Far East Lounge 三代目春駒小林一彦オフィシャル 小林一彦イラスト

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2004年05月の日記

パンツの懺悔 (2004.05.31)

先週、俺が勇造師匠とOTIS!でライブをやらかした同じ日、オタマも市内某所で出産前ラストのバイオリンwithピアノ・ソロコンサートを行なったのだが、ナント、103人(主催者発表)も集まったげな。観客の大半は主催者側が準備したコンサート告知チラシを見ての来場らしい。俺は必死こいてメール送ったりデンワしたり自分のラジオでも告知したりで平均30名あたりがやっと(だから来てくれているひとにはなおさら感謝しております)。この差はぐやぢいっ!

午前中、請求書を数カ所に郵送。いい時もあれば悪い時もあるが、この三カ月、全身情熱系ハイパー芸人としてはまずまずの滑り出しかも?!
俺に先がけてフリーランスとなった友人コピーライター氏がいるけど、最初の半年は営業攻勢をかけまくっただけで、まったくといっていいほど仕事がもらえなかったとか。それを思えばさして営業活動をしていない俺はラッキーであった。が、こんなこっちゃイカン。だいたいなんだ、自宅がオフィスとはいえパンツ一丁で仕事するなんざ、ゆるみ過ぎじゃ!っつーことで、自己反省をこめて本日より「正装」にて業務。正装とは、夏季はアロハシャツ+ジーンズである。これで少しは人間らしゅうなった。

コピーライティング&アートディレクション、FMDJ、ミュージシャン、CMナレーション、、、俺の業務を収入順に並べたら現在このようになる。ナレーションの仕事は一時期かなりのオファーが複数のプロダクションから舞い込んで来たものの、サラリーマンとしての立場上、ほとんどをお断りせざるを得なかった。よっしゃ、次はこれを解禁したろう。二週間以内にナレーションデモ音源を製作し、プロダクションを廻ってみるべし。二兎追う者は一兎も得ず、しかし、二兎以上追う者はエット(広島弁で「たくさん」の意)得る?!
ニューウェーブ三線、、、心体育道撮影モデル、、、 (2004.05.30)

昨日、「OTIS!」のマスターS氏に見せてもらった、「ちんだみ工芸社」のペグ三線(サンシン)が頭から離れん。ペグ三線というのは、普通の三線が摩擦式の糸巻きなのに対し、大胆にもギター用のペグを採用したアイデア商品で、これによりチューニングが格段に正確&簡単になったと今話題のニューウェーブ三線。俺はチューニングがメンドーなのは好かん。多少、伝統をないがしろにするチューンであっても、使いやすいに越した事は無い。色も、S氏所有のそれは、今まで見た事がない鮮やかな朱(特注で5000円アップ)。思えば数年前にウクレレを購入することになったのもここでS氏自慢のウクレレを見せつけられたのがきっかけであった。あううっ、8月に沖縄行くのがコワイ。ちんだみ工芸社本店があるのは、勝手知ったる那覇国際通りのあそこの角をこう入ったところの、、、ど、どないしまひょー!

午後より、宇品公民館にて、心体育道フォトセッション。某フルコンタクト系カラテ月刊誌に掲載するための鍛練法及び用法の実演撮影である。廣原先生はカメラマンに徹し、黒帯がモデルとなって入れ代わり立ち代わりで演武。今回の撮影のために先生が新しく考案された相手をつけての用法、マジでエグイ(笑)。こんな体勢でこんな攻撃を実際に喰らわせられでもしたら、、、考えただけでも空恐ろしいゼ。で、俺も中盤に登場。掲載されるのは来年春あたりか?
勇造師匠、広島ライブ (2004.05.29)

平年より8日早く、広島梅雨入り。

夕方「OTIS!」にて豊田勇造ライブ。俺と梶山もすっかり恒例となったフロントアクトをやらせていただく。
勇造師匠、復活したギブソンJ-200(前回はなんとボディの割れがガムテープで補強してあった!)を手に、新曲を交えてパワフルに、軽やか〜に約1時間半。新曲は限り無く「語り」に近い。歌詞がメロディが、というのではなく、そういう境界さえ感じさせない程の一体感。Aメロ、Bメロという区分もほとんどない。言いたいことがなくなったらその時点で終了する、という具合。なんだろうこの自然さは。俺が沖縄のミュージシャン達に感じた「等身大ミュージック」ではないか。
ラストでは、俺と梶山もステージに呼ばれ、セッション。
一曲目のブルース、
「あれは20数年前の広島YMCAホールでのこと〜17才の高校生がまるで俺に挑むみたいに一番前に座ってた〜ギターを目の前に置いて座ってた〜」
と俺のことをアドリブで歌ってくれるではないか。感無量なり。そう、あの時、俺は勇造師匠にケンカを売りに行ったのだった。「豊田勇造とかいう京都のシンガーがどれほどのもんか、この目で確かめたる!」とばかり意気込んで。が、一曲目「大きな自由」であっけなくブッ飛ばされ、二曲目「タイガージェット山本シン」では夢中で手拍子をしておった(笑)。超絶テクのギター、歌詞の斬新さ、素直さ、視点の鋭さ、声の力強さ、、、気持ちエエぐらい完敗である。これほどゾッコンに惚れ込んだミュージシャンは後にも先にも彼ひとり。
ライブ終了後、こづかいすべて投入してLP3枚すべて買い、サインもしてもらって放心状態の俺をライブ主催者のH氏が打ち上げに誘ってくれ、、、いや、これが俺の人生を決定づけたといっても過言ではない。ホイホイと打ち上げに参加した俺は勇造師匠から「キミは俺の目の前にギター置いて睨み付けていた少年やな。どや、一曲歌ってみぃへん?」と彼の愛器ギブソンJ-200を渡され、言われるままになんだかしょーもないオリジナル曲を披露。聞き終わった師匠「うん、エエとも悪いとも思わんけど、来年から一緒にステージに立ってや」とまぁ、とんでもない展開になり、翌年からは年に一度の広島ライブでフロントアクトを仰せつかって早20数年。年を追うごとに「小林クン、ようなったな!」と言ってもらえるようになったけど、師匠とて見る度に新しくなっていっている。御歳55才。未だに学ぶ事は多い。師匠、幾久しく健やかに!これからも不肖の弟分をよろしくお願いいたしまする。
世の中カネじゃねぇ?! (2004.05.28)

ぶひぃ〜、ばふぅ〜、二日酔い。懲りんのう俺も。

幻冬舎から文庫版化されたばかりの木戸次郎著「修羅場のマネー哲学」がメチャおもろい。著者は90年4月のバブル崩壊でたった二日間でナント7億1560万円を損失。「株の負けは株で取り戻せ!」と決意(このとき23才)し、大借金地獄から9年かけて生還。ヘタな冒険小説より100倍楽しめた。

