Far East Lounge 三代目春駒小林一彦オフィシャル 小林一彦イラスト

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2004年08月の日記

台風過ぎて、、、 (2004.08.31)

台風一過の清々しい一日。ある学者によれば「日本列島は台風で新陳代謝してきた」とのこと。古くて弱い家屋や建造物、樹木etc、荒治療で根こそぎ持っていかることで、また新しいものが芽生えるのだとか。思うに日本人特有のすでに起こってしまったことに対する固執しない、執着しない「あきらめの精神」も、定期的な台風襲来によって培われたものであると考えることもできる。

本日のラジオゲスト、アカペラ伝道師のゴスカルさん、シーカヤックショップ「パドルパーク」からはイケメンゆーじろークンとモハメド晋平氏。今日で8月も終わるというのに、なんなのだ、この常夏シフトは?(笑)。

ストーミィ・マンデー (2004.08.30)

台風16号襲来。久々にドでかいサイズとあって、昼過ぎには市内の主要デパートは早々と臨時休業、交通機関も飛行機、JR、電車、バス、フネと軒並み運休。今夜はアイルランドの音獣「KiLA」のライブがクアトロであるのである。性根の入った彼らのこと、もしもすでに広島入りしているのであれば、よくある外タレのように「公演中止」などというフザけた決定は下さないであろうと確信はあった。が、クアトロの入っている「パルコ」が昼過ぎに店を閉めたとの情報が入って来た。おいおい、こりゃ十中八九ライブ中止だな、しょうがないのー、とクアトロに一応確認のデンワをしてみたならば「やります!」と力強いお言葉。そうこなくっちゃ。

で、定刻、クアトロへ。台風だし、チケット売れてない、と聞いていたのに、ナンダナンダというぐらいの盛況ぶり。客の5分の1は白人でたぶんアイリッシュ系。ここ広島にはアイリッシュ系外国人がすごく多いらしい。考えてみれば十数年前、俺のバンドのファンクラブ(笑うなよ)を作ってくれたのもアイリッシュ系女性たちであった。俺の音楽を評価してくれるとは、なんて熱い人種なんじゃい、と思ったものだが、骨太なハートと肉体は相変わらず健在のようである。
そんな気合いの入った客が見守る中、KiLA登場。先日「ニュース23」で見た時と同様、着のみ着のまま、というような思いっきり普段着スタイル。「ハリケーンなのに来てくれてアリガトね〜」みたいなこれまた限り無くシロウト臭い英語でのMCのあと、ボーカルのロ−ナン氏のボーラン(アイルランドの伝統的打楽器)のカウントでのっけからトップギア。おお、すごいすごい!天も地も裂けよ、といわんばかりの豪快かつ宇宙的なグルーヴ。「異端音楽集団」と紹介されている彼ら、たしかに使用される楽器も見た事ないものが多いし、雑技団っぽさもありはするが、そのサウンドはすごく開かれたものであった。異端が目的になっていないのがいい。ひきもこりみたいな音楽を俺は聞きたいとは思わんもんね。
ほぼ全員がアイルランド版アサイラムストリートスパンカーズのごとく、複数の楽器を器用にこなすのも見ものである。コラコラ、ひとつのドラムセットを二人同時に叩いたりするんじゃないっつーの(笑)。まったく油断ならねえ。ゲストギタリストとして数回登場した山口 洋クンもナイスサポート。グレッチ、ええカンジで吠えてました。開演前と後、楽屋に彼を訪ねたけど、草刈り焼け(笑)で一層精悍なツラがまえになっていた。以前、俺が勝手に編集して送ったシーカヤックビデオも喜んでくれていたので安心。

ライブ終了後、ロケン屋ナカハラヒサロオ氏、K-ヨシオ氏らと某餃子屋にて、ミーティング。9月26日、クアトロでのライブには山口 洋くん、ソロで正式参加が決定。彼が出演するのなら、という条件で参加を表明していたFar East Loungeもようやっとハラが決まった。チケットもノルマ以上を目指して(笑)がんばらせてもらう。

*写真:初公開、これが春駒式台風仕様ファッションなり。強風下で傘なんぞ差そうと思うこと自体がすでに間違っている。ここはポンチョで身を包むのがよろしい。いっそのこと「濡れまくる」のを前提に海パン、というテもあるが。

庄原ドライビング (2004.08.29)

