Far East Lounge 三代目春駒小林一彦オフィシャル 小林一彦イラスト

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2003年08月の日記

(2003.08.31)

めったにハラを立てない私であるが(誰がじゃ!)、今回の世界陸上のTV放映には少なからずイライラさせられた。それはナビゲーター役の俳優O氏に負うところが大きい。まず、何ゆえ彼が起用されたのでせう?ただの陸上フリーク?それとも学生時代陸上部?よくわかりません。コメントが浅いし的外れだし、失言が多いし(女子マラソンの北朝鮮選手を誹謗中傷するような心無いコメントも気になった。俺の考え過ぎか?)、これ見て納得するひとっているのだろうか。それと、「さあ、いよいよ決勝戦、このあとスグです!」って言っておきながら一体何時間待たせやがるんなら。全然「スグ」じゃないっつうのおかげでこっちゃは寝不足じゃ!せめてレース開始の予定時刻ぐらいコメントせんかい!うううっ(泣)。
さらに、今回出場している注目選手に冠せられた数々のチャチなキャッチフレーズもカンベンしてくれ。付けりゃいいってもんじゃなかろ?いちいちあげつらうことはしないけど、ひとりよがりな脚色はかえってイマジネーションが削がれたりして百害あって一利無し。鍛え抜いたスーパーアスリート同士がぶつかりあう世紀の熱戦に水を注す、不粋な振る舞いはくれぐれも慎んでほしいのだよ、あーこりゃこりゃ。
(2003.08.30)

昨夜、東京から帰省していた弟の雄ちゃん(小林雄二)と実家で飲み明かしたせいか、久々の二日酔い。ほとんどなにも手につかん。雄ちゃんは今、主にレジャーボートやウェイクボード関連を手掛けるフリーのエディター兼ライターとして、一人東京で頑張っている。たまに専門ジャンルとは無関係な取材も受けねばやってられないらしく、先日はボスニア・ヘルツェゴビナの今の暮らしぶりをカメラマンと取材して来たきたとのこと。俺らがまだ子供だった頃、将来の夢など互いに語り合ったことなど一度もないのに、申し合わせたように兄弟揃って文筆活動している、この不思議。ちなみに雄ちゃんは3兄弟のなかでは一番まっとうなコースを歩んで来た。ブッ飛んだアニキ(つまり俺)とキレた姉(つまり妹)を見て育った彼は「決してこのような人間になってはイケナイ!」と強〜く思ったに違いない。あいかわらず道なき道を気の向くままに、反省の色なく突き進む俺を、彼は今、どのように見ているのか知らんが、こうして酒を組み交わせるのはとてもいい。ただ、ちょっとばかし飲み過ぎたようでちゅ。うぉっぷっぷ!!
(2003.08.29)

CDの予約だけですでに100枚を突破しそうな勢いだ。ありがたや、嗚呼、ありがたや。で、今回の4曲入りは、そんな皆さんの期待に十二分に応えてくれることだろう。自信はある。プレスに入れる前、100回以上聴いたし、「対戦シミュレーション」もみっちりやった。「対戦シミュレーション」とは、俺が手強いと感じているミュージシャン達のCDとの聴き比べである。
某日昼下がり、自宅の特設スタジオにて一人の聴衆もないまま、下克上の戦国絵巻さながらに繰り広げられた血で血を洗うDJごっこ的御意見無用CDバーリトゥード(大ゲサ過ぎるっちゅうの!)その数、約50戦。「勝つ」のが目的ではなく、「聴き劣りしない」というのを一応の目標とし、国の内外問わず、さまざまなリスペクトミュージシャンと戦わせてみたが、聴き劣りしないどころか、「圧勝」したラウンドも少なからずあったのだ!すべてのラウンドをこなした時、熱かった、いや暑かったのか、シャツを脱ぎ、Gパンも放り投げ、気がつきゃ俺はパンツ一丁汗まみれで荒い息をしていたタダのアホであった。FMのDJをやりはじめて3年、自分の曲を客観視できるようになったからこそやれることだ(ウソつけ、どこが冷静や!)が、実際、正規のレコーディングスタジオも使わず、機材も簡易&寄せ集めであったのに、これぞデジタルレコーディングの恩恵というヤツなのか、録音水準は大手メジャーレーベルの大枚を投入して制作したそれと、差はほとんど感じない。梶山シュウ、沖井 剛両氏のツボをとらえた超絶演奏テクはもちろんのこと、40路とは思えぬ俺の恥ずかしいまでに初々しく天晴れな、、、いや、これ以上は言うまい。あとは皆さんに聴いていただいて判断をあおごう、てゆうか理屈ヌキに楽しんでもらえりゃ本望である。結局、どんな思い入れがあるにせよ、聴いた人それぞれの判断が正しいのである。そもそもこの世に「間違った解釈」など存在しない。CDを出すことを「リリース=手放す」と言うではないか。さあ、元気よく泳いで行ってくれよ。
(2003.08.28)

