝手に設けて挑むことにした。現在、クリエイター界で一番悲惨な扱いを受けていると定評のある哀れな広告文案屋(コピーライター)に従事しながら、とりあえず家族3人を養い、好きなこと(カネがかからんものばかりだが)をやれるくらいの収入は得ている。同業の某人いわく「たいしたコネがあるわけでなく営業もまったくしていないフリーランスではヤンバルクイナくらい珍しい」げな。
で、WWFから絶滅危惧種に指定される前に、とっとと新事業へとシフトせい!と俺の中の魂の声が怪鳥のごとく叫ぶのである。なるほど、それなら合い言葉は「アチョー!」でいくか。いや、かつて宮崎はフェニックス動物園にてオスのダチョウから求愛のダンスを受けた俺としては、どうせならメスからプロポーズされたかったと咽び泣くより、そろそろ潔く退路を断ち、ニコヤカに新しい地平を目指すがよかろう。
早速、来月から。っつーか、明日じゃん?!

久々のライブ予定 (2011.11.29)


6時半起床し、倍音声明20分、西式3種、ヨガいくつか。
朝食後、昼前まで道場に籠り、独り稽古。
日中雑務。

さて、西区天満町の某居酒屋マスターから12月25日(日)に「うちの忘年会で歌ってくれないか」との出前ソロライブのオファーあり。狭い店だが酒も食べ物も抜群に美味いスポットとして知られており、やるとしたらチャージは飲食フリー料金込み2000〜3000円になるらしく、間違いなくオトク。もちろん一般参加大歓迎。
さらに、遅ればせながらミニアルバム「p.s」のレコ発ライブを来年2月28日(火)に広島市中区「ジューク(専門の音響チームが入ったらしい)」でやることになりましたで〜。パチパチパチ!共演はもちろん椎名まさ子さん。詳細はまたアナウンスします。

そんなわけで、この冬からライブ活動もいよいよ加速する!、、、のか?
いや、マジなハナシ、今後は小さいスペースでの出前ライブも積極的に増やしていく所存。アナタのお宅、農家の庭先などでもオッケーよん。出演依頼はお気軽にっ。

*写真:思索室としてのプチ改装が進む、当アジトのペントハウス。

夢のある話 (2011.11.28)


終日、事務処理、身辺整理等。

先日の明け方、地震で目が覚めたあとのハナシ。
そのままうつらうつらしていたら夢を見た。当アジトがここに立つ前の前、つまり「喫茶こばやし」を建てる以前の、中学3年まで住んでいたオンボロ平屋(元は戦後建てられた某成金の別荘だったと聞いている)の和室に俺はいた。
「おお〜、懐かしいっ!」室内を眺めながら喜んでいると、ふとわかった「これは夢だ」と。夢はほぼ毎晩見るが、夢の中で夢を見ていることに気付いたのは人生で2度目。ほ〜、おもしろいじゃん。せっかくだから遊んで行こうと、まずは梁にブラ下がって懸垂(笑)。腕に力をこめて体を引き上げると、埃を被った欄間が目前に迫る。意のままに体が動かせるし、夢が覚めることも無い。欄間の造詣もディテールまで確認でき、そのあまりのリアルさに急に不安になった。ひょっとして、別のパラレルワールドに紛れ込んでしまった?戻れんかったらシャレにならん。手を離して着地し、和室から廊下ごしに台所をうかがう。人の気配がする。そこへ行き、今の俺より若いオフクロに会うとますますヤバイ気がして、いかん、目を覚まそう、と決意した瞬間、たちどころに覚醒。このような夢の中での戯れが、訓練で行き来自由自在となるなら、広島に居ながらにして世界の南国リゾート巡り、いや宇宙旅行なんつーのも可能になるかもしれんな。まさに夢のある話ではないでせうか。
ちなみに本日、オタマが語るところの昨夜の夢もなかなか傑作。とある船上レストランでのたった数時間のバイオリン演奏終了後、ギャラを30万円もらって舞い上がり、さらに「領収書を書いていただけますか?」と差し出されたのが「パンツ」だったと。「ペンのインクがにじんで書きにくかった」そうだが、それこそパンツが出て来た時点で気付けっつーの(笑)。

ペントハウス、、、カスタムナイフ、、、出会いの力、、、 (2011.11.27)


終日、雑務。
当アジト4F屋上の2帖半ほどの棟屋スペースを「ペントハウス」にすべく、あれこれイジる。軽目のウエイトトレーニング用に設置したベンチ&ダンベルのほか、折りたたみ自転車、タライ、ホース、キャンプ用テーブルセット、物干竿などが乱雑に投げてあるだけの、ほぼ物置状態。しかし、晴天時は厳冬期でも暖房なしで暑いくらい陽当たり抜群。4Fゆえ眺望も良ろしい。筋トレだけに使うのはもったいないのだ。小さめのデスクでも置けば、思索にはもってこいの隠れ書斎となる。敬愛する作家、丸山健二はかつて「男には塔が必要だ」と言った。仮称「達観楼」とする。

昼過ぎ、チャリで1分の南区民センターで開催中の第17回・広島カスタムナイフショーへ。知人の郷坪忠彦さんは、最近開発したばかりのハンドル成形技術を施した新作を展示。ナイフを超え、芸術品の域にある。以前、心体育道門下生だった彼の長男クンは京都の美大を出て、整体師として活躍しているとか。さらに、パーカッショニストやフラメンコダンサーであった奥方は、最近白島で呉服店を開いたのだと。「まったくワケのわからん妻子です」と笑う郷坪さんご自身も、良い意味でアブノーマルなオリジナリティを備えてますぜ(笑)。