昼過ぎ、所用のためオタマ&コタマを緑井の実家に送ったあと、ふと思い付いて庄原へクルマを走らせる。庄原唯一のライブスポット「すけあくろう」のマスター、多賀大兄に会いに行こうという魂胆。大兄からは先々週、彼がリリースしたばかりのニューアルバムを進呈されており、その感想をデンワではなく、直に本人に伝えたくなったのだ。深川〜向原〜三次経由で約二時間。一木というヘンピな場所(周囲に人家のほとんどない峠道を昇り切った牧草地の脇)を約一年ぶりに訪ねてみたならば、二匹の年老いた犬がノソノソをお出迎え、、、イヤ〜な予感。案の定、店の鍵はきっちり締まっておりました。電話で確認しない俺も悪いのだが、こういう不意打ちの訪問が好きでねぇ。しょうがない、そのうちまた出直すとしましょう。

それにしても、庄原から三次ワイナリーにかけての広域農道のドライブは最高。信号なく、クルマも少なく、日本離れしたなだらかで広大な丘陵地が延々続く。とにかく空が広い!高い! こういうロケーションに似合う音楽は実はクラシックだったりするんよの。チャイコフスキーのバイオリンコンチェルトなんかピッタリきそうじゃん。

夕方、家でビール飲みつつ寛いでおると、ナント、多賀大兄からデンワ。「多賀さん、どこおったんスか?わざわざ行ったのにぃ」「なぬ?来たんかい!ワシャあ、店の裏(牧草地)で仲間とメザシパーティーしよったんで。なんで裏に廻ってみんかったんやぁ?!」
トホホ、惜しいことをしてしまいました。コラッ、出迎えの老犬、なんで案内してくれんかったんじゃい。しかし、突然思い立って訪ねて行って会えなかった友人が、その数時間後、なんの前触れも無くデンワしてくるとは、摩訶不思議なり。なんのメッセージでちょね?

*写真:深川あたりで見上げた空。猛烈な勢いで雨雲がすっ飛んでいく。台風近し。

無敵キャンディーのココだけのハナシ、、、 (2004.08.28)

午後より、そごう地下1Fにおいて恒例のWEBTVゴク楽クッキング収録。本番真際、イコマが「今日は人が少ないんよ」というのでマイクチェックを兼ねてモソモソと客寄せトークをかましてみたならば、足を止めてくれる人ちらほら。結局、けっこうな数のギャラリーが集まって収録スタート。今回も多くのスポンサーにサポートしていただき感謝。
ところで今回のスポンサーのひとつ、ストレートワン。現在、こちらの商品「勝負キャンディー」「無敵キャンディー」が超人気で、広島発信としては珍しく、北米や中国への販路も確保できたらしい。俺もアルコールの悪酔いを防ぐ「無敵キャンディー」をひと箱もらったのが、O社長「ここだけのハナシですがね、実はコレ、精力アップ効果や女性の***促進効果もウンヌンカンヌン」と個人的にレクチャーしていていただきました(笑)。いや、俺はまだまだそっちのほうの心配はしていないのでございます、ハイ。


約一カ月ぶりとなる直轄道場での稽古。「ジライヤ」のライブに誘われていたけど、今日はどうしても道場に行きたかった。なんだか、体が破裂しそうなほど、道場で汗を流したくてしょうがなかったのだ。で、ハリキリ過ぎて後半ヘロヘロ(笑)。でもスッキリしたでぇ〜。
稽古終了後、先生から来月5日の心体育道教則本掲載写真用のロケで、俺に「捌きの型2」の実演モデルをするよう指令が下る。ウホホーイ・

コタマの笑顔 (2004.08.27)

終日原稿執筆。

昨日あたりから、コタマに話しかけると、笑うようになった。ムッツリしているだけでも可愛いが、笑うとなるともう、、、オトーチャンたまりませんっ!