「人間世界遺産」が大人気である。笑い過ぎてしばらく起き上がれなかったという御仁もいれば、なぜに自分が登録されていないのか!と抗議してくるヤツまで登場。仕方ないので、人間世界遺産の自薦第一号としてドラマーNを載せてやることにし、写真撮ってやるけぇ、三井ガーデンホテルのロビーへ出て来い、と呼び出したところ、ヤッコさん、スネアドラムを担いで登場。ってゆうか、アンタ勤務中だろが。いつもスーツ姿でスネア持ち歩いてんのか?(笑)。こうゆうノリ、好きである。俺も図に乗って「ようし、じゃあ今度はドラムスティックを鼻の穴に思いっきり突っ込んでくれるぅ?」などと指示を飛ばす。しかも三井ガーデンホテルのロビーで(笑)。それを通りすがりのOLやサラリーマンが気持ち悪そうに盗み見る(笑)。バカは死ななきゃ治らない、あーこりゃこりゃ。
(2003.08.27)

ちょうど1年前の今頃の自分の顔写真見てたじろいだ。頬はこけ、落ち窪んだ眼からは異様な殺気が放たれておる。ちょうどこの頃は、秋に迫った心体育道の昇級審査に備え、連日、家族が寝静まった深夜に追い込み個人特訓をしていたのであった。武道でも茶道でも、なんでも芸事というものは修行にゴールというものはない。むしろ、やればやるほど次なるハードルが「まだまだだねキミィ〜!」みたいな感じで目の前に現出しやがるので、おのずと謙虚にならざるを得ない。この時、俺は茶オビ。あと一段階で念願の黒オビに昇格出来るその間際まで迫りながら、自分の中で理想とする黒オビにふさわしい術理までは到底及ぶものではないと、相当焦りまくって稽古に励んでいたのだ。結局、10月の審査でなんとか黒オビをゲットできたものの、ヨロコビより、これからは後身の指導にもあたらねばならんその責任感に身が引き締まったものである。ところで俺はよく、いろんな知人友人と会うたび彼らから「あれ、痩せたんじゃない?」と言われる。この20数年ずっとだ。もし、ホントに20年に渡って痩せ続けていたのなら今頃俺はちびて消えていたはずだ。実際は18才の頃から体重、ウエストともほとんど変化なし。40ともなれば、友人の中には中年オヤジ道驀進体型とでも呼びたくなる輩も少なくないが、まあ、体格の変化も、体力の衰えもほとんど感じないでいられるこの俺は、今のところかなりシアワセといえるのではないか。ナヌッ、精神も成長してないんじゃないかって?!シッ、大きい声で言わんでくれ。
(2003.08.26)