夜、オリエンタルホテル1F「ニューヨークカフェ」にて、うつせみ商会・第二回公演「ビッグアップル」を久保と鑑賞。今回も、なにか新しい表現形態で風を起こそうとする熱意は充分伝わってきた。
客席には、梶山シュウの古い友人Kくんの姿も。並木通りにあった「タクト」というライブカフェに、ほぼ月イチペースで梶山との2人ユニットで出演していた頃に一度聞きに来てくれ、それ以来だから20数年ぶり。当時彼は全国を回る劇団のメンバーで、広島公演の合間を縫って駆け付けてくれたのだった。生活も楽ではなかったようだが、どんな役にも渾身の思いで打ち込む彼を、梶山は「アイツには負けられんのよ」と言っていたように記憶している。人生、いろんな局面において、進むべき道を言葉ではなく行動で指し示してくれる人物が現れるものだ。俺もそんな出会いを大切にしたい。

*写真:カスタムナイフショー会場にて。右が郷坪さん。このイベントには、広島だけでなく、全国から著名なクラフトマンが集結。原始の時代から、人間の爪や牙として食糧を得る手助けをしてくれ、時に身を守ってくれたナイフに、男は本能的に惹かれるのである。ちなみに僕は郷坪さん作のキッチンナイフと、今回も出品していたジュエリーデザイナーでもある宮尾真さんのミニナイフ、グリップがクルミ材に加工されたカッターナイフを愛用しています。っつーか、ハンティングやっていた時に使っていたものも含めると全部で10本以上はあるかも。

観葉植物大移動 (2011.11.26)


終日、30鉢を越す観葉植物の配置換え。
これから気温が5℃以下になると枯れてしまう可能性がある、ベランダや共用階段など置いていたハイビスカス、パキラ、ガジュマル、モンステラ、ヒメモンステラ、コーヒーの木、エアプランツなどはすべて室内へ。夏の間に伸びまくった枝も大胆に剪定。入れればオシマイではなく、見栄え良く、邪魔にならないようレイアウトするのがこれまた愉しくて気がつけば夕方。
で、集中したリビング・ダイニングは、マリモも入れると全14種16鉢がひしめく植物園の様相になりましたとさ(笑)。っつーか、夏より南国っぽくなりよった。暖かく過ごせそうです。

*写真:亜熱帯の密林を翔ぶ、電球鳥。

個の覚醒 (2011.11.25)


明け方、「あ、来るな」と思って目が覚め10秒後に揺れ。念のため、フトンからはい出してTVで確認すると広島南部は震度3。震源地は2日前と同じ広島県北部。その後、5時前にも弱い揺れ。
朝方の地震は1995年1月17日の阪神・淡路大震災を思い出し、落ち着かない。あのとき広島もけっこう揺れて、すぐラジオを付けた。最初は「タンスが倒れ、軽いケガをした方がいるという情報が入りました」みたいなのんびりムードだったが、時間の経過とともに、甚大な被害状況が続々とアナウンスされだし、緊迫感が高まっていったときのイヤな気分を思い出す。
逆に東北の震災は真っ昼間で、TV画面にリアルタイムで映し出されるヘリコプターからの津波映像は、パニック映画のCGのようで、いまこれが現実に起こっているとはどうしても信じられなかった。イメージの範疇を越えると、人は思考停止に陥るのだ。昨夜、今年の夏に亡くなったSF作家、小松左京さんの特集をやっていた。阪神・淡路大震災後、人間の創造力の欠如がこの災害を拡大したとの警告レポートを出したそうだ。東北震災後、政府、東電、TV局の御用学者・ニセジャーナリストたちが「想定外」を連発するのを見て、今回もまた「人災」の部分が相当大きいと僕も認識した。かといって、政府や官僚に変革を期待しても意味が無い、ということで、やっぱり「個の強力な覚醒」が肝要と思うのです。

*写真:今月初めに府中市にある「スピングルムーヴ」を取材した際、「これもご縁ですから」と、いただいてしまった革製高級スニーカー。靴ひもをオリジナルのベージュから300円で買ったブラウンにチェンジしたら、男前度がさらにあがりましたとさ。ちなみにこのスニーカー、リペアにも対応してくれる。この分野では珍しい「売りっぱなしにしない」心あるメーカーなのだ。

武術三昧までもう少し (2011.11.24)


午前中、道場にてJ氏指導。
午後より雑務。
夕方、再び道場にてS本さん指導。

この秋は取材&執筆業が半端無く忙しかったが、武術&身体修練の時間も昨年の2倍くらいになるかも。ここまでくりゃもう、徹底的にいこうと。午前中のどこかの時点で、指導とは別の自主稽古ワクをさらに確保したい。さらに早起きしましょうかね。しかし、空手をやり始めた15才(極真会芦原道場広島支部と高校の空手部「松濤館流」に同時入門)の頃、まさか50目前になって武術漬けになっているとは予想だにしなかったが、自分のやりたいようにやっている。ただそれだけ。これからもこれでいく。正直、年齢なんてまったく気にならん。

*写真:本文とはまったく関係がありません(笑)。

しりあがり寿さんのワークショップ (2011.11.23)