夜「ニュース23」にアイルランドの異端音楽集団「kila」が出演。アイルランドの伝統楽器を多用し、プログレっぽい演奏をする、というウワサは聞いていたが、いかにもクセのありそうな鬼才達が、ええグルーブだしておる。特筆すべきはゲストギタリストとしてヒートウェイブの山口さんちのヒロシくんが参加していること。来週月曜日のクアトロでのライブにも同行するらしい。そんなわけで昨日、デオデオプレイガイドにてすでに前売りをゲットしているのだけれど「さっぱり売れてません」とプレイガイドのオッサン。情けないどぉ、広島。しょーもないヘナチョコミュージシャンには群がるクセに、このような世界人間遺産的ミュージシャンはまったく評価しやがらん。今からでも遅くない。デオデオでもローソンチケットでも買えるから今すぐ走ってくれたまえ。

*写真:久保直樹にもらったバナナの木がこんなにでかくなりよった。うまく実がなってくれればおもろいのだが。

世紀の大発見?!、、、食膳酢うまいッす、、、 (2004.08.26)

夜、TV番組「アンビリバボー」で「謎の古代石カブレラストーン」の特集をやっていた。これもまた一般的な時代考証から大きく逸脱したオーパーツの一種ならしいが、俺もちょっと前、なかなかシブイ大発見をしてしまっている。この件は2001年、フリーペーパー「B.B.B」に連載していたコラム「小林一彦の屈折流れ旅」に書いた事があるので一部抜粋させてもらおう。

映画「グラン・ブルー」で一躍その名を知られたジャック・マイヨールの最近の著作に「海の人々からの遺産(翔泳社)」がある。
これは、ジャック自身が世界各地の海のミステリースポットを巡るルポ&写真集であるが、このなかで俺はおそらくジャックも気づいていないであろうひとつの“大発見”をしてしまった。もし、この本が手元にある人はP133の写真を見て欲しい。そこにマルケサス諸島に住む全身に入れ墨をほどこした太めのオッサンがパンツ一丁で「ムフフ・」と腰掛けてるスナップがあるだろう。その首から腹にかけての入れ墨の文様、何かに似ていないだろうか?なに、ピンとこない?そんじゃ図書館にでも行って縄文時代の遮光器土偶の写真を探し出してじっくり見比べて欲しい。もうおわかりでしょ?そう、「似ている」とかのレベルではない。オッサンの入れ墨の文様は、まさに遮光器土偶そのものなのだ!

「入れ墨はしばしば見過ごされたり、野蛮な風習だと思われがちだが、実はマルケサス文化と本質的に結びついている。入れ墨される絵や記号は美しさの源であり、知識や祖先の記憶、権力の保証、教育の手段であったりする」

と文中でジャックも述べているとおり、マルケサスのみならずネイティブの人たちの入れ墨のデザインには先祖から連綿と受け継いできた長い歴史と伝統がある。
彼らの入れ墨は神や精霊達の霊的パワーを己の体内に享受する尊いイニシエーションでもあるから、ヤンキーが発作的に「御意見無用」などと彫るのとはちがう。つまりこの事実は、縄文文明とポリネシア諸島の接点を証明しているのだ。まあ、近年この周辺土壌で、縄文土器が数多く発見され、土器の成分鑑定をしたところ、東北地方の土であったことから、なんらかの交流があったことは間違いようなのだが、それにしても1万年前あたりの世界勢力地図はいまとは全然違うものになるのだろう。
かなり広範なエリアにわたって、ジョンとヨーコも泣いて喜ぶ国境なき理想郷がずーっと昔、存在した!かもしれん…。

以上、引用終わり。この斬新かつ説得力のある自説を発表して、国内外の大学研究者はじめ、多くの人々から反響が、、、ありはしなかった。全く無視である。しかし、俺の野獣のセンサーは「こりゃホンマでっせ」と未だOK牧場であることを確信しているのである(なんのこっちゃ)。ま、とにかくだ、現代人が「ススんでる」みたいなことは全然ありまへん。ただの幻想です。「自称・先進国」の親玉達は反省の色のないまま、今日も中東の空の下、理不尽な搾取や殺戮を平然と繰り返しているのだよ。


先月、俺の関わった某イベントでスポンサーとなってくれたオタフクソースさん。こちらの「食膳酢」なる新製品を数本タダでいただいたのだが、今これにすげぇハマっている。炭酸で割るとギュギューンと酸っぱい刺激で気分はたちまちヘブンリィ。矢沢永吉風にいうなら「シャバダバよぉ」である。お試しくだされ。

未だ占領下 (2004.08.25)

終日執筆。
午後散髪。
夕方、コタマをだっこシートに乗せ、近所を散策。こういうのもそろそろ練習しておかないと。

沖縄普天間の米軍ヘリ墜落事故。俺が広島に帰った翌日におこったものだが、この事故をおこしたヘリには、劣化ウラン弾が積まれていた疑惑が高まっている。おまけに詳しい説明もないまま、同型のヘリが勝手に飛行再開。俺もバスでコザに向かう途中、普天間を通ったけど、道の両側に米軍基地が並ぶ、というより、基地のまん中を道が通っているカンジだった。周辺の住民は心が休まらないだろう。沖縄だけではない、日本は未だにアメリカの占領下にあるのだ。