CDリリースを控え、中国地方では最大の某新聞社の取材を受ける。こうなってくると、「フッ、俺もやっと注目されてきたかな」みたいなコメントのひとつも吐きたいところだが、記者は俺の友人。つまり、今回の取材は俺の方から彼に「おねげぇしますだっ、載っけてくだせぇ!」と頼み込んで実現したもの。インタビューを受けたおかげで、混沌としていた自分の頭が整理されてきた。俺の今回のアクションを世はどう受けとめてくれるのか、記事のアップが楽しみ。
記者といえば、きょうのラジオにはもうひとり、可愛らしい少女記者が現れた。俺の実家のお向かいに住んでいる小学生のミチコちゃん。彼女は夏休みの宿題「仕事場訪問レポート」にこの俺のFMDJ稼業をセレクトしてくれたのだ。付き添いで来たお母さんともども、スタジオのシステムやオンエアの為のCDの準備など、事細かにレクチャーしてさしあげる。そういや俺が小学生の頃は、夏休みの終わりに「日記のまとめ書き」をやっておったのを思い出した。いついつプール行ったとか、クワガタ捕ったとか、テキトーにでっち上げるのだが、いよいよ思い浮かばなくなってくると「きのうとおんなじ」とひとこと書いておしまい。それがオトナになって文筆業に就くとは!人生わからんもんである
(2003.08.24)

友人Y嬢の結婚式。お相手は、映像作家として知られるK氏。彼の作品、俺はいくつか眼にしているが、まさに「命を削りながら」という形容がぴったりで、もしもフィルムを斬ったなら、そこから彼の鮮血が迸るのではないかと思えるほど、生物的な息づかいが感じ取れる。俺は20代前半の3年間、映写技師をやってたけど、すぐれた監督の作品にも同様のものを感じた。画面もオーラを放つのだ。彼の撮影現場もきっと、そのままがドラマになり得るハプニングと創造力に満ちていることだろう。今日、初めて彼と言葉を交わしたが、俺も野獣に近いから、そこらへんのフィーリングが「肌」でわかったのだ。出会いに、偶然はない。人は、なんらかの理由があって必然的に出会っているのだ。だから彼には俺のプロモをいずれ撮っていただきたい(笑)。彼の被写体の代表格、広島出身のロックシンガーK川K司氏には身長では勝てぬが、インパクトではタメを張れると思う(苦笑)。それにしても愛されているY嬢の表情、眩しかったぜえええええええ!本日の一等賞。
(2003.08.23)

夕方、道場へ。稽古終了後、先生に月刊「フルコンタクトKARATE」の最新号を見せていただいたのだが、先生が開いたそのページには、某空手団体の新しいロゴマークが。これが、なんとなぁく、似ているのよ、心体育道のロゴに(笑)。最近、なにかと注目されている心体育道。技術面だけでなく、このようにロゴをマネされることは今後もふえるかも(くれぐれも、この某団体がマネしたと言ってるわけじゃありませんので)。でも、武道や格闘技、音楽、芸術も、それぞれが影響しあって発展して行くのだから、これはこれで悪いことではない。しかし、残るのは本物だけだ。俺はその「本物」の心体育道門下生として、相応の技術を取得すべく、今後も真摯な気持ちで稽古に邁進すべきである。
(2003.08.22)

胡町ワンダバースティービーズにてイマイマサキ君のプロモーションライブ。例の「シャングリラ」が本日は休演ということで、それならプロモでも、と、俺の方から彼に持ちかけた企画。午前中はPステーションの桂さんの番組でゲスト出演枠の確保&告知をしてもらったり、その前の火曜日の俺の番組でイマイマサキ特集をやったり、友人のHPにカキコしたりと、できる限りのことはやったつもりだが、実際のところ、何人が聞きに来てくれるのか心配だった。で、本番1時間前の8時にイマイ君を連れて店に入ると…おお、なんだこの熱気は???てなぐらい、開店直後にもかかわらず店内はほぼ満席状態。聞けば、お客さんの多くは、全国から駆け付けたイマイ君のおっかけとのこと。本番前には俺のラジオのリスナーや友人もぞくぞく入り、テラス席も開放せねばならん喜ばしい状態に。こりゃ、まだ来るかもしれんな、ということで30分遅れの9:30開演。俺の紹介MCのあと、イマイ君、カラオケ4曲、ギター弾き語りで2曲披露。間近で、しかも初めて生で聴く、イマイマサキの歌、光るものを感じた。曲作りのセンスもすごくイイし、飾らない発声にも好感が持てる。しかしなにより、彼には「華」があった。これは先天的なもののように思う。カラオケでやった4曲も弾き語り出来るようになれば、何処に出ても高ポイントは間違いないだろう。ライブ終了後、ファンとの撮影会やCD発売&サイン会を実施。それからイマイ君、オタマ、ミキサーをやってくれたハマ君の4人で千田町の「ワンラブ」にて打ち上げ。
(2003.08.21)