午後、広島市現代美術館へ。現在公開中の「秋山祐徳太子+しりあがり寿/ブリキの方舟」展にあわせて本日のみ開催される「新・オヤジの小言会議」に一般公募から選出された「議員」として参加するため。座長はしりあがり寿さん。なんでも、しりあがり氏がかねてより興味を抱いていた福島は大聖寺の和尚「暁仙さん」なる人物が、父親に言われた小言を集めた「親父の小言」なる原典があると。「朝きげんよくしろ」「年寄りをいたわれ」「義理は欠かすな」というようなわかりやすいもの。それを現代風な観点から新しく編さんしよう、それをついでに広島でやってしまいましょう、という企てだとか。
さて、実際にはどんな作業をするのかさっぱり見当つかぬまま、指定の時間に地階ミュージアムに行ってみたら、楕円形に立派な会議用のデスクとイスがセッティングされており、議員20名の名が書き込まれたプレートが所定の席に置かれていたりして、大いに怯みました(笑)。また、少し離れたスペースにはギャラリー用の席が設けられ、また映像カメラマンもスタンバイしていたりして、まるで「サミット」のようであったとさ。
で、なにをしたかというと、
❶まず、個々の議員(オヤジだけでなく3分の1程度が未婚の若い男女)が、広く一般大衆に向けてメッセージしたい「小言」を15分ほど考える(その間、マイクを持ったしりあがり議長が、小言を生み出すヒントとなるような例題をブツブツ唱えながら会場内を行きつ戻りつする)。
❷次に、議員発案の小言が書き込まれた用紙を書記が集め、それを3枚並べられた巨大ホワイトボードにうつし、それをまた1文づつ、議長とともに吟味し、議員と静かだが熱いディスカッションを展開。っつーか、珍問答続出で会場も大いに沸き返る。
❸暁仙さんの原典36コと、本日新たに議員から提案された小言の合計約150文のなかから、自分が「イイ!」と思う小言を議員各々が20コずつ選んで投票。
❹それをまた書記が集計し、多数決で「現代版・オヤジの小言」を36コを選定して終了。

結果、俺の出した6つの小言のうち4つが選ばれており、議員の中ではトップだったが、一番グッときたのは、ショートヘアの美女が提案した「フタはちゃんと閉めろ」だ。一見、平凡な物言いのようにも聴こえるこの一文に「開けたら閉めろ」つまり、「物事は保留にせず、一つ一つ、きっちり終わらせろ」という箴言然とした奥深さと滋養を俺は感じとるのである。「終わらせる」ことで「次が始まる」のだ。シンプルでスゲエと思ったス。こうして生まれた「新・オヤジの小言」は、しりあがり氏のディレクションで「湯のみ」や「手ぬぐい」として作品化されるらしい。
しかし、言葉ってのは、やっぱり面白いねぇ。命があります。粗末にしてはいけないんだ。通常の執筆業務でも、メールでも、歌詞でも、魂込めて紡ぎたいと、気持ちを新たにしたよ。しりあがり寿さん、議員の皆さん、美術館のスタッフさん、良い刺激をいただきました。心より感謝です。

*写真:左の人物がしりあがり寿さん。彼の「あの日からのマンガ」オススメです。あ、広島市現代美術館へもぜひ足を運んでみてください。

交番に涅槃仏あらわる (2011.11.22)


午前中、ひたすら惚け、午後より執筆業務。
夕方、道場にてYクン指導。

さて、昼過ぎ、オフクロが来て言うには、先ほどオヤジがパクられかけたそうな。
南区の某交番前にてチャリで信号無視したらポリさんに呼び止められ「ちょっとオタクの乗ってる自転車も見せて」と調べられたんだと。そしたらそれが、なんと、盗難届けの出ていた自転車じゃったげな。
実はこのチャリ、オヤジが随分前に近所の土建屋社長のN氏から貰ったもの。今は営業していない某商店の前に1年以上も不法投棄してあった数台のチャリを、店側の「処分して欲しい」との依頼でN氏が譲り受け、そのうちの一台をオヤジに進呈したというややこしい経緯。で、それが不幸にも盗難車だったわけだ。それを白状するとN氏に迷惑がおよぶと思ったらしく、意味不明な釈明をあーだこーだと吹きまくったんだと。で、ポリさんも犯罪性がないと判断したのか面倒くさくなったのか知らないが「もう帰ってください」と言ったと。
ここでフツーなら、とっとと退散するはずだが、そこはやはり俺のオヤジ、一筋縄ではいかぬウルトラ屈折野郎で、
「取り調べが長いけぇ、腰が痛くなった。ここで少し休ませてもらう(もちろんウソ)」
と言い放ち、交番のデスクを2つくっつけて、その上に南蔵院の涅槃仏よろしくデーンと横たわったげな。
「なにするんですか!痛みはわかるが降りてください!」
「ほう、痛みがわかるじゃと?どのように痛いんか言うてみよ」
そしたら敵もさるもので「失礼しました。それなら救急車呼びましょう」と(笑)。
ちなみにこのチャリ、警察が持ち主に連絡したら「もういらん。その人(オヤジ)にやってくれ」という返事だったらしいが、なんという低次元の諍いであろうか。オフクロも「タイホしてくれりゃあ、少しは反省するじゃろうに」と。南無阿弥陀仏!

忘年会雑感 (2011.11.21)


午前中、道場にてIさん指導。
午後より、雑務。来月17日、広島市まちづくり市民交流プラザで開催される「第6回ひろしま自転車フォーラム2011」にパネリストとして参加することが決まっており、そのチラシに記載する俺のプロフィールのチェックや、あとは付き合いのあるクリエイター連中との忘年会日時の打ち合わせ等。

よく「春駒さん、忘年会引っ張りだこでしょ」と言われるが、例年2、3回程度のみで静かなもんです。クリエイター業界関連の「お友達になりましょう」的なイベントにも基本的に参加はしない。仕事が欲しい者同士で集まっても名刺を交換するだけに終わり、価値のある新しいムーヴメントが起こることは無いのだ。というか、時代に必要なのは、クリエイターとか、ミュージシャンとか、そういう枠組みをニコヤカに跨ぎ越えて世界と繋がる、しなやかさだと。歌旅の師匠、豊田勇造さんのいう「すべてよ歌い手となれ」が正しい。