ところで最近、「小林さんは、世の中はカネじゃねぇ、と常々言ってらっしゃるそうで」などと、誰からそんなこと聞いたのか知らないけど、初対面の方から言われることが多い。それは違います、なんかのはずみで言ったこともあるけど、それはカネを軽蔑でしているという意味じゃないし、俺の信条全般でもない。世の中ほとんどはカネである。俺のアイデアや曲が、価値あるものとして売れて欲しいといつも思っている。好きな時に地球どこでもフラッといける程度のカネがあったらヨカです。服とかクルマとか食い物とか住む家とか、そんなのはフツーでいい。俺の友人達の間では昔から、ある不文律が存在する。それは「カネを持っているヤツが持ってないヤツをフォローする」というものだ。田原男爵になど、これまで約20年の付き合いの中で合計数十万円は奢ったのではなかろうか。俺が2月に退社した際、彼に始めて酒宴を催していただいた。安い店ではあったが(笑)。カネ、それは人生の素晴らしきパートナー。要はそれをどう使うかに人間性が出てくるのだ。
ホールインワン、、、古巣のベクトル、、、 (2004.05.27)

夕方オタマを西区のダイヤモンドホテルまでクルマで送る。オタマ、今夜ここで開かれる某パーティーで演奏するのだが、このパーティーが凄い。主催者はオタマの所属する弦楽四重奏意団のチェロ奏者のお父さん。なんでも、先日ゴルフコンペでホールインワンを決められたそうで、その「運」を皆さんに分配するためだとか。俺、こういう発想、かなり好きである。愉しいこと、美味しいもの、それらは皆で分かち合うとカンドーはさらに大きくなる。

夜、かつての同僚と飲みに行く。ズバリ、オフィスを辞めたがっており、先がけてフリーランスとなりス−ダラ的人生を謳歌しているこの俺に、いろいろ話を聞いてみたかったようだ。才能があればあるほど、クリエイティブに賭ける志が高ければ高いほど、現オフィスではストレスが溜まると思う。いや、これは古巣をバカにしているのではない。単に目指す方向性の問題である。今だって、最高のデザインプロダクションを紹介して欲しい、と言われれば俺は自信を持って古巣を挙げる。、、、、なかなか難しい問題だ。なにせ、俺の生きざまや価値観は、おそらく誰にとっても手本にはならないだろうからね。
ヘラヘラしつつも、、、 (2004.05.26)

午後、基町某所にて、日本初?!の鉄道会社を立ち上げようと奮闘しているネコ好き(笑)の京大大学院生I氏と懇談。彼とは初対面であったが、なかなかユニークなハナシが聞けた。俺はできる範囲内で彼の活動をサポートすることを約束。しかし、俺の友人の京大卒業生はすべからく変人。環境月刊誌「環太田川」編集スタッフである原 哲之氏は最初、底引き網漁船の漁師になったし、尾道の井上 浴氏はバリバリの不良作家だ(でも井上さん、これは最上級のホメ言葉ですので)。前例が無い?カンケーねぇ。情熱を滾らせている人はそれだけでカッコエエ。いや、俺も負けてはおられんなぁ。自分自身を庇ったりすんのは世界一ダセェ行為だ。あらかじめ逃げ道なんぞ用意していたら全力は出せんし、ホンモノの感動を得られるわけがない。己を思いっきり突き放せば、違った風景が必ず見えてくるっつーもんよ。嗚呼、絶景かな! よって、俺の辞書に「テキトー」なる中途半端な文字は存在せず。ヘラヘラしつつも実は大マジ。これが理想なり。
鳥フン攻撃 (2004.05.25)

本日のラジオ、沖縄音楽特集。なぜ、沖縄音楽か?いや、たいして深い意味は無い。俺が聴きたいだけだったりして(笑)。中盤あたり、昨日のFar East Loungeライブ音源から2曲「どうじゃい」「夫婦蛸」もオンエア。

放送終了後、中国新聞社ビルを出て、脇に停めておいたチャリに跨がろうとすると、おおっと、危機一髪。ナント、チャリのサドル一面に、直径15センチもあろうかと思われる白っぽい液状の鳥フンがブチまけられているではないか!最近ここらでよく見かけるゴイサギの仕業か? 一応確認のため、鼻を近付け嗅いでみると、、、オエッ!あまりの臭さにゲロ吐きそう。やはり、魚が腐ったようなニオイはゴサイギのブツに間違いない。しかし、このまま俺の尻を乗せるわけにはいかん。どうしたものかと考えていると、川土手に公衆便所を発見。そこでチャリからサドルを抜きとって、そこの手洗いでゴシゴシやったらあっけなく一発でキレイになった。「よっしゃぁああああ!」ひと気のない夜の公衆便所でサドルを握ってガッツポーズをとってる俺って、他人がみたらかなりヤバイかも。
ジャイブでワンマンライブ (2004.05.24)

朝イチで原稿をメールであちこちに送る。
そんでもって、今夜ジャイブで演る曲のセレクト。通常、俺は本番直前まで曲を決めん。っつーより演奏しながら「次はなんにしょうかぁ」てな具合。別にメンドーだから、というのではない。演奏空間の雰囲気を嗅ぎ取りながら、その瞬間にふさわしい曲を選んでいるのである。
しかし、今回は新曲が多い。ただでさえ「一曲一曲のインパクトが強すぎる」と言われる俺のオリジナル曲(笑)、ワンマンの長時間ステージでは曲をうまくつなげないと、それぞれの作品が相殺し、制御不能になりかねん。
結局、曲順が決まったのは夕方。トホホ。

19時にジャイブ入り。本番は15分遅れの20時45分からスタート。お客の入りはちょっと少なかったが、皆さんノリがかなりよろしい(笑)。20分の休憩を挟んで22時より2ステージ目。セットリストは「カプチーノもう一杯」>「黒いストッキング」>「どうじゃい(4ビートNEWバージョン)」>「テレフォン」>「ルフラン」>「梶山ソロコーナー」>「その男ヨシオ」>「星の波間に」>「38度線」>「つかのまの天気雨」、、、、第二部は「もう一晩おまえと」>「Get closer」>「春は流れて(新曲)」>「梶山ソロコーナー」>「夫婦蛸」>「ゴク楽クッキングのテーマ(新曲)」>「テビチ記念日」>「UMIKAJI」>「月の下ジントヨー(新曲)」>「ひかりのうた」、、、アンコールで「ヤンバルクイナのブルース」

うまくいったのもいかなかったのもあるが、総じて高得点のステージがやれた気がする。新曲「春は流れて」も、ちゅーぴー梶山が曲後半に組み込んだパッヘルベルの「カノン」をばっちりキメてくれて歌っている俺自身がトリ肌的カンドー(笑)。ツン氏も相変わらず千手観音のごとくアノ手この手で垂涎のビートを叩きだしてくれなさる。それにしてもFar East Loungeの場合、客がイイと言ってくれる曲がバラバラで、どれか一曲に集中するということがない。これは嬉しいことである。

家に帰って、本日のライブ収録MD、特に「夫婦蛸」がおかし過ぎ(笑)。自分でも気絶するほど笑ってしまい、目が冴えて眠れなくなった。よくもまぁこんな曲を思い付いたものだ。ギネス級のアホか?!
その男トシ風間 (2004.05.23)

久保直樹宅にて、8月7日からの沖縄キャンペーンの第二回ミーティング。当初、俺は演奏オンリーのつもりでいたのだが「それじゃモッタイナイ。後半はシーカヤックにしようや」と久保。う〜む、その為には一週間は必要だ。どうしましょ?