ナカハラ伝説再び(笑) (2004.08.24)

昨夜の予報では雨だったのに、朝から快晴。それに涼しい!俺の約半年にも及ぶほどの長かった夏(なにせ桜が散った頃から半パン&Tシャツ生活)も、ようやっとエンディングへ向かいつつあるのか。

本日のラジオ、ゲストは久々のナカハラヒサロオ氏、、、のハズだったのだが、スタジオ入りのリミット18:30を過ぎても、ゲスト枠の本番19:00になっても現れない! あれほどしつっこく「小林君、俺、絶対おくれないようにするから。どうしてもジライヤのライブのこと告知したいんよ」と言っていたのに。やむなく、ゲスト枠を15分ずらし、かわりに次の本紹介コーナーを繰り上げ放送。ナカハラさん、なんとか間に合ってくれ、、、しかし、無情にもそのコーナーもあっけなく終わってしまい、いよいよマズイ状況となってきた。個人の都合で、公共の電波をこれ以上操作はできん。仕方がないので彼のライブ告知は諦め、イコマのイベント告知に切り替える。おかしいぞ。ナカハラさん、なにか事故でも??、、、まさか、とは思いながら、去年の「まきむん事件」が頭をよぎった。あの日、まきむんに電話レポートを頼んでおいたのに、本番になってもまったく電話が繋がらない。それもそのはず、彼は当日朝、バイト先の工事現場で、某ビル4階からまっ逆さまに墜落し(自殺ではない)救急病院へ担ぎこまれていたのだ。電話に出られるわけないっつーの。幸い悪運強いまきむん、大腿骨をわずかに骨折するという奇跡的な軽症にてことなきを得たが。
ナカハラさんにも曲をかけている間をみはからって何度も電話するが応答無し。気にしはじめると、俺の悪いクセでどんどんよくないことを考えてしまう。DUCKになにか連絡でも入っているかと、チカチャンに電話してみたが「知らない」とのこと。放送残り10分を切って、ラストのニュース原稿の準備をイコマにさせていると、イコマが「来た来たっ!!」と背後の窓を指差す。振り返ると慌てふためいて茹でダコのように顔を紅潮させたヒサロオ氏。ああ、生きとった(笑)。急いで彼を招き入れ、イコマに速攻でニュースを読ませ、俺も天気予報を半分にし(勝手にこんなことしてエエんかい。笑)、ラスト5分、ヒサロオ氏の告知枠をなんとか確保。ヤベェヤベェ、いつにも増してスリル満点の後半1時間であった。生放送はここがコワイところ。
で、結局ヒサロオ氏、自宅でちょっと横になったとたんそのままうっかり寝入ってしまっていたそうな(笑)。ひたすら謝りつづけるヒサロオ氏。彼は今度のイベントのことで昨日から大阪へ単身出かけ、睡眠不足のまま昼過ぎ広島に帰って来ていたのだ。ガンバリ過ぎるとカラダに毒よ、ヒサロオさん。でも、ゲストドタキャン事件といい、半年前の泥酔事件といい(あ、全部ナカハラさん関連じゃんか。笑)、ゲスト出演者用に、やはり放送レギュレーションを策定する必要あるな。俺も喉元過ぎればナントカでのんびりしていたけど、2時間番組を丸ごとまかされているわけだからね。特例が恒例になってしまったんじゃハナシにならん。締めるところは締めねば。

天職、、睡眠不足、、母性、、ITの恩恵?! (2004.08.23)

早朝から寝ぼけ眼で複数の原稿の執筆開始。書いているうちに霧が晴れるようにみるみるアタマがハッキリしてくる。仕事でありながら「書く」という行為はセルフ整体のようなもの。気持ちが整理されるし、それにつれ、不思議な事に身体もバランスを取り戻すのだ。

昨夜のオリンピック女子マラソンのデッドヒート、凄かったねぇ。野口のパワー、度胸、頭の良さ。過酷なコースと35度の暑さにやられ次々と脱落していくライバル。後半、ひたひたと影のように(ほんとに影みたいに黒い!)忍び寄るヌデレバ、、、。ただ「ヨーイドン」で競う中にも、それぞれの思いとか駆け引きとか、胸を打つ人間ドラマがいくつも絡み合い、見終わったあともコーフンしてなかなか眠れんかったッス。で、本日も睡眠不足(笑)。