*写真:mixiダイアリーにアップしていた写真その6。某環境月刊誌の表紙イラストを担当していた頃の最高傑作「オニヤンマ」。羽の脈一本一本の描き込みがたいへんだった。これは元々、月刊誌の編集スタッフに「表紙のイラストがイマイチですね」と進言したところ、「モンクあるならアンタ描いてくれ」と言われてペンをとったのがきっかけ。それから3年半、中国地方に生息する希少動物を約40カットを手がけました。

防風ジーンズ、、、ハズレの映画、、、 (2011.11.20)


午前中、チャリで5分の「ゆめタウン」のユニクロで、「防風ジーンズ」をセール価格1980円で購入。昨年冬、あっちゅーまに売り切れてしまい、今年こそはと狙っていた次第。通常、市内の移動はチャリがメインゆえ、それなりに防寒対策は必要なのである。決して寒がりではないのだ。

夕方、マイカルワーナーで「インモータルズ/神々の戦い」を観る。監督は「ザ・セル」「落下の王国」で圧倒的な幻想ファンタジーを堪能させてくれた鬼才、ターセム・シン。さらに「300<スリーハンドレッド>」の製作スタッフが組んだとなれば、過剰な期待をせずにはいられません。
、、、、で、見事にハズレましたとさ(笑)。約4年をかけ24カ国以上でロケをした「落下の王国」に比べ、今作はCGに頼り過ぎか実に安っぽい。前列のオッサンのイビキ、後列の女性が放つ頭痛がするほどドぎついパフュームにも悩まされました。とほほ。

*写真:mixiダイアリーにアップしていた写真その5。昨日のつづきで、ついに睡魔に屈するセガレ(笑)。

気心知れる (2011.11.19)


終日雑務。特に、不要品の処分。

音楽室の掃除をしていて、ギター弦のバラのストックが異様に多いというか余っているのに気付いた。通常、弦はバラでなくセット買いし、切れたらそこから引っぱり出して張り替えるという方法をとっているのだが、切る頻度の低い3、4弦だけで合わせて20本もある。
っつーか、最近それだけ弦を切らなくなったのも確かなのだ。20代の頃はスタジオで2時間ほど練習(当時はロックバンドだったもんで)する間に、ひどいときは6本全部イッてしまっていた。当然ライト弦では話にならず、ミディアムとハードをミックスして仕様。しかしこの数年前からライト弦に戻している。本日、久しぶりに1本切ったが、これは驚くなかれ、5月末に某所でライブをやった際、張りっぱなしだったもの。それ以来、ほぼ毎日1、2時間はガンガン弾いていたのにだ。ギターとのシンクロ率が高くなったというか、互いの気心を超微粒子的レベルでリアルに感じているのだが、そこらへんと関係があるのかもしれん。

*写真:mixiダイアリーにアップしていた写真その4。これも3年くらい前、段原南のマンションに住んでいた頃。懸命に睡魔と闘うセガレ(笑)。

顔の見える音楽 (2011.11.18)


朝イチ、昨夜のうちに充電しておいた「スイブルスイーパー」をテスト。やや大雑把でツメが甘い部分があるものの、ゴミを素早く簡単に取り込むことにかけては良く出来ている。少なくとも、これまで使っていた音がでかい割にまったく吸わない小型掃除機よりは数段役に立ちそう。1万ちょいで、もう1台付いてきたので、片方は1F〜3Fまでの共有階段用とす。しかし、TVショッピングでモノ買うのは、これが最初で最後になるだろう。時間があれば、昔ながらのホウキ&ちりとりで掃除するのが一番好きなのだし。

夜中、「モンゴル800沖縄フェス」をBSの再放送で見る。「日本の音楽産業」という言い方が許されるとしたら、唯一健全性が保たれているのは沖縄であるのは間違いない。心ある本土のミュージシャンがこの地へ惹かれ手弁当で参加するのもよくわかる。すでに死に体である国内メジャー音楽業界の淘汰が終息した暁には、システムは自然に「沖縄化」すると見ている。「顔の見える産直野菜」のように、歌いたい人が居て、それを聴きたい人が居る、というだけのシンプルな関係性で、ダイレクトに響き合えることになるだろう。というか、俺の回りのミュージシャンはとっくにそっちへシフトしているのだった。これでイイのだ。

*写真:mixiダイアリーにアップしていた写真その3。3年前、段原南のマンションに住んでいた頃、俺はドレッド・ラスタマンだった?!(笑)

クライアントからの生の声 (2011.11.17)


午前中、道場にてJ氏指導。

昼イチ、某多目的ホールをカメラマンA氏と訪ね、とあるIT関連企業が主催するイベントを取材。これまで取材を通じて知り合ったクライアントさん20人以上から声をかけられる。この方面では、俺も相当に顔が広くなったとことを実感す。
「先日はイイもの作ってもらってありがとうございました。おかげでお客さんがすごく喜んでくれました」という方もかなりあり、嬉しい手応え。いつも思うのだが、クライアントと広告代理店とクリエイターの3者間だけで「よかった」とホメあっても全然意味が無い。その先のターゲット(あまり好きな言葉ではないが)にどれだけメッセージが届いているかが問題なのだ。もちろん俺にとっては、俺を雇っている広告代理店、デザインプロダクションも含めて「客」であるから、仕掛けはより複雑となる。それだからこそ、今日のようにクライアントが費用対効果を笑顔で評価してくれた瞬間に、キレイさっぱり吹き飛ぶのだ、すべての「すったもんだ」が(笑)。

夕方戻り、再び道場にてS本さん指導。

夜、「スイブルスイーパー」が届く。深夜のTVショッピングでやってるアレだ(笑)。持っている友人が居て、使いやすそうだったから。しかし、掃除機にとどまらず、俺の「道具」に関する審美眼は厳しい。明日のテストが楽しみ。

*写真:mixiダイアリーにアップしていた写真その2。今年の年明けあたりか。マスクを装着し「飲みに行ってくるけぇの」と出かける俺を見送るセガレ。

希少写真 (2011.11.16)