広島グリーンアリーナにて、一昨日から開催中の「ユーミンスペクタル シャングリラ」をオタマと見に行く。今回この公演に、ユーミンのコーラスとして参加しているイマイマサキ君(彼の2ndマキシシングル「アイノウタ」は俺のラジオ番組のエンディング曲)の招待で、足を運んだのであるが、用意された席は、ステージ右側を眼下に眺むるロイヤルシートであった。オタマ「すごいすごい!」と開演前からコーフン状態。こういうイナカモン丸出し状態を見せられると、某世界的バレエダンサーK氏のツアーオーケストラメンバーとしてバイオリンを弾いていたとはとうてい信じ難い。定刻5分オーバーで、開演。凄まじい音と光とスモークのなか、ロシア人ダンサー達が、鍛え抜かれた己の肉体だけを頼りに、スケートし、寸劇やイリュージョンも見せ、ワイア−や空中ブランコで空を舞う。CG、特撮全盛の昨今、こういうトリック無しの人力アートは、それだけで胸を打つ。一体どれほどの時間をつぎ込めばこんな芸当ができるようになるのだ?素晴らし過ぎる。一方ユーミン氏は…まあ、詳しい内容はここでは書くのヤメとこう。こういうカネがかかったイベントをはなからバカにする輩も多いが、一度、見たほうがいい。この労力、創造力、そして膨大なスタッフを束ねる牽引力。生半可なことではない。ステージ後方のコーラス隊3人の黒一点、イマイマサキ君、彼も本当にがんばっていた。カーテンコールで、50数名にも及ぶであろうダンサー達(ロシア人だからややこしい名前なんじゃコレが)をひとりづつカンペ無しで紹介しきったユ−ミン氏はエライ。
ステージ終了後、楽屋入口にイマイ君をたずね、礼を言う。電話やメールではなんどもやりとりしていたが、こうして会うのは初めて。声同様、素直で誠実な性格と見た。
(2003.08.19)

盆明け早々、ちょっと大きめのプレゼン攻めに見舞われ、昨日は久々の徹夜を経験。思えばコピーライターとして駆け出しの頃は、毎日が徹夜状態だった。当時は代理店担当者によく言われたものである「小林君さぁ、あと10年もすりゃ徹夜なんかやってられないカラダになってるよ。今だけだよそんなに無理できんのは」ヤツに見せてやりたいぜ、この四十路の勇姿を(笑)。確かにウチのオフィスもスタッフが増え、俺の肩書きにも「チーフ」なるものが加味されて、前みたいにひとりで10数社もの仕事を抱えることはなくなりはしたが、かといってヒマになったわけでは全然ない。むしろ、俺の多忙は毎年加速していってる。ついでに仕事と遊びの境界線もますます曖昧になってきた。これがストレスをほとんど感じないでいられる理由のひとつなのだろう。
本日のラジオ、ゲストなし。この番組を始めて3年が経つが、ゲストが一人もおらんっちゅうのは初めてだ。俺のプログラムはやたらとゲストが多いことでも有名で、あの狭いスペースに、最高13人ものゲストがギュウ詰めになったときにゃ、はっきりいって酸欠状態に陥った。アシスタントのイコマユカは、風邪でもひいたのか、熱があるらしい。眼はどんより、口をポカ〜ンとあけ、いつにもましてヤル気が感じられん。ニュース原稿も噛みまくり。「人間世界遺産」でも、そのうち紹介するが、こやつ、本番中に眠ったことが2度ほどある。そのうち「寝言」でも聞けるかも知れない。「そるそるホットライン」では沖縄は那覇から「山城マンゴー2号」ことマキスケ君からの電話レポート。彼の電話の通話口に吹き付けるブォブォオと吹き付ける風音を聞いてたら、無性に沖縄に行きたくなった。放送終了後、オフィスに戻ってプレゼン準備の続き。
(2003.08.17)