夕方、オタマの同級生で大親友のイッチャンが、コタマを見に来宅。やはり赤ちゃんを見つめる表情というのは、女と男じゃ大きく違うなぁ。いや、どっちが愛情が深いというのではなく、たいてい女はその瞬間母の顔となり、逆に男はコドモに戻るっつーカンジ。

深夜まで執筆。デザイン事務所勤務時代は、徹夜等ザラであったが、それは広告代理店やクライアントのチェックをデザイナーと一緒に待っていたからである。片付けるべき原稿の量に忙殺されていたわけじゃ無いのだ。この待機時間、思い出すだけでも苦痛(笑)。ITがデザイン業界に導入され始めた10年前、「これでスピーディーに仕事が進むようになるから、ウチにも早く帰れるゾ」とさかんにいわれていたけど、それはまったく逆で、かえって忙しくなった。だってその分、納期も縮められたんじゃもん。ヤレヤレですのう。

セイヤ、セイヤッ! (2004.08.22)

所用が溜まっているため、AM8時に未だ深い眠りの中にあるキャンプ場をあとにする。行きと同様、早瀬大橋〜音戸大橋経由の陸路で帰る。能美島内の至る所に「栗原 恵ガンバレ」の横断幕あり(笑)。

*写真:「コラァ春駒、エエかげんにセイヤ!」の図。

真夜中のカプチーノ (2004.08.21)

水木ツン氏主催の能美島・真道山パーカッションキャンプに参加。去年はオタマと甥っこ直樹を連れていったが、今年は俺一人。よってテントは張らず、駐車場での車中泊とする。

日が暮れて、野外音楽堂で10バンドによるライブ開始。「ゆっくりビールを飲みたいので早めに出演させてくだされ」とツン氏に頼んでおいたのに、結局ラストのAM1:00に登場(笑)。若手有能ドラマーさだやんのサポートを得て5曲披露。セットリスト「テビチ記念日」>「その男ヨシオ」>「月の下ジントヨー」>「夫婦蛸」>「カプチーノもう一杯」。ドラマーを入れてのライブなんぞ13年ぶりであるが、さだやん、弱冠20才でありながら、そのテクニック、反応スピード、アイデアの豊富さ、すべてにおいて秀逸。末恐ろしいぜ。また機会があればお願いしたい。

ライブ終えて駐車場に待つ、今夜の寝床=我が愛車へ向かう途中、お犬様の落とし物を踏んでしまう。ヒ〜、カンベンしてくれ、やっと眠れると思ったのにィ!

*写真:ミキサーを担当してくれた木村アヤ嬢(左)と、ご存知チューピー梶山。昨年、このすぐ後ろにある炊事棟斜面で転び、救急車で運ばれるという大失態を演じた梶山よ、今夜は大丈夫じゃろうのう?ケケケ。

たまにゃケンカも売りたくなるス (2004.08.20)

スタジオDUCKの22周年記念ライブに出場。5曲熱唱したが、ウクレレ一本っつーのはスリルあるでぇ。まさにヤクザのアジトにドス一丁で殴り込みをかける心境。ファイティングスピリット全開じゃい。くそっ、俺は圧倒的な作品を作って、圧倒的に有名になりたくなってきたで。

セルフプロデュースの弊害、、、もっとプロモーションを、、、 (2004.08.19)

昨夜ライブ終了後、午前4時あたりまで飲み歩いていたせいで、昼過ぎまで起きあがれず。今週は仕事が少なくて助かったけど、こんなこっちゃあきまへん。ちょっと反省。

奇跡的に時間が出来たので、多くの友人ミュージシャンたちからプレゼントされたオリジナルCDをまとめ聴きする。みんな自分の色をちゃんと出し切っていてエライ。ああ、俺も2枚目のCD早く出したい。録りたい曲がたくさんあるのがうれしいわい。

個人的な意見。レコーディングする際は信頼のおけるプロデューサーをつけた方がいい。メジャーも含め、セルフプロデュースの作品は自己満足に終始し、こじんまりとまとまってしまうことが多いように思う(自己満足を否定するわけではない)。「客観的な目」があれば、イマジネーションは「足し算」ではなく「掛け算」で広がっていく。これは俺が広告デザインの現場で得た真理である。パフォーマーは自分を過保護にしてはいかんのだ。突き放す勇気が必要。自分を「ビビらせて」こそ一流なり。