午前中、道場にてIさん指導。本日も、一挙手一投足の技のキレに感心しきり。男性陣を差し置いて当道場門下の筆頭であることは間違いない。とはいえ、門下生の誰もが成長著しく、嬉しいやら焦るやら(笑)。

午後より雑務。
購入してから8年が経つ、Leeのレザージャケットにオイルを塗る。毎年この時期恒例の儀式なり。
その他、今年一杯で抜けるつもりでいたmix(日本における代表的SNS)のダイアリー「凸凹日和」だけにアップしていた希少写真(?)を、小一時間かけ、すべてコピーする。日光のアーティストA氏に誘われエントリーして約6年、このネット上の寄り合いがあったおかげで消息が途絶えていた古い友人からメッセージが届いたこともあり、それなりに意義はあったとも思うのだが、最近はガセネタ記事の掲載や、ズバリ有害と感じるツブヤキで不快にさせられることも少なくない。とりあえず設定をイジり、必要な人物とメッセージがやりとりできる機能のみ使えるようにしておきます。

*写真:mixiダイアリーにアップした写真その1。3年前の春、とあるイベント会場にて某環境月刊誌の表紙用に毎月描いていた俺の鉛筆画の全作品が、一枚に集約されて展示された。で、販売用に用意したこの複写が何枚か売れたのだった。当時セガレが通っていた幼稚園のバザーに出品した単体作品も完売。コピーライター廃業時にはイラストレーターでいく(ウソです)。

1分あれば (2011.11.15)


終日、雑務。主に事務処理系。

夕方、マイカルワーナーに「ミッション8ミニッツ」を観に行く。客は俺一人(笑)。監督はダンカン・ジョーンズという人で、デビッド・ボウイの息子らしい。仮に「親の七光り」などあったとしても、そんなもんどうでもいいくらい良く出来た作品。サスペンスの部類に入るのだろうが、後半、「世の中や人を先入観で見るのを辞めて心を開けば、けっこういいヤツ一杯いるよ。結局はオマエ次第なんだ」というようなメッセージを発したくて挿入したとしか思えんシーンがあり、グッときてしまった。というか、一番言いたかったのはここだろうと勝手に納得。素晴らしい。前作「月に囚われた男」も観たくなった。

よくサラリーマンやってる方から「自由な仕事で良いですね」と言われる。で、「たとえば、どこらへんが良さそうに見えるんでしょうか?」と尋ねると「ルーチンワークじゃないから」という返事。でも、勤め人だからルーチンで、フリーランスはそうじゃないとは限らないのですよ。最近は思うのです。フリーランスでも、やってる業務が恒常的になりダレてくると、それはもはやルーチンであると。要は、ルーチンであっても無くても、一瞬一瞬を大切に味わい、その集積としての日々が充実し愉しければ、それでエエと思うのです。「ミッション8ミニッツ」の終盤で主人公が「1分あったらキミはどうする?」とヒロインに訊く。そう、警戒すべきは、どうせ世の中こんなもんさと斜に構えて工夫無く漫然と過ごすことよの。それぞれ置かれた状況の中で、ギャグを発しつつ「もっとなにかできないか」を諦めずに何度でも追求し続ける姿勢、俺は持ちたい。これからも。

メッセージ (2011.11.14)


午前中、メールで寄せられた原稿修正&追加コピー依頼に黙々と対応。

午後より、ハヤの水槽の掃除など雑務に没頭。しかし、あっちゅーまに日没となりゲームセット。掃除しがいのある風呂の排水溝はまた後日。

先週土曜日の朝崎郁恵さんのライブを聴きながら感じたこと。傲慢に聴こえたら笑って許してほしい。朝崎さんとはもちろん面識は無いが演奏中「アンタももっと歌いなさい」と言われているような気がしてしょうがなかった。それは「ミナミジマ」という共通コードを介して、ある時空からもたらされたメッセージやもしれぬ。朝崎さんを背後から見守るイエス・キリストの巨大なモザイク画は、しばらくすると、大島紬に身を包んだ奄美のオジイにしか見えなくなった(笑)。その他、いろいろ面白いことがあったのだが、やっぱりナイショ。うひひ。

*写真:本日の朝日は、「梅干し」そっくりだった。

ブリキの方舟はどこへゆく? (2011.11.13)


昼過ぎ、広島市現代美術館で開催中の「秋山祐徳太子+しりあがり寿/ブリキの方舟」を見に行く。全体的になんとなくボリューム感に欠け、少々肩すかしを食らったような気もしたが、ゆる〜い味わいがあり、特にしりあがり氏の「掛け軸」は秀逸だった。彼の存在を知ったのは20年くらい前。雑誌「宝島」に連載されていた水墨画調マンガ「お猿のロッカー孫悟空」を読んでからファンになり、「掛け軸とが屏風絵とか描かしたらすごいんだろうな」常々思っていたこともあり、期せずして掛け軸(展示というより無造作に放り投げてあったというカンジ)に出会えたときは拍手しそうになった。
で、家に帰ってみると、さっきまで居た現美からメールが来ており「ご応募いただいた、しりあがり寿の『新・オヤジの小言会議』にご参加いただけることが決定しました」とのこと。今月23日に、現美で人数限定で開催されるこの会合にメールで応募したのは数日前。参加希望が多ければ、抽選になると聞いていたが、文面からするとどうやらまだ空きがあるようだ。いわゆる「クジ運」というのがまったくない俺だから、さもありなんと。

76才の天然奇人、秋山祐徳太子氏のドキュメンタリー映像「運搬芸術」はなかなか笑えます。自分の作品を東京から広島に持ち込むまでも連作アートにするなんざ、ヘン過ぎ(笑)。存在自体が動くインスタレーションなり。家なんかゴミ屋敷だぜ。ははは。
http://www.hcmca.cf.city.hiroshima.jp/web/buriki/archive.html#article5