夕方、中区の広島市まちづくり交流センター集会室での「トシ風間講演会&スライドショー」へ。彼は在米30年の46才フォトグラファー。この講演会の事は、ロックアーティスト山口洋氏のオフィシャルHPで知った(二人は親友らしい)。トシ氏はもともと商業カメラマンをやっていたのだが、数年前から死刑囚、それも未成年者の写真「Juveniles on Death Row」を撮り続けている。プランの斬新さと、それを成し遂げる忍耐力、構図のセッティング、一瞬の空間を切り取る反射神経、、、すべてが一流カメラマンの所作であったが、なによりも感動を覚えたのは彼と被写体(死刑囚、その家族、事件現場、死刑執行器具etc)との心理的距離感だ。ただ写真を撮れればそれでオッケー、ほなサイナラ!っつーもんじゃない。そこには、口幅ったいけど「見届ける者の覚悟」と「見返りを求めない愛」が見て取れた。
彼の、ややたどたどしい日本語(彼が「パッションって、日本語に訳したらなんでしたっけ?」と言ったのには笑った)でのトーク内容も衝撃的であった。
アメリカにおける死刑執行の現状。未成年者の死刑囚が居ることもオドロキだが、彼がこれまで印画紙に焼きつけてきた20人のうち、数人はもうこの世にはいないそうだ。死刑になるぐらいだからよっぽど酷い事件を起こしたのか?いや、実は彼らの何人かは冤罪の可能性すらある。そしてそのような境遇に貶められた背景には厳然たる「貧困」と「差別」が横たわっていた。金持ちは決して死刑にはならない。

モノクロームのスライド映像は続く。
一様にあどけなさを残した死刑囚達。そう遠くない未来に確実な死が待っているはずなのに、なぜか穏やかな表情。中には笑顔さえ見せて、、、
死刑執行部屋と、死刑囚家族の観覧席。その奥の防音マジックミラーで囲われた被害者家族観覧席、、、
死刑執行前に、死刑囚が最後の食事を摂る小部屋。テーブル上には花瓶に花。しかしこれは「造花」である。「しょっちゅう死刑執行が行なわれているんだからいちいち取り替えるのがめんどくさい、という理由、、、
注射器による死刑執行器具。薄汚れたベッドに体を固定する拘束帯、、、
電気椅子の下に取り付けられた、体液の受け皿、、、、
はてしなく続く死刑囚の墓碑の群れ。「この墓碑、すぐにいっぱいになっちゃうんですよ。そしたらどうするか知ってます?ブルドーザーでこの上に土を被せて、その上に新しい墓地を作るんです。だからこの下にはすでに何層も墓地が重なっている」、、、、
殺人現場。「この写真、かなり薄暗いでしょ。薄暗い場所だったんです」、、、

撮る側の作為がない。リアルだった。等身大の死刑囚が俺の目の前に立っていた。人が人を裁く事の不条理。他人によって自らの命が断たれる事の虚無感、あるいは自分自身の手によって他人の命を断つという罪悪感。
トークの最中、大きく深呼吸したり、眉間を押さえてよろめいたりするのは、彼自身が昨秋NYで通り魔に襲われた際の後遺症(首を絞められた後、頭部をアスファルトに叩き付けられ頭蓋骨数カ所陥没骨折で5日間の昏睡。今も右耳は聞こえない)かもしれなかった。それでも彼は言う「ボクは家族にも言ったんです。犯罪そのものを憎んでもいい。だけど犯人を憎んではダメなんだ。犯罪のバックグラウンドに眼を向けなければダメなんだ」。まったく、なんという男なのだろう。

講演&スライドショーが終わると、まったく意外な事に俺はあたたかな「希望」に包まれていた。うん、彼の存在自体が希望そのものだった。「憎しみの連鎖」を断ち切ること、それは、気持ち一つで選び取れるのだ。俺にもできる?いや、自信はまだ無い。でも、断ち切れる俺でありたい。

A新聞社の記者、と名乗る青年が俺に講演の感想コメントを求めてきたので、ボソボソ応える。
「インタビューに応じていただき有り難うございました。コメントを新聞掲載した際はお知らせいたしますので、よろしければ住所とお名前を」
「それならここへお願いします」すると俺の名刺を受け取った彼、しばし絶句。
「どうかしましたか?」
「あのう、、もしかして、Pステーションのパーソナリティの小林一彦サンですかっ?!」
なんと彼、俺の番組をよく聴いてくれているらしい(笑)。広島は狭い。いや、同じ波動を持っているから出会えるのじゃないだろうか。そう考えれば地球も狭い。

会場出口でトシ氏に礼を言うと「そうなんだ、ヒロシ(山口洋氏)が知らせてくれたの!来てくれてホントにアリガトネ!」と手を差し出してくれた。一流のカメラマンらしく、女性のように柔らかい手であった。
必然の偶然に感謝。
平壌の家族 (2004.05.22)

小泉首相の再度訪朝。平壌空港に出迎えたのは前回のナンバー2、キム・ヨンナムとは違い、キム・ヨンイル外務次官と大きくランクダウン。出迎えのセレモニーも無し。案の定、結果は拉致家族の子息5名のみの来日(彼らは彼らで、祖国=北朝鮮から「無理矢理連れ去られた」気分を味わっていない事を祈りたい)。あとは今後の交渉次第。小泉氏を批判も擁護もするつもりはない。相手は《世界一孤独な男》が統治する狂人国家北朝鮮、そう簡単に事は運ばん。そりゃわかっている。が、俺には今、無性に歌いたい歌がある。圧政下でも在るがままの自由な心を失わない男や女へ送ったラブソング。作ったのはもう7年も前のことだ。

《38度線 The 38th parallel of latitude》
〜安明哲(アン・ミョンチョル)著「北朝鮮絶望収容所/彼らは泣いている」へのオマージュ〜
   
38th parallel 38th parallel
アリランの歌は聴こえるかい
38th parallel 38度線
アリランの歌は聴こえるかい

赤い布ではもう あのひとの涙はぬぐえない
赤い布ではもう あのひとの渇きは癒せない
カナリアが息絶えた朝に トラックの中で打ち明けた
“今夜ここを逃げ出さないか” だけどきみは哀しげに微笑んだだけ

38th parallel 38th parallel
アリランの歌は聴こえるかい
38th parallel 38度線
アリランの歌は聴こえるかい

同じ風に吹かれて 道標なき旅路を彷徨う
変わるはずの明日は 今も子供らの手の中にある
色あせた祝祭に降り続く 雨よケナリ(連翹)を散らせるな
やっと心許せたのに 馬鹿な俺きみにサヨナラなんて

38th parallel 38th parallel
アリランの歌は聴こえるかい
38th parallel 38度線
アリランの歌は聴こえるかい

車捨てて 服を脱いで 
俺は 豆満江(トゥマンガン)を渡る
息を殺し 闇にまぎれ
俺は 豆満江を渡る

いつか自由の広場で もう一度生きてきみと出会えたら
あの日言えなかったことを 今度こそ伝えるよ

38th parallel 38th parallel
アリランの歌は聴こえるかい
38th parallel 38度線
アリランの歌は聴こえるかい

、、、そんなわけで月曜日、やると思うです。
ふたたびキャシャーン (2004.05.21)

午前中の早い時間から猛然と執筆、気付けばすでにPM3時。ノッて書けてる時は中断したくない。先日取材したダイヤモンド商のヨーロッパ滞在記、ボランティアで書いている某環境月刊誌コラム等、なかなか面白い文章が書けた。