昨夜のライブをやらかすにあたり、ひとりでも多くの人に来てもらおうとこの数日間、メールや電話をしまくったけど、ソロとしての俺もFar East Loungeも決定的に知名度が低い。もっと多くの人に存在を知ってもらうべく、プロモーションを増やしたい。昨年末からほぼ毎月やってきたワンマンライブも、昨日のようなジョイント形式に転換したほうが新しいファンの獲得に繋がるのではないか。沖縄での行き当たりばったりライブで久々に味わった、俺を知らない連中の前でやるスリル、、、、味をしめてしまいました。

*写真:不振に喘いでいた今治のタオル工場が「風力発電100%で織り込んだ」タオルを思い付き、見事逆転ホームラン。こういう企画力が、なんでもない商品に付加価値をもたらすのである。デザインもエエぞぉ。

馨(かぐわ)しきフラの夕べ (2004.08.18)

薬研掘ジャイブにて、フラダンスグループ「kala&kupuna」とジョイントライブ。前半、kala&kupuna、後半Far East Loungeの二部構成。kala&kupuna、CD音源に合わせて11曲を披露してくれたが、なかなかに見ごたえがあった。足首を捻挫したため司会役にまわったエビィのナイスな解説で、客もフラがより一層楽しめたのではないかと思う。

Far East Loungeのセットリスト「もうひと晩おまえと」>「カプチーノもう一杯」>「黒いストッキング」>「てぃんさぐの花」>「此岸の紅(梶山ソロ)」>「テビチ記念日」>「月の下ジントヨー」>「星の波間に」>「その男ヨシオ」>「夫婦蛸」>「トラベリンマン」>「ひかりのうた」  アンコール:「ぴぴららOne Love」
前回の俺の個人的な課題はある程度クリアできた気がする。客もけっこう入ってくれたし、フラとの共演という大胆な試みは満足のいくものでありました。

ところでフラの女性達、すっごくいいニオイがするんできいてみたら、ハワイのフレグランスだという。例えるならバスクリン(笑)。男の俺でも付けてみたいッス。

オタマが来たりて笛を吹く、、、 (2004.08.17)

ステージ専用器のオベイション「銀次郎」をK楽器店に持って行き弦高調整をしてもらったついでに、前々から気になっていた「アイリッシュホイッスル」を買う。ケルトミュージックには欠かせない小さな縦笛で、「タイタニック」のテーマ曲のイントロにも使われているアレ、といえばわかりやすいか。教則本とCDが付いており、まぁ数カ月ぐらいかけてモノにしたるわい、と家に帰ってオタマに見せたなら、譜面を見ながら練習曲を次々と吹きなさる、しかもほぼ完璧に。あげく「これ、カンタンじゃね!」ときた。それ、アナタに差し上げます。

本日のラジオ、俺の沖縄ミヤゲ話特集。いくつかのコーナーで、CD音源をそのままBGに使っていたのだが、先週イコマが俺の代打をやったとき、Qショットに入れておいてくれたおかげで、、、かえって操作に戸惑っちまったじゃねぇかい(笑)。なんだか、きょうはヤラレっぱなしですな。

荒ぶる魂 (2004.08.16)

なんとなく盆休みが明け、本日より通常業務。同じく今日から仕事に戻った久保から「ダルイ、眠い、仕事にならん!」とのメール。俺はヤツより3日早く帰ったのですでに社会復帰、、、、出来てないかも(笑)。

夕方、打ち合わせをしに、古巣の某デザイン事務所へ。用件が片付いたあと、Mデザイナーと雑談。

人が俺をどう見ているのか知らないけど、今の俺にはイマイチ明確なビジョンが無いな。沖縄単独ライブツアーに行ってよくわかったのだが、俺のイイところ、ダメっぷり、どちらもハッキリ見えてきた。さて、こっからどうするかだ。おいおい、いつになく真剣な俺。寝た子を起こしちまったのかよぉ、アホ〜。

恐怖の日焼け男 (2004.08.15)

午前中、かつてオタマのバイオリンの生徒であった帰省中の英太クンが来宅。現在岡山大学の2年生。話しこんでいるうちに、彼が俺より22才年下であることが判明。でも別にどうってことないやね。若者であろうがジジイであろうが、俺も通って来た道であり、いずれは辿る道でもある。健全なる幼児性を持っているだけで、男はいくつになっても「変われる」「楽しめる」「創りだせる」可能性を秘めているのだ。