8時起床、レコ−ディング棟の梶山を見舞うと、「なんとか歩けそう」と言う。一安心。炊事場棟の梶山が転んだ場所は、周囲がぐるりとロープで囲われ、「立ち入り禁止区域」に。聞けば、昨夜だけで梶山以外にも数人が転倒したらしい。陶芸家のM氏などは「ボクなんか一人で4回も転んだけど無傷だよ。梶山君があんなことになっちゃったのは、きっと飲みが足らなかったんだよ」と、やや自慢げ?。昨日、ここへ着いてすぐ、俺がナビゲーターを勤めるWEBTVの収録を速攻で済ませたのであるが、天気がよかったのはその時だけで、やたらと雨に祟られた2日間だった。昼過ぎ、小雨の中、帰路へ。
(2003.08.16)

甥っこの直樹とポチを連れ、広島湾に浮かぶ能美島は真道山森林公園にあるオートキャンプ場へ。毎年、この時期、併設の野外音楽堂で行われている「パーカッションキャンプ」も、今年で10回目。西日本を代表するパーカッショニストでfar East Loungeのメンバーでもある水木ツン氏の主催。パーカッションキャンプとはいいながら、さまざまなジャンルのミュージシャンが、夕暮れから深夜にかけて思い思いのスタイルで登場。それを客は、緩やかな擂り鉢状の芝生広場に寝転んで見物するのであるが、今回、予報は雨。リハを終えたあたりから、雨雲がむくむくと空を覆い始め、日没あたりから土砂降りに。一度は止んでくれたのに、俺らがステージにあがった途端、また強烈に降りはじめ、客は蜘蛛の子を散らすがごとく会場から離れたテントサイトのほうへ逃げ込み、非常にお寒い状況での本番となった。しかし、俺たちの不運はこれだけではなかった。演奏終了後、カカトを虫に刺されたFar East Loungeの鉄腕ベーシスト梶山シュウが、軟こうを取りに行く途中、炊事場棟の斜面のぬかるみに足をとられて転倒。そのとき悪いことに、複雑骨折してボルトが入ったままの右足で踏ん張ったところ、激痛が走り、立ち上がれなくなってしまったのだ。一方、ほぼ同時刻、Far East Loungeの新加入ギターの沖井クンの乗った車がキャンプ場そばの細い林道で脱輪、立ち木に引っ掛かり、救出を待っているという仰天情報が飛び込んでくる。しかも、かろうじて車を支えている立ち木の下は崖で、そのままズリ落ちればけっこうヤバイ!とのことで、男連中10数名が傘を放り投げて現場に走る。俺も気が気じゃないが、一度に2人はムリ、まずは梶山!と自分に言い聞かせ、青白い顔で担荷に横たわっている梶山とともに、駆け付けた救急車に乗り込む。約15分後、病院へ到着するも、盆休みのせいか、レントゲン技師がやってくるまでたっぷり40分。結果、「ボルトのズレは今のところ目視できない。たぶん、大丈夫じゃないかなぁ」と、これまた眠そうな若いドクター。梶山自身も痛みがやわらいできたというので、痛み止めの座薬をもらい、救急車の後ろを追っかけて来てくれていたB氏のワンボックスへ梶山を抱きかかえて移し、再びキャンプ場へ。気になっていた沖井クンとも連絡が取れ、みんなの協力で無事クルマの引き上げに成功、車体破損もほとんどないとのこと。梶山は野外音楽堂横のレコ−ディング棟のキミサ−室に運び込んで寝かせ…午前0時前、長かった雨の夜がようやく終了。見上げれば、雲の切れ目から霧に滲んだ月が。まあ、こんな日もある。自分のテントに戻ると、心配して寝ずに待っていた直樹とポチの出迎え。それにしても、随分と「俺にとっての大切な人」が増えたもんだ。音楽を通じて繋がりあえたかけがえのない仲間達。パーカッションキャンプに来てよかった。
(2003.08.12)