廣原先生からデンワ。「キャシャーン」を見に行かれたようである(笑)。この映画のテーマ「憎しみの連鎖」はやはり予想外だったらしく「見終わって落ち込んでしもうたよ。ブッシュさんに見せたいね」とのこと。
夜、オタマも見たいというので、レイトショーを二人で見に行く。う〜ん、やはり原作を知っている世代としては、豪快でスピーディーな戦闘シーンをもっとたっぷり見たいと思ってしまう。監督としては海外マーケットを意識したのもあるだろうが、俺は純粋にアクション娯楽映画でいって欲しかった。不思議な事に、二回目は短く感じた。オタマは結構楽しめたみたい。くどいようだが、お次は「キューティーハニー」じゃの(笑)。
御隠居モード、、、家庭菜園へのいざない、、、 (2004.05.20)

原稿の乱れ撃ち。外は今日も雨。こんなときメールでやり取りできるのは実に有り難い。

執筆の合間、気分転換に去年買った水中植物(バナナプラント)の鉢を新しいものに取り替える。なんか最近の俺は「植木いじり」ばっかりしているみたいだな。
そんな御隠居モードの俺を見て、「プチ野菜でも作ったら」とオタマ。おお、家庭菜園か!そりゃグッドアイデアじゃん。日曜日あたりホームセンターで物色してみよう。

新曲「春は流れて」に新しい歌詞を追加。さらに、こいつにクラシックの名曲、パッヘルベルの「カノン二長調」をエンディングで組み込むというスバラシイ暴挙を思い付き、夜、喫茶こばやしスタジオでやってみる。といっても、その部分を弾く事が出来ないので口オーケストラ(笑)。けっこう面白いけど、ライブのときゃどうすんじゃ?
ちょこっと古巣へ (2004.05.19)

昼前、古巣のデザインプロダクションへ。デザイナーのN女史に頼まれていた資料を渡し、しばし互いの近況報告。俺がここを去ってから早三カ月。残った馴染みのスタッフ達は「小林サンはうまくやっていけているんだろうか??」と、かなり心配してくれていたみたい。ううっ、すまぬ。当の本人が一番呑気でございます(笑)。
フリーになって思うのは、ここのプロダクションレベルのクリエイターであれば、どこでも十二分に通用すると断言できるっつーこと。もちろんフリーでも問題ない。さぁ今スグ783-640!(悩み無用)俺と一緒に飛び出せば、明るい人生きっと生えてくるぅうう〜?!

しかし、梅雨でもないのに雨がよう降りよる。何年か前、一週間もジトジト雨が続いた某日、ふと玄関のシューズラックに目が向き、妙なことに気付いた。「ありゃ?こんなブルーのブーツ、いつ買ったかいな?」よく見りゃそれは、餅に生えるようなアオカビでびっしり覆われた俺愛用のバイクブーツであった。哀れなり、無惨なり。これぞまさしく「ブルー・スェードシューズ」じゃんか。「わはははは!」呆然とする俺を見てメチャ受けするオヤジ。なんでこうなるまで教えてくれなかったのだ?オッサン性格悪過ぎ。とにかく、革製品は長雨には要注意だすヨ。
姫神がいる、、、 (2004.05.18)

今、気になっている曲がある。「NHKみんなのうた」で、ときどき流れる「とのさまがえる」というヤツ。「とのさまがえる、、、殿さまがいる、、、殿さまかわる、、、よきにはからえ、、、ゲロゲーロ」てな、ものすごくシンプルな歌詞がループで繰り返され、輪唱のように何故か石坂浩二の朗読がかぶさる(笑)。背景映像は俺の好きなしりあがり寿のゆる〜いイラスト。なんというのか、悟りの境地というか、すべての欲望から解き放たれた超越解脱、無念無想、清浄悠久の涅槃境なりや?!、、、、、ううむ、俺はまだまだだっ!

本日のラジオゲスト、「姫神」の星 吉昭氏。姫神といえばかれこれ20年前、NHKのドキュメンタリー「ぐるっと海道3万キロ」のテーマソング「海道を往く」で、その存在を知り、何枚かCDを買っていたのだが、実際にお会いした星氏は見たカンジも物腰も人の良さそうなフツーのオジサン。ただ一つ「眼」が違った。俺はこのような眼をした人物を他に知らない。大袈裟に聞こえるかもしれんけど、その眼窩はあたかも「地球」が埋め込んであるかのような、霊的かつ規格外の旺盛な生命力を孕んでいた。なるほど、汲めど尽きせぬ泉のような創造力の源はこれだったのかと。「面白そうだから」で生きておられるのであろう。だから常に柔らかく新しくいられるのであろう。
今回の広島入りは、4月21日にリリースされた通算22枚目のアルバム「風の伝説」と、それを記念して実施されている初の全国ツアー(広島は7月21日アステールプラザ大ホール)のPRキャンペーン。トークの中で俺がふと「縄文」を持ち出した時の彼の反応はまさに神速であった。蝦夷(えみし)の末裔(彼は宮城県出身)としての強靱な意志をかいま見た気がした。ああ、俺の「縄文論」も彼にブツけてみたかったぜ。これまでスケールがデカ過ぎてある意味とらえどころもなかった「姫神」が、今はすごく身近で親しいものに感じられる。とのさまがえる、、、姫神がいる、、、姫神帰る、、、ということで帰り際握手した彼の手は暖かかったッス。
人生の分岐点になるものは、、、 (2004.05.17)

午前中、デンワとFAXの集中砲火。その間隙を縫っての原稿執筆。

午後、新規HP作成のための取材で、大芝にあるクライアントのオフィスを訪ねる。クライアントのO氏はダイヤモンドの個人ディーラー。フツー、このテの仕事をおやりになっているのは、なんとなくスジ者っぽいイメージがあったものだが(事実、俺の知り合いもそうだ)、彼にいきさつをインタビューしたところ、まったくのカタギであることが判明。疑ってすんませんでした(笑)。しかし、ユニークなハナシが聞けた。O氏をこのビジネスに引き込んだのは日本人初のダイヤモンドディーラーとなった人物T氏。この人、研修を兼ねてO氏をダイヤモンドビジネスのメッカであるベルギーはアントワープに連れて行ったはいいが、滞在二日目になんと心臓発作を起こしている、しかも高速道路で運転中に(笑)。かろうじて車を路肩に寄せ、苦しがるT氏を一体どうすりゃエエんかいとO氏が大いに焦っていると、通りがかりの親切なイタリア人旅行者が救急車を呼んでくれてT氏を無事搬送。慌てたのはクルマとともにポツネンと残されたO氏である。言葉が通じない見知らぬ異国の地で、それも複雑に入り組んだ高速道路上で置き去りにされちゃかなわんと、必死でアクセルを踏み込みT氏を乗せた救急車を追跡するも、あっけなく見失ってしまう(笑)。さぁ、どうなる?!だいたいどっちがアントワープなのだ?ヘタすりゃ冗談抜きでドイツとかフランスとかとんでもないことろに行っちまうぞ、、、、、この結末は、2カ月先に開設される予定のO氏オフィシャルHP内コンテンツ「幸雄のヨーロッパ日記(仮称)」をご覧いただきたい。彼の旅日記を俺が一人称でコラムっぽく文章化します。「人生は何がきっかけになるかわからない」それをO氏のエピソードが如実に物語っている。彼の場合は高速道路の分岐点が、そのまま人生の分岐点にもなったのだ。
人は見た目も大事、、、キャシャーンアニメ版、、、 (2004.05.16)