*写真:3・11後、「たとえ間違えているとしても、今、描こう」と緊急出版された、しりあがり寿さんの最新刊「あの日からのマンガ」に収められている「川下り・双子のオヤジ」。しりあがりさんの作品には、一見ほのぼのとしたタッチの中に常に「死」の気配が見え隠れしている。

武、音、そして武 (2011.11.12)


午前中、道場にてS本さん指導。女性のIさん同様、自宅でみっちり稽古して来たのが数分動きを見ただけでわかった。挙動の一つ一つ、たった一週間で見違えるほどキレを増している。俺もうかうかしとれんわい。

午後から雑務。夕方、「ゆめタウン」の音楽イベントに、バイオリンで出演するセガレのマネジャーとして参加(笑)。去年と同じ巨大クリスマスツリーの下で、年齢、性別、職業も様々なアマチュアミュージシャンたちの演奏を聴いていると、心がほんわり温かくなる。

夜、道場にて甥っ子の心体育道集中稽古秋季キャンプ(笑)最終日。1週間で計4回。「月」で考えれば、週イチで通ってくるうちの門下生と同じ回数。冬休みで帰省するまでの40日間、岡山の吉備にある全寮制高校でみっちり反復練習するように伝える。
っつーか、今日だけで4時間心体育道を指導し、気功や瞑想に1時間だ。全然キツくない。愉しいス。

*写真:右がセガレで、左はオタマの生徒のKくん。

奥さん、米屋です、、、フルハウス、、、 (2011.11.11)


いつもの超軽めの朝食後、猛然と執筆業務。
昼前、西区の某映像プロダクションに寄り、夏にコンペで勝ち取った「広島県人権啓発キャンペーン」の完成したポスター(ワテがコピーを書いてます)と15秒CMのDVDを受け取った後、そこから車で30秒のドロ様(椎名まさ子どの)宅へうかがい、隠岐は海士町から取り寄せましたるコシヒカリの新米を献上。ドロ様が「『p.s』のピアノ演奏ギャラはコメでよいぞ、くるしゅうない」と仰せになられたので(笑)。米を担いでインターホン越しに「奥さん!米屋です!」と名乗るのは新鮮でござんした。っつーか、俺が高校生の頃そのまんま「奥さん、米屋です」なるポルノ映画があったような??

午後より、再び執筆の荒野へと舞い戻り、夕方まで激烈フントー。
夜、平和記念聖堂にて朝崎郁恵さんのライブ。奄美島唄の第一人者である彼女の歌声を生で聴くのは初。イベントを主催したのは、知人のMさん。ポワワ〜ンとした癒しのオーラを放つ一主婦でありながら、平和記念聖堂では前例がないほどの集客(約500人でソールドアウト!)を達成したのは快挙だ。大変な実力者であることは疑う余地もない朝崎さんも決してメジャーな存在ではなく「文化不毛の地」と揶揄される広島では苦戦を強いられると思った。そこで「応援してあげねば」と、Mさんを古巣FM局に告知出演できるようセッティングもした。聞けばチケット購入者の中に「ラジオで知った」という方が少なからず居たとか。ヨカッタです。
で、肝心のライブであるが、素晴らし過ぎ。今日が2011年11月11日で、満月で、しかも朝崎さん76才の誕生日ってのは、フルハウスだよ。聴いている最中、実に不思議な体験をした。詳細は後日。

*写真:毎朝掃除しても、夕方にはこうなってしまう私のデスク。

古いヤツも人気です、、、ブラッドシフト、、、 (2011.11.10)


午前中、道場にてJさん指導。
午後より、通常執筆業務。

ミニアルバム「p.s」をリリース後、どういうわけだが2002年に出した「その男ヨシオ(沖縄バージョン名:テビチ記念日)」の注文も急増。あるミュージシャンに興味を持つと、古い作品も遡って聴いてみたいとは俺もよく思うことである。そんな動機でのことであれば嬉しい限り。

俺は仕事上、ほぼ一日中、脳みそフル回転しっぱなし。血液は脳に集中するので必然的に手足が冷える。海中に深く潜ったときの「ブラッドシフト」と同じ状態。夏場は全然自覚無いが、寒くなり、気温が下がると冷えてるのがわかる。今日がそうだった。以前から執筆や企画に集中する行為を自分で「ダイブする」と表現していたのだが、言い得ておりました。
身体巡礼 (2011.11.09)



午前中、チャリで10分のS小学校へ行き「リズム縄跳び大会」を観る。セガレ含む3人の1年生が「宣誓」。まるで応援団員のごとく上体を反らし、他を圧する裂帛の雄叫びをあげるセガレに、これまた濃いDNAを感じる。

午後より、道場にてIさん指導。30分ほど休憩し、小学生のYくん指導。

さて、先月末の日報で気功の奥義である「大周天」が完成したかのような記述をしたが、あれからいろいろと文献を読みあさったところ、どうやら早合点だったようだ(笑)。大周天なら、気の固まりが頭頂部から上空へと突き抜ける際、もっと強烈な衝撃があるらしい。俺のような「モヤモヤ〜」としたもんじゃないと。また、閉じた目蓋の裏側に眩しいくらいの白い光の奔流がある、とも。
まぁよかろう。かなりいいセンまで来ているのは確かなようだ。ただ、いくつかの本には、大周天やクンダリーニにトライするときは、信頼のおける師に、そばでコーチしてもらいながらやるべきと書いてある。強大なエネルギーゆえ、扱い方をしくじると面倒なことになるんだとさ。また、ある本ではオススメとされている呼吸法が、別の本では真反対の評価だったりするし、今の俺の段階(「小周天」の最終段階「全身周天」のようだ)を大周天だとする本もあり、こういうのを<玉石混淆>というんでせうか?おもろいじゃん。身体宇宙の遍路はつづくよ、どこまでも(笑)。
隠岐のコシヒカリ (2011.11.08)