「よい子のみなさん盆ジュ〜ル!」で始まった本日のラジオのゲスト、野中ヨシオ氏。氏はこの夏、某カーディーラーのCMに「セミ男」として出演しておられる。なので、俺もつい「セミ男さん」と何度も呼びかけてしまう。「きょうはセミ男さん、この9Fのスタジオまで飛んで来られまして」「セミ男さんオススメのこの映画、みなさんもミンミン(見ん見ん)なんていわず、是非映画館へ」などとますます図に乗る俺に業を煮やしたのか、野中氏も「しまいにゃシッコするぜ!」と反撃。実に低レベルの放送で楽しかった。ところで先週、当番組の沖縄駐在レポーターのマキスケ君の厚意で、沖縄特産最高級マンゴープレゼントの応募を呼びかけたが、その当選者を番組後半で発表。このマンゴー、別口でマキスケ君に注文していたのが今朝届いており、早速食べたらまぁ、これがウマイのなんの。マジで口がシビレた。値は張るがそれだけの味ではあるわいな。ああ、また沖縄行きたくなってきた。
夜、アジア最高の某スカパンクバンドの岡山公演を見に行っていたブラリスト久保から電話。例によって打ち上げに参加しているというので、ボーカルのI氏に替わってもらい、少し話す。なんと、俺のCDリリースを楽しみにしていると言ってくれる。光栄である。9月の広島公演での再会を約束。
(2003.08.10)

台風一過の洗い浄められた青空の下、8才になる甥っこの直樹を連れて、酒処としても有名な広島県西条の山や沼を虫取り網を振り回しつつ歩きまくる。ガイドは西条の怪人、田原男爵。いくら開発が進んだとはいえ、まだまだこの一帯は動植物の宝庫で、今では珍しくなったオニヤンマやショクヨウガエルの巨大なオタマジャクシを眼にし、手で直に触れ、直樹、完全にフィーバー。最後に、田んぼの畦で発見したクサガメ(!)をどうしても家にもって帰りたいとグズるも、それだけはカンベンしてほしかったので浦島太郎がカメを助けてやったハナシを聞かせてやったところ、しぶしぶリリースに応じる。
しかし、ひとつ気になったのは、天気がいいのに俺たちと同じように虫取り網を持った親子と一組も出会わなかったこと。最近の子供は、外で遊ぶことなく、もっぱらファミコンなど自宅で過ごすことが多いと聞く。トンボやセミの羽の美しさ、爬虫類・両生類のヌルヌルした感触、捕まえようと網を伸ばす時のドキドキ感、泥の甘いニオイ、カブトムシやクワガタのメカニカルな造形美、耳を圧する蝉時雨etc、それらを知らずに少年期を過ごすことは不幸である。最近の少年犯罪、あるいは成人の引き起こす猟奇的犯罪も、手ごたえのない不健全な価値観を否応無しに押し付ける現代学校教育の歪みの現れではないのか。真っ黒に日焼けした直樹の「正しい夏少年」ぶりが、眩しく、少しホッとさせられた。この時期の子供は勉強より、ヘトヘトになるまで遊ばせるべきだ。ゼッタイに。お盆に計画している広島県佐伯郡能美島真道山での野外ライブ&キャンプにも彼を連れて行き、キャンプデビューさせてやるつもり。
夕方、初代春駒、俺の両親らを誘い、市内某所のフランス料理店で食事会。初代春駒、大正6年生まれで御歳86。ここ数年で両膝と歯を悪くし、かなり弱気になっている。2ケ月に一度くらいはこのような食事会を催し、ハイカラ好きな彼女の心に少しでも張りを持たせてあげられればと思う。
写真解説:クサガメを手にして得意満面の直樹少年。親戚に言わせると、彼は俺の幼少時にウリふたつとのこと。このまま逞しく突っ走ってほしい。
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