雨。ジメジメと梅雨を思わせるような一日。

オタマと紙屋町〜本通〜駅前福屋をショッピング行脚。とはいえ、買ったものは安物ばかり数点。しかし、ユニクロのあとでベネトンやビームス、ユナイテッドアローズとか寄ると、デザインのクオリティの差が歴然。特に「カラーリング」だ。ベネトンの色使いはドハデなのに上品。勉強になる。素材や縫製ではユニクロもなかなか。値段が安いのもエライよのう。

俺は、人間は見た目も大事と思っている。着ている服もその人を示している、というか、その人の生き方や考え方がファッションに表れるのだ。別に高い服でなくていい、500円のTシャツでもばっちりキマっとればOK。無頓着ではいけません。信じられんかもしれんが、俺は外出する時、着る服を選ぶのにけっこう時間かけるほうだ。え、男らしゅうないって?!世界一勇猛果敢な、男の中の男として知られるマサイの男衆は常日頃からたっぷり時間をかけて念入りに身を飾り立てるじゃないかい。イタリアの男達もネクタイ一本選ぶのに最低でも平均10分かけると聞いた。我が国でも武士の時代、剣豪クラスはみなオシャレだったそうな、宮本武蔵以外は(笑)。っつーことで、俺は今日の日報読んだ人から「悩んだ末がその服か?!」と言われてしまうんだろうな。思い返せば十数年前、SOUTHSIDE AVENUE BANDで活動中「俺は世界最高のロックアーティストである!!」と嘯いておった頃の自分の写真、今見たら強烈にダセェのなんの(笑)。これでカッコエエと思っていたのだから泣けてくる。ファッションは、かくも難しい。

先日、「キャシャーン」の実写版を観たせいで、1973年TV放映時のアニメ版キャシャーンDVD(ダイジェスト版2話分50分)を買ってしまった。実に30年ぶりに見たけど、案外細部まで覚えていた。「ブライキング・ボス」のアジトに潜入するスパイ役白鳥ロボットが、キャシャーンへの情報伝達に「フォノグラム映像」なんか使ったりして、かなりススんでいる。やっぱ、日本のアニメはすごいぜよ。
増水した太田川で、ヒャッホー! (2004.05.15)

午前中、太田川高瀬堰上流約1キロ地点にて、WEBTVゴク楽生活委員会のロケでゴムカヌーを漕ぐ。このところの雨でかなりの増水。しかも水温が相当低い(加計あたりで中電が発電用に大量に取水したものが、長いトンネルを通ってここで本流に放出されているのである)。カヌーを膨らませるニュージーランド製の手押しポンプが調子悪くて難儀したけど、このフネ、すごく軽くて水面を滑空していくカンジ。気持ちエエ!高瀬堰、大芝水門がなければ、このまま海まで漕げてさぞかし面白かろう。シーカヤックみたいにラダーも装着できるけど、波や風が強い海ではシンドイかもしれない。画像アップは来週水曜日の予定。オープニングの俺のコメントにご注目ください。笑えます。

夕方道場。県外や海外から広島直轄道場を見学に来た人は、皆驚くようだ。狭くて(笑)。通常、10人ぐらいで「きょうはちょっと混んでるな」っつー具合だけど、本日は14人(爆笑)。組手をする際は、目の前の相手はもちろん、両隣りで組手をしている道場生の動きにも注意が必要。捌かれた道場生がいつこっちへ吹っ飛んでくるかわからんのだ。しかし、これはこれで重要な稽古になる。行住坐臥、四方八方への警戒を怠ってはならないということ。武人の基本的心構え也。わおわお。
クボタツの眼力、、、キャシャーン、、、 (2004.05.14)

雨上がる。裏庭(比治山)の木々がザワついてるのがわかる。たっぷり雨も吸ったし、さぁガンガンに枝葉を伸ばそうぜっ、ちゅうところだろう。

これもコピーライターかけ出し時代の勉強のために、広告関連の書籍を片っ端から読みまくっていた頃のこと。アートディレクター、デザイナー、コピーライターそれぞれの立場で書かれた広告論はそれなりに参考になったが、発想力の基礎を培ってくれたのは、アジア最強のプランナーのひとり、クボタツこと久保田達也氏の著作だ。「ホームレスのいでたちで駅前にしゃがみ通行人を観察しろ」「手の感覚を取り戻す為に毎日ネンドを捏ねろ」「公園のベンチで一晩明かせ」「三人(年下、同年代、年上)に一年間毎日手紙を書いて文章力を養え」等々、そこには自分の卑小で窮屈なカラを粉砕し、新しいイメージを呼び込む破天荒なメソッドが展開されていた。
で、それ以外にも彼の「10年後の未来はこうなるであろう」という予測が一部紹介されていたのだが、今読み返せばそれがことごとく当たっていることにブッたまげるぜ。いわく「“癒し”がキーワードになる」「少子高齢化が進行し、子供にカネを使う親が増える」「韓国の電化製品が日本製を凌駕する」「PCとメールの活用で自宅にいながら会社の会議に参加したり、打ち合わせをするひとが増える」etc。この本が出た当時、ケイタイなんて社長が持っていたぐらい(それも仰々しいバッテリー付のドでかいヤツ)で、ほとんどはポケベル。「メールっつーのはなんだ?」みたいなもんで、パソコンだって、ここまで普及するとは。ましてや自分自信がITの恩恵にあずかろうとは、、、クボタツの眼力恐るべし。

電話で簡単な打ち合わせを2、3件済ませると、本日の業務が終了してしまったので、チャリで2分のワ−ナ−マイカルへ「キャシャーン」を観に行く。ガキの頃見て衝撃を受けたアニメが、どの程度リアルに実写化されているか、それを見たかったのだが、、、まったく予想を裏切られた。いや、中盤になってやっとこさ出てくるロボット軍団との戦闘シーンはよく出来ていた。これからすると「マトリックス」なんか眠く感じるかも。しかし、テーマは「人間の憎しみの連鎖をどう断ち切るか」である。これはこれで悪くない。でも、トータルで見ると中途ハンパか?テーマをねじ伏せられずに時間切れ、の感。ところで傍役の及川光博、限り無く「鳥肌実」に酷似しておったし、新造人間役で出ていた宮迫博之も「水10」の轟さんキャラそのまんまであった(笑)。やっぱキャスティングには慎重にならんと。でも観てソンはないと思います。あと観たいのは「キューティーハニー」よの(爆笑)。思えば小学4、5年生あたりだったか、少年マガジンに連載中、読みながら鼻血を出したことがある。よっしゃ、これからは風呂に入る前、「ハニーフラッシュ!!」と叫んで服を脱ぐセレモニーをオタマに見せることにしよう?!
ロケ中止 (2004.05.13)