終日、意識的に惚ける。
腰は完治。というか、日常動作に影響なく3日で治るようなレベルは「ギックリ腰」ですらない。3、4年前、最後にやったヤツはほんまにヒドいもので数日間は起き上がるのも難しく「一生このままか」と心配にもなった。

島根県は「隠岐」の島前(とうぜん)エリア、海士町(中ノ島)にある港の売店にデンワし、コシヒカリの新米を注文。ここで育つコシヒカリは、日常的に強い海風にさらされる。よって、コメは成長が阻害されてやや小粒となるが、その分、旨味が強くなるのだと、今年4月の訪問取材時に売店スタッフから聞いていた。今回は5キロをオーダー。自分用ではなく、レコーディングでお世話になったある方への献上品。

夕方、道場で、昨日に引き続き、心体育道短期集中講座を実施。中距離走では相当に高い運動能力を持っているが、スポーツにはない、「ためず、捻らず、うねらない」武術的動作に面食らっている。でも「面白くてたまらん」そうな。
職業、妄想家 (2011.11.07)


終日、原稿の追加修正や某季刊誌表紙デザインの指示など。

夕方、道場にて、岡山の高校から帰省中の甥っ子の要望で、心体育道指導。全寮制ゆえ、春、夏、冬以外に約1週間の秋休みもある。本人もヤル気があるようなので、毎日集中特訓を実施することに。血族が日本の至宝ともゆうべき優秀な武術を継承してくれるのは望外の喜びである。しかし、指導中は、腰の痛みなんか完全に忘れているのは不思議。終了後、少しだけイテテ状態(笑)。

さて、前にもちょこっと書いたが、私、「オフィス春駒」のCEO(ちょっと・エロい・オッサン)としては、今後は「自作自演」にシフトしてまいります。その第一弾が「絵本」です。実は、昨年、とある企画の一環制作物として東京の某大手広告代理店から依頼を受けて一冊上梓しているのである。もちろん、絵ではなく原作のほうであるが、ページネーション(ページの振り分け)とラフはボクが描かしてもらった。で、制作途中段階で当時セガレが通っていた幼稚園の先生&幼稚園生にちょこっとだけ見せたところ、大ウケし「いける」と確信。児童文学をバカにしてはいけませぬ、ああ、いけませぬ。チビッコたちの審美眼は、オトナのそれより何倍も手厳しい「寸止め無し」なのである。けれどその処女作は無記名作品。今度のは絵本作家用に考えたペンネーム「ヨーデル七味(しちみ)」を堂々と(?)明記してやりますとも。
続く第二弾は「短編小説集」。
これで勢い付けて数年内に長編をブチかまし、A賞あるいはN賞、いやダブル受賞もイイね!と妄想に際限のない49才。えいえいおー。
帯が生み出すもの (2011.11.06)


本日だけは完全オフ宣言(誰も聞いてませんが)。原稿執筆やレイアウト指示の類いは今日は一切考えもせんし手をつけんぞと堅く誓う。

昨日から発症したプチぎっくり。コルセットをしている分にはほとんど問題ないものの、はずすとやや不安。と、これを付けていると、丹田にほどよいテンションがかかり、武術的中心が活きる。武道だけでなく日本の舞いや茶道なども着物や袴といった「帯の文化」が生み出したものであることが理解できる。

セガレのなぞなぞ。
「恥ずかしがりやのカードってな〜んだ?」
「テレカ」
「ブ〜ッ、違います。正解は、テレフォンカードでした」
「・・・・」

カントリーゴールド (2011.11.05)


昨夜、風呂上がりに、いつもより念入りにヨガの「捻りのポーズ」をやっていたら「ちょっとやり過ぎたかしら」というような違和感発生。で、今朝起きたら早速プチぎっくり(笑)。ま、日常動作にほとんど支障はないのだが、何年か前みたいに油断してヒドイことになってはいかんと、コルセット装着。

昼過ぎ、BSで「カントリーゴールド」を見る。
カントリーゴールドは毎年10月第三日曜日に熊本は阿蘇山麓の野外広場「アスペクタ」で開催される国内級最大のカントリーミュージックフェスティバルで、全米から選出されたカントリーの大御所がやってきて、ライブは全米中継もされている。俺が最後に行ったのは19年前。そのときは主催者であるチャーリー永谷さんの店で行われた前夜祭にも参加した。そこでは、ブルーグラスで全米No.1となったユニットの神がかったスーパープレイを手の届く距離で聴いたのだった。ライブ当日、早々にビール飲み過ぎ、芝生に大の字になってぶっ倒れていたところ、突如、俺の大好きな「ミスター・ボージャングル」が聴こえて来てあわてて飛び起き、ステージ上に本物の「ニッティ・グリッティ・ダートバンド」が居て仰天&感涙したことも懐かしい(出演者くらい事前に調べとけっての)。露店で買ったバッファローのジャーキーも美味かったなぁ。
で、久方ぶりに見たカントリーゴールドは、現場で体験した至福感とは、ほど遠いものだった。やはりこういうものは生でないと。特に阿蘇みたいな空も草原も無限に広がるロケーションの中でこそカントリーミュージックは輝きを増す。そこで確信するのだ。風景=「場」が音楽を連れて来る場合があるのだと。
共感覚、、、出前できます、、、 (2011.11.04)