昼過ぎ、コタマを実家にあずけ、オタマと本通界隈をウロつく。とあるブティックに入って、目の前に立ちふさがった、汚らしく日焼けした遊び人風の男にギョッとする。あ、な〜んだ、鏡に映った俺ではないか(笑)。しかし、よう焼けたもんである。

*写真:コタマのためにオタマの友人ユミチャンがプレゼントしてくれた、「ピースリング」なる、だっこひも。コタマもなんだかうれしそう。

気炎万丈 (2004.08.14)

依然、モーロー状態。沖縄から帰ると必ずこうなるが、今回はとくにひどい。いや。これがまた結構気持ちいいけだるさなのよ。

午前中、父方、毋方両方の祖母(母方は初代春駒)へコタマを見せにいく。コタマにしてみりゃひいばあちゃんが二人いるというわけだ。初代春駒、大の野球好きで、最近のカープの腑甲斐無さをお嘆きである。「今年のカープはBクラスどころか、ただのビリッケツじゃぁ。中継見よったらハラたってテレビめいだろうか(めぐ=広島弁で「壊す」)思うよ。ホンマ情けない。はぁ、野球なんかヤメイヤメイ!」とても87歳とは思えぬ気炎万丈。

*写真:11日、コザの「民謡クラブ姫」で憧れの我如古より子さんと。ウヘヘ状態の俺。

完全フヌケでピィヒョロロ、、、 (2004.08.13)

朝目覚めると、、、完全なるヌケガラ状態。視点も思考もまったく定まらん。

一週間会わなかっただけで、顔も体も一回り大きくなっているコタマにビックリ。

昨日から二泊三日の日程で蒲刈島で行われている心体育道夏期合宿に、昼から参加するつもりであったが、これがどうにもカラダが動かず断念。兄弟子S氏にキャンセルの電話を入れる。

ロケン屋ナカハラ氏よりTEL。ヒートウェイブの山口 洋クンをスペシャルゲストに招き、来月クアトロにてジョイントライブをやりたいので是非Far East Loungeで参加を、とのこと。また、10月には岡山ミュージックシーンの重鎮K氏の要望で、総社あたりでライブをやって欲しいとも。どちらもがってんだっ!

オン・ザ・ロード・アゲイン (2004.08.12)

朝10時、ホテル・モンブランをチェックアウト。が、そのままレストラン・モンブランにて、こちらのオカーサンとしばし「ゆんたく(沖縄方言でおしゃべり)」。以前久保が、沖縄でいい女性と巡り会って結婚し、こちらに婿入りするプランを持っていた事を話すと、オカーサン、自分の姪っこはどうか?と真剣に聞いてきた(笑)。このように突然マジな縁談に発展するところがウチナーのノリである。
「またくるね〜」と別れを告げ、ホテル・モンブランを出たとたん、凄まじいスコール。あわてて店の軒先きに飛び込み雨宿り。猛烈に降りしきる雨を眺めながら、この想像以上に楽しく、収穫のあった六日間を振り返る。今回もナビゲーターを、いや、マネージャーを勤めてくれた盟友久保直樹。沖縄在住のシンガーを紹介してくれた豊田勇造師匠。ナイスサポートのウーヤン、マキムン。二日に渡って応援に駆け付けてくれた山内奈良さん&娘の知音ちゃん、そしてシーカヤックショップ漕店の大城さん、酒井くん。陶芸家のニシヤン。ウチナーシンガーのケンコさん、まよなかしんやさん、ひがよしひろさん、ギタリストの世那城TARAさん、我如古より子さん。飛び込みにもかかわらず快くライブを承諾してくれた栄町「生活の柄」のスタッフ、La manZaneのマスター岸本さん、コザ・オーシャンのマスター、民謡クラブ姫のスタッフ。2日間世話になった宿かりハウス「アーマン」のフロントマネ−ジャ−小西くん。みんなみんな、ホンマありがとさんでした。この世に偶然というものは存在せず、すべてが宇宙レベルの縁で成り立っている事が肌で感じられた今回の沖縄ツアー。また少し、俺は歌えそうな気がしている。

今週一杯沖縄に滞在する久保と分かれ、18時10分発の広島便に乗りこむ。また来るさぁ〜沖縄、これからもよろしゅうに!