目覚めると土砂降り。おいおい、大雨洪水警報&雷注意報が出とるじゃぁにゃいの!太田川川下りロケなんて中止です。晴耕雨読、いや、この場合は晴“漕”雨読。家で大人しくしてるがよろしい。よく人から「コバヤシは海峡横断なんかして勇気あるよ」とか言われるけど、自然が相手の場合は決して無理はしない。臆病なくらいでちょうどいい。ナメてかかればそれこそ命がなんぼあっても足りません。これまで何回か海でヤバイ目にあってるのは、無知だったり、技術が未熟だったり、ビールの飲み過ぎだったり(爆笑)したわけで、逆に言えば、スキルを確保し、状況をしっかり読み取る力を持つことでリスクは果てしなく軽減される。「予期せぬ事故」というのであれば、都会のほうが100倍もキケンだろう。

一昨年、俺の結婚式二次会でイコマユカ&片山ミカリンに貰った「サニスベリア」なる鉢植えの観葉植物。月一回程度水をやればいいと聞いていたのだが、この半年、急に元気が無くなり葉も部分的に枯れ始めた。一週間前、ベランダの大掃除をやらかしたのを機に、それまで定位置であった本棚の上から、思い切ってベランダに設置したプランター台に置き替えてやったところ、、、ありゃまぁ不思議、いっぺんに活力を取り戻しているではないか!老女の脚のようにシワシワと捩れて筋張っていた葉が、女子高生のムッチリした太もものごとく水分たっぷりに潤い、スパーンと大きく脚を、じゃなかった、葉を広げている。チューピー梶山が見たら泣いて喜ぶであろう。足りなかったのは太陽と外気のプラナか?いずれにせよアッパレな生命力なり。
っつーことで、現在我が家のベランダには、計9種類の植物がひしめきあって初夏の風に揺れている。こうなりゃヒマワリとか朝顔とかも植えてみようかしらん。
川旅のいざない、、、 (2004.05.12)

本日も執筆三昧、ピィヒョロロ。しかしまぁ、気分転換にテレビをつければ吐き気を催すようなニューズのオンパレード。やられたらやりかえせ?ケッ、とっとと「いち抜けた!」するほうが賢いっちゅうもんよ。つまらぬ諍いにかまってないでビールでも飲もうぜ。ア〜イアイ、ア〜イアイ、おサ〜ルさんだよぉおおお!と、昼から飲んではいけませぬ、ああ、いけませぬ。

明日はゴク楽TV野外ロケの予定。折り畳みゴムカヌーで太田川を下るのじゃ。夕方実家へ戻り、丸一年使っていないオーストリア製の超高級ゴムカヌー「グラブナー・ホリデーM」のホコリを払ったり、パドル等の装備を準備したりしているだけでウキウキ。2年前の夏、久保直樹とこのカヌーで江ノ川を2日かけて約25kmを下った。川だから海と違って漕がずとも進む。日本のほとんどの河川は、下品な護岸工事でズラズタにされ景観が台なしだが、江ノ川上流〜中流域は、割と自然護岸が多い。古き良き日本の原風景っつーか、女性的な優しい稜線を描く中国山地の山並と相まって、それはもう絶景。BGMは「ホーホケキョ、ケキョケキョケキョ、、」。カーブを曲がる度、次々と美しい光景があらわれるので「おおっ、エクセレント!ワンダフルッ!」てな具合でビールもどんどんススむのである。ところどころ急な瀬があるけど、ゴムカヌーだから安定感バツグン。笑いながら余裕で突っ込んでいけるもんね。結局目的地へ着いたときゃ、飲み過ぎて千鳥足状態(笑)。
江ノ川に比べれば、太田川の川遊び的な魅力は極めて薄い。水量が少ないし、堰が多いし、鮎釣り師の横暴さ&凶暴さも日本随一。ちょっと前を通っただけで罵声どころか石まで飛んでくる。江戸時代の文献にも、「江ノ川に比べて太田川の漁師はガラが悪い」と記されているぐらいだ(笑)。漕ぐなら中流(太田川橋より下流)から。昭和初期には、戸河内あたりから市内中心部まで、帆船が炭や肥料等を積んで航行していたというのがピンとこん。前にも書いたけど、太田川の近代の変遷が綴られている井上 浴「太田川評伝〜評伝・渡康磨・川漁師〜/家族社」は、驚愕の書。マジで歴史に残る大傑作。
目指すレベル (2004.05.11)

久保、AM6:30に起床し、フラフラとゾンビのように我が家から西区の会社へ出勤。俺はそれをフトンから首だけ出して見送り、再び気絶。

9時になんとか起き上がり、もろもろの仕事に取り掛かる。

俺がうっかりFF批判をしたせいで掲示板にさまざまな関連意見が飛び交うこととなった。「表現」をテーマにすると実に興味深い議論が沸き起こる。俺がコピーライターとしてかけ出しの頃、広告の師匠である某デザイン事務所のM氏は、新聞掲載広告(チラシではない)の表現方法についていつもこんな事を言っていたものだ。
「小林よ、新聞を読んでる人がどんなスピードで新聞を捲っているか、注意して見てみい。たいてい2、3秒程度じゃ。その手をいかに止めさせて広告に注意を引き付けるかが俺らの腕の見せ所よの。そん時、商品がなんであれ一番手っ取り早いのはオンナのキワドイ水着写真を載せること。これなら効果てきめん、間違いない。ターゲットが男なら絶対に手を止めて見てくれる。じゃがの、それをやったらオ・ワ・リなんよ。表現者として負けなんじゃ」。
俺はこの広告屋の心意気を金科玉条のごとく胸に抱いて10数年間を過ごした。表現する側とそれを受ける側の心理的距離感、、、方程式で導き出せるものでは決して無い。すべての人間に受け入れられる広告などない。音楽もない。それでも針の目でスルドク核心を捉えようと粘りに粘り、趣向を凝らした斬新なキャッチコピー&デザインを絞り出し、気まぐれなターゲットを一発で撃ち倒すことに全力を注ぐのだ。気にいらんけぇ受けない、、、そんな姿勢はこの業界じゃ通用しない。「誰の挑戦でもキッチリ受けきってみせる!」これでないとダメ。
っつーことで、俺は人の仕事や作品を見た時、いつも「コンセプト」を考えるのだ。こいつは一体ナニが言いたいのだろう?と。だから、くどいようだが、FFもパーツで見れば、たしかに素晴らしいパフォーマンスもあるけど、全体で見た時のコンセプトの不在、ベクトルの無さが気色悪くってしょうがないのよ。どこが「フラワー」なんや?いっそのこと「広島きん祭、見ん祭、やりん祭!」にしたら(笑)。

が、時に、コンセプトがウンヌンより、理解を超えているというかアタマを吹っ飛ばされるというか、圧倒的なパワーと存在感を放つモノに出会うことがある。実は、俺が目指しているのはそのくらいのレベルである。全然スマートでなくていい。俺はとにかく面白いものを作りたいッス。

本日のラジオ、一週遅れでスタジオDJジャックでテディクマ氏。今月54才を迎えるスティービー・ワンダーの特集。
沖縄キャンペーン企画会議 (2004.05.10)

昼過ぎまで、デンワが鳴りまくる中での企画書執筆。デンワでは良い知らせ、悪い知らせ半々。自分の出した案にどんなに自信があろうと勝率100%はあり得ない。また「負け」にもなにがしかのメッセージがあるはずだ。と、またまた新曲が舞い降りて来た。歌詞、メロディー含め、わずか30分で完成。