午前中、道場にてJさん指導。
午後より、昨日アップした原稿に組み込む画像をセレクトし、キャプションを追加。

昨日、TVで「共感覚」の特集を見た。共感覚とは、ある刺激に対して通常とは異なる感覚を生じる特殊知覚のことで、TVでは音や文字に色を感じる人々が紹介されていた。200人に一人の割合で現われるとの統計結果もあるようだが、俺の知人にも何人がいるし、ウルフガング・モーツァルトやアルチュール・ランボー、ムンクなどもその持ち主だったと聞いたことがある。俺にはないです。絶対音感は少しあるようだ(楽器を持たずとも長く歌い込んでいる自分のオリジナル曲の歌い出しのキーを間違うことはない)。しかし、「ヘ長調は淡い白!」みたいに「見え」てしまったんじゃ、他のイメージが入り込む余地がなくなりはしないスか?先入観など持たず、澄み渡った透明な気持ちで向かい合いたいと思う今日この頃。

さて、突然だが、本格的な寒波が到来する前に、本通アーケード街あたりで、リゾネーター(ナショナルスティール)を使ってストリートライブをやったろうと。蒸気機関車のようなブルーズを歌いたい。で、ライブハウスじゃないスペースで、出前ライブも画策中。「こっちで歌ってくれ」というオファーがありましたら遠慮なくどうぞ。PAなどなくてけっこう。100Wのローランド・アコースティックギターアンプを持って行けばボーカルマイクも突っ込めるし、完全生でもオッケーす。ウクレレ持って行きますよ。え、ギャラが払えんと?投げ銭でもエエよん。

*写真:11月というのになんつー暑さでしょうか。本日は父子共にパンツ一丁でした。

無事完遂、、、気功実験、、、 (2011.11.03)


pm3:36、一カ月半に及んだ季刊誌2種類の同時多発的取材のラスト原稿、
フィニッシュ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
くどいようだが、10カ所以上のロケ(一部、自作自演あり)、執筆、デンワやメールによる取材交渉&資料請求に加え、週4回の武術指導、心体育道の神田神社奉納演武出演、環境イベントの司会、28鉢の観葉植物やメダカ・ハヤ各11匹の世話(笑)など、業務の密度は人生最高レベルであったとさ。なれど、飲みの誘いには極力出かけたし、本もよく読んだ。っつーか、心身ともに不思議と余裕がありました。<ニュートラル>でいられたのは、やっぱりアレか、毎日欠かさず1時間やった、気功と瞑想の効果だろうて。
で、夜、ふと思い立って、オタマを実験台に気功のパワー測定。1メートル離れた背後から数分間、気を送ってみると、ときたま「ぶひゃひゃひゃ」と身をよじるオタマ。触れるか触れないかの直近から手の平を頭や首筋に当てられているようなハッキリした熱感があり、くすぐったいげな。送っている俺の手の平も、異様なほどビリビリと痺れるし「届いている」という手応えもある。もちろん手の平は50センチ以上離れている。結局、夫婦で「不思議じゃね」ということで実験終了(笑)。しくみが科学的に説明できないからといって「科学的でない」と評するのはおかしい。今の科学で説明できないだけかもしれんのだ。機能脳科学者のドクター苫米地は「<気>は量子の一種」という仮説を立てている。先日、ニューロンが光速を越えたとの実験結果発表に世界は震撼した。量子力学など、いまださっぱりわからん未知の世界なのだ。そしてその「未知」が大半を占めている。
俺は気功を「生命の座標軸」をさぐるツールとして利用したいと思っている。個人的な探求心からであって、誰かの病を治療する「気功師」を目指している訳ではない。いや、理屈はともかく単純に面白いのだ。小学生の頃、「秘密基地」を発見したようなワクワク感。

*写真:ミニアルバム「p.s」、3箱のうち1箱が完売。買っていただいた方、ありがとうございました。まだの方はお早めに(笑)。

取材行脚終了から一夜明け (2011.11.02)


午前中、道場にてIさん指導。前回の稽古で初めて教え「練習しておくように」といった基本技がバッチリできるようになっており、カンドーす。こりゃモノになるね。っつーか、俺もボヤボヤしとられんわ(笑)。

午後より通常執筆業務。美味しい情報があり過ぎるので、かえって気が焦る。膨大な取材メモを俯瞰し、要点を書き出して整理。通常はいきなりキーを打つ。自動筆記に近いカンジ。
しかし、なんでしょう、11月に入ったというのにこのヌルい気温は。我が家ではハイビスカスも全開だ。ホンマに冬がくるのでせうか?

夢工場 (2011.11.01)


某季刊誌2冊分のための同時多発的取材行脚、ファイナルステージは、広島県府中市にある、とあるブランドスニーカーのメーカーさん。昨日の日報で「最近、物欲が無い」と書いたが、実は下調べのために訪れたカジュアルショップにあった、こちらのメーカーが作ったスニーカーだけは圧倒的に輝いていたのだ。
で、それを作っているメーカーはほぼ全工程を自社でまかなっているばかりか、ブランドを立ち上げるまでのストーリー、出来上がった商品のオリジナリティ&クオリティ、そしてスタッフのモノ造りにかける情熱と克己心など、並ぶものがないほどの奇跡的なボリュームを備えていたのであった。カンドーして立ちくらみがしそうだった。マジで。
詳しいことは今月末発刊予定の季刊誌を読んでもらうとして、こんな企業がまだ日本にあったことに驚くばかりなり。さらにさらに、取材させてもらったスタッフの方から、取材クルー3人全員「お土産」までいただいてしまった。魂の宿ったスニーカーだよ。価格だけ見れば、決して安くはない。が、デザイン、フォルム、品質、作業工程を見れば、名を挙げると誰でも知っている国内外の複数の有名デザイナーがコラボを申し出るのが充分すぎるほどわかるだろう。府中市は、日本有数の家具の産地として栄えた街である。その職人気質が連綿と受け継がれている夢工場。素晴らしいです。

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