夕方、久保直樹が沖縄ミヤゲを持って来宅。さっそくカンパイとなる。我が家のビールがたちまち底をついてしまい、徒歩5分の居酒屋、その名も「居酒屋(笑)」へ。8月7日あたりから約一週間の予定で実施する三代目春駒沖縄キャンペーンの具体的戦略で盛り上がる。国際通り、農連市場、泊のナークニー、北谷町etc、ストリートでもライブハウスでもシーカヤックショップでもおでん屋でもやるぜ(笑)。ひとつ気になるのは使用するウクレレだ。PAナシでやる場合、俺のソプラノタイプでは音量が物足りない。電池式のアンプに通すとか?まぁじっくり考えよう。GWにかの地で先行キャンペーンをやってくれた久保のハナシでは、Far East LoungeのCDはシーカヤッカーを中心にウケがいいらしい。先日も、広島の若手フラダンサー達の間で「聴くと元気が出るCD」と評判だというウワサを聞いた。CDが一人歩きしてくれている。やっぱし作ってヨカッタで。
家に戻っても、ラッキーなことに焼酎を発見したため酒宴続行。帰って来たオタマを交えてますますヒートアップ。気がつきゃ、久保、終電を逃してしまい、我が家へ御宿泊(笑)。客人用に準備していたフトンセットが初めて役に立った。
「ジントヨー」は、ジンとくる?! (2004.05.09)

昨日からウクレレ弾きつつ断片が浮かび上がって来た新曲「ジントヨー(仮タイトル)」が完成。


『ジントヨー』

月の下 白い花が咲き
波の泡 寄せて また消え
なにもかも 在るがままに
ああ、ジントヨー

振り向けば いつも笑ってた
あの人は 今頃なにしてる
離れれば 愛しさがつのる
ああ、ジントヨー

 こんなに遠くまで
 歩いてきたよ
 手にしたもの 無くしたもの、、、
 夢は終わらない

願いごと 星にかけよう
風は舞い 唄を囁くよ
なにもかも 在るがままに
ああ、ジントヨー

月の下 白い花が咲き
波の泡 寄せて また消え
なにもかも 在るがままに
ああ、ジントヨー


「ジントヨー」とは、琉球島唄で頻繁に出てくる方言で、「ああ、ほんとうにそのとおりだね」という意味(もしかしたらヤマトグチでいう「ジンとくる」が変化した?!)。タイトルに組み込まれているのも数え切れないほどあるらしい。俺は沖縄へ行く度に、人や自然や音楽から「アンタは在るがままの自分でいいんだよ」と教えられることが多い。で、「ああ、まったくそうじゃわい」と頷かされまくってこの曲と相成った。島唄風ではあるが沖縄音階ではない。発表は24日(月)のジャイブあたり。
読めずにブックリ?! (2004.05.08)

フリーになってから、本を読む時間が激減。週平均3冊だったのが1冊がやっと。う〜ン、ようわからん。
日々新鮮、、、 (2004.05.07)

早めに仕事を片付け、部屋の大掃除を敢行。西側のベランダの落ち葉を掃き出し、そこに設置していたアウトドアテーブルセットを徹底的に水拭きし、ナントカいう鉢植えを東側のベランダに移動させ、ほかの鉢植えとの相性を考えながらディスプレイ。切れていた電球を交換し、風呂もカビキラー&バスマジックリンでナメナメするがごとく磨き浄める。ラストはエアコンのエアフィルターの洗浄。前面パネルを持ち上げたとたん、俺は絶叫した。「な、なんじゃこりゃぁああああああ?!」買ってから一年半で、こんなに分厚くホコリが詰まるものなのか。風呂場でシャワー洗浄するつもりだったが、それじゃ排水溝が詰まるかもしれん。そこで掃除機のブラシを使って丁寧に吸い上げる。うぐぐっ、しゃがみっぱなしでケツがシビレてきた、、、、

激闘3時間、夏を迎える準備はこれにてほぼ完了。

夜は「ワンラブ」で、ハワイアン系の某氏と懇談。氏の並々ならぬ一途な姿勢に胸を打たれる。「求道者」っつーのはホンマかっこよいね。どんなに達人であっても最初の一歩はあったわけだし、俺も初心を忘れずに生きていたい。「俺はわかっている」的な性根では新しいカンドウとは出会えないのだ。日々新鮮に。
三歩進んで、、、 (2004.05.06)

ふぁあ、またしてもヒドイ二日酔い。なのにイコマユカからのモーニングコールで叩き起こされる。実は、ヤツ、本日11:00より20分のPステ新番組のパーソナリティをスタートさせることになっているのだが、先日Qショットに入力・保存したはずのテーマ曲、コーナーBGM、エンドタイトル曲、合計4曲すべてが見つからんのよ〜とパニクって半泣き状態(笑)。選曲のすべてを俺が頼まれてやったもんだから、元音源はすべてウチにある。「よし、わかった。放送1時間前までに局に音源持っていっちゃるけぇ待っとれ」。フトンからヨロヨロと立ち上がり、酔いを醒まそうと、ちべたいウコン茶をイッキ飲み。うぇっ、まっず〜!!胃の調子が悪いとこんなにたまらん味に感じるのか?!ますます気分が悪うなった。なんとか椅子にもたれて眉間をグリグリやっていると30分後、再びイコマからデンワ。「ウヘヘ、全部残っとった」。データの呼び出し方法が間違っていただけらしい、、、、まぁいい。

昼から猛然と執筆開始。デンワもひっきりなしに鳴るがすっかり慣れ、ペースや集中力を崩されることはなくなった。

夜、喫茶こばやしスタジオで心体育道のひとり稽古をしながら毎度のようにいろいろ考える。昔、村上 龍氏が「テニスのサーブで、100本のうち1本でもいいのが打てれば、その1本こそが自分の真の実力と信じ込んでさらに奮闘すべし」みたいなことをラジオで喋っていたのを聞いたことがあるけど、突きひとつとっても日によって良かったり悪かったり。去年の今頃よりは進歩しているのは間違いない。が、理想として描く対象に近づいているという実感はまるでない。じっくり自分と向き合える動的な禅。三歩進んでニ歩下がる。おまけに時々コケる。ゴールなき長距離ランナーの心意気じゃよ。

このところFF関連ネタを取り上げてきたものだから、トドメにもう一席。周りを見渡して俺が考える正しい祭に近いカタチとは、それはズバリ、誤解を覚悟で言わせてもらうなら「暴走族」である。まず、自主性がある。そして無軌道なバイオレンスがある。刹那的である。そして上下関係がハッキリしている。まぁ「他人にメイワクをかけない」「共感を得る」という条件でハズれてしまうが。以前「だんじり」のドキュメンタリーをNHKでやってて、参加者のミーティングシーンを見て思った。いきなりこのシーンだけを見せて「おい、暴走族の集会シーンやっとるぞ」と説明すると、大方が納得してしまうことだろう。阿波踊り、沖縄エイサー祭、長崎ぺーろん、よさこい、諏訪の御柱祭、これ統べて、競り合う気持ちがあって、見物人がいて、ストイックな「渾身」がある。このパッションがぶつかりあった果てに、互いをねぎらう「ふれあい」がようやっと芽生えるのだ。厳冬期には寒いから走らず、二十歳になったら引退式を行なう暴走族なんぞはどうしようもねぇ腰ヌケだ。リクスがあるから輝けるのだ。モンクがあるなら80、90歳になっても暴走してみろ。波高2メートル以上、逆風吹き付ける沖縄喜屋武岬沖の太平洋上をシーカヤック一艇だけで漕いでみろ。俺はメチャ恐かったんだからな(笑)。
森永セイジ氏とのジョイントライブ (2004.05.05)

夜、スタジオDUCKにて徳山のブルースシンガー森永セイジ氏とジョイントライブ。いろんなイベントや打ち上げとダブってしまってお客さんの入りが少々心配だったが、ほぼ満席。平木さん、佐野君、ゴスカルさんはじめ、みなさんホンマにありがとうござんした。
Far East Loungeの先攻で、「もう一晩おまえと」>「黒いストッキング」>「サラ金ブルース」>「梶山ソロコーナー」>「テビチ記念日」>「海風」>「その男ヨシオ」>「夫婦蛸」>「ひかりのうた」。約1時間。続いて森永さん、キング増本さんのハープ入りでシブいブルースナンバーを熱唱。後半は酔いどれモード(笑)。相変わらずいいノドしておられるナー。

ライブ終了後、残った客とかなり突っ込んだハナシをする。テーマは「フラワーフェスティバルってなんなんだ?!」(笑)。別に俺からこの件を話し始めたワケじゃないのだが、俺がこの祭に対して抱いている不信感を、ほかの人も(それもかなり若い世代が)同様かそれ以上に感じているのを知った。新聞、マスコミ各社が、右へならへ的に「ふれあい」「希望」「心踊る一体感」などと意味不明の安易なコピーでFFを賞賛報道するのはかなりブキミである。ちょっとおかしいんじゃないの?という声があって当然なのだ。友人やPステから頼まれれば俺はFFのステージにも立つだろう。ひとつのイベントとして。だが、この祭の20数年前に遡る不健全な発端には目を瞑るにしても、そろそろコンセプトぐらいは明確にして欲しいものだ。ひとりの表現者として、やはり俺はこの祭を誇りに思うことはできない。
アルコール色吐息 (2004.05.04)

連日の酒宴が祟り、絶不調。口の中がむかむかするし、頭もまるで働かない。昼前から本日のラジオの選曲に取り掛かって夕方ようやっとフィニッシュ。あわててPステへ。スタジオ見学に石橋夫妻を招く。後半、沖縄で遊び呆けている久保直樹&大城さん(シーカヤックガイド「漕店」店長)から電話中継。ああ、俺も8月はずぇったいに沖縄行ったるんじゃぁあああああ!ちくひょ〜、グスン。
旧友との再会 (2004.05.03)

出産関連グッズをあげます、という戸坂のYさん宅をオタマと訪ねる。5ヶ月のかわいらしい男の子をあやす若い夫婦、窓際に座り降りしきる雨を眺めているネコ、、、絵に描いたように完璧な家族であった(笑)。

夜、市内某所にて「湘南おやじ」こと足っクサ石橋、ちゅーぴー梶山、ハリケーン永利と飲む。石橋、永利と会うのは十数年ぶり。昨年末、突然のメール(当HPのBBSへのカキコ)があるまで、石橋などまったくの行方知れず。「関東あたりでパチプロをやっている」てなウワサを耳にしたこともあったが、実際は横浜で家族3人を養いながらまっとうなサラリ−マン生活を送っているようだ。それぞれいいオッサンになったもんよ。こうして昔のバカ話で盛り上がるのも愉しいもんじゃわいの。
その男ヨシオ33回忌、、、心体育道合同稽古、、、 (2004.05.02)

昼のテレビで二足歩行ロボット「キュリオ」がゴルフをするのを見た。ボールを探し出し、ホールとの距離を図って打つ。ボギーとなればまたボールまで近寄って行き、、、カンドーした(笑)。96年に世界初の二足歩行ロボットが発明されてから(当時のそれは重量が260kgもあった)、わずか数年でここまで進化させるとは、日本人もやるじゃないか。なのになんでロケットひとつ満足に打ち上げられんのでちゅか?

昼から「その男ヨシオ」こと俺の祖父、濱本嘉夫の33回忌法要を、彼の墓がある原爆ドーム横の西向寺にて執り行う。別府、久留米からも親族がわらわらと集合。俺の従兄弟たちもすっかりジジババ。「あの曲、すごくイイやん」と彼ら(笑)。ちゃっかりCDを買ってくれたようだ。まだまだロボットにゃ負けんばい。

法事のあと、俺ひとり抜け、県立体育館柔道場での心体育道合同稽古に参加。普段、一緒に稽古することのない初心者クラスや、湯来道場生、少年部も参加し総勢約40名。俺ら黒帯は白帯、色帯を指導する立場に。人を教えるっつーのはなかなかに難しく勉強になりました。

稽古終了後、心体育道直轄道場指定居酒屋「蝦夷鮮屋」で懇親会。始めて心体育道の宴会に参加した医師のW氏、「あのう、ビールの無くなるスピードが異常に速くないですか?」とビビる(笑)。「いやご心配なく、これが心体育道標準モードです」と俺。かく言う俺も最初はたまげたものだ。とにかく飲む量も尋常では無い。よく「****円で飲み放題!!」とか利用するけど、店側は必ず大損する。だからこの店でも我々はたいへんに厭がられている(笑)。たっぷり飲み食いして、二次会はスタジオDUCKに移動、完成した心体育道新作DVD上映会をする。皆さん喜んでくれ、俺も一安心。
GWイキナリ仕事 (2004.05.01)

午前中、デザイナーK氏と市内某所のイベント会社を訊ね、新規仕事の打ち合わせ。こちらの案はなかなかウケがよかったように思う。その帰り、こっちがイベント場所として提案した現地を下見に行く道すがら、FF会場となる平和大通りを通ったけど、しかしなんでまたこんなイベントを30年近くもやれたのか不思議でしょうがない。かつて、県外の友人の何人かが「フラワーフェスティバルってのはスゴイらしいね。博多どんたくに次いで全国第2位の規模らしいじゃないの。行ってみようかな」そりゃ、ヤメといたほうがええで。絶対後悔するけぇ、っつー俺の忠告を無視した連中の中で「いやぁ面白かった!また来るよ」と言ったのはただの一人もいない(笑)。思うに、このFFには祭に必要不可欠の「自制心の破綻」「バイオレンス」というものがまるでない。いきなり「ふれあい」とか言われてもねぇ、かえって不健全な気がする。第一、今回のFFメインイベントに関わっている某プロデューサー氏は、ちょっと前、悪質な交通違反を犯して捕まった際、罪を逃れようと俺の名を、、、、いや、これ以上は言うまい。ただね、俺はもう少しで犯罪者にされるところだったんだぜ。そんな他人に濡れ衣を着させるような人物が、平和メッセージを世界に発信するなどとエラソーに語っているのを見ると、とにかくウソ臭くてしょうがない。
まぁ、各ステージのアトラクションには俺の友人達も何人か出る予定なので、時間があれば応援に行こうと考えている。

夕方道場。えらく汗かいた。夏だわい。
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