台風見物、、B級ホテルパラダイス、、ファイナルライブ、、 (2004.08.11)

宿かりハウス「アーマン」を10時にチャックアウト。台風13号、沖縄本島直撃は免れたようだが、それでも風の強さといったらハンパではない。面白いことに、沖縄の人は台風がけっこう好きみたい(笑)。屋根やクルマが飛ばされたりフネを持って行かれたり農作物がやられたりするけど、心の準備が出来ているのか死人やケガ人が出ることはほとんどないらしい。それより、「今度の台風はどんなんかねぇ〜、チム(心臓)ワサワサするさぁ〜」てなこと言いながらニンマリするのだ。てなわけで、俺と久保も空港へ出かけ、展望ロビーから荒れ狂う海を見物。「おおっ、見てみぃあのデカイ波!その調子その調子!」ハシャグ二人の広島産不良中年。

昼過ぎ、バスで一時間のコザへ。16日まで沖縄にいる久保とは今日から別行動を取ることになっていたが、台風で離島へ行けなくなったため、俺につきあうという。
普天間を過ぎたあたりから車窓の景色が一変。なるほど、基地の街。慣れ親しんだ那覇とは違い、フェンスに囲まれた米軍施設が延々と続く。コザは岩国ゲート前を大きくした感じ。ケバケバしくペイントされた「アマゾネス」「フジヤマ」なるクラブ、バー、パ−ティウェア専門店がゲートに向かうメインストリートの両側に並んでいる。しかし、肝心のアメリカ人の姿は少ない。何故?
本日の宿泊地はこのゲート前(正式には空港通り)からちょっと脇道には行ったところにある「ホテル・モンブラン」。広島を発つ直前、インターネットで「コザの安ホテル」で検索したら「コザのB級ホテル」なるサイトを発見。そこに載っていた由緒あるB級ホテルである。サイトで紹介されていたとおり、1Fはレストランっつーよりフツーの大衆食堂。さらにその横には「ブティック・モンブラン」まであるではないか。ホテル側の入り口とおぼしきドアを引っ張ると、いきなりバシッ!!という音とともにドアが三分の一開いたところで止まってしまう。よくみりゃ内側からヒモでそれ以上開かないように結わえてある。うほほっ、こりゃ期待持てそうじゃんよ。レストラン側に廻り込んでみると初老の上品な女性が現れる。「あら、ようこそいらっしゃい。ああ、あのドアね。あれは台風の風で飛ばされないように結わえているのよ。シングル2つを予約してらした方でしょ?202と203へどうぞ。あなた達、今晩はホテルへ戻ってくるのがどうせ遅くなるでしょうから、あとでホテル入り口のドアの鍵のかけ方を教えといてあげましょうねぇ。ちょっとコツがありますからね」とまぁ、嬉しくなるようなことをおっしゃる。こういうのが旅の面白さ。共同シャワーだけの素泊まりゲストハウスばかり4泊してきた俺には、フロさえ付いていれば宿泊料4000円であっても充分上級ホテルである。案内された2Fフロアは、俺らが泊まる二つの部屋以外は通常まったく使われていないようだ。俺らも「久しぶりのお客さん」らしい(笑)。いや、なかなか清潔にベッドメイクされておりました。

夕方まで強風吹き荒れるコザの中心街をブラブラ。と、商店街の一角に「コザFM」を発見。「広島のコミュニティFM局の者ですが、、、」とドアを開いてみたならば、月曜〜金曜夕方の生番組を担当しているパーソナリティ、大月じゅんさんと少しお話させてもらえた。「もっと早く連絡くだされば、ゲスト枠を確保できたのにィ。是非、また必ずコザにいらっしゃってくださいね」とのこと。

夜、ゲート真ん前にあるライブスポット「オーシャン」へ。またまた勇造師匠の紹介で、コザのシンガーソングライター、ひがよしひろさんとコンタクトがとれ、彼とのジョイントで本日ここで飛び入りライブをさせてもらえる事になったのだ。

8時過ぎ、まずひがさんが、ギターの世那城さんとのコンビでステージに立ち数曲。客は十数名。年齢層がやけに高い。
ひがさんも先日のまよなかしんや氏同様、沖縄では名の知られた実力派。声がシブイ。歌詞がいい。メロディもバラエティに富んでいる。世那城さんも瑞々しいギターを弾く。二人ともばっちり中年だけど、カッコエエっす。沖縄ミュージシャンンだからといって別に必ずしもサンシン弾く必要はない。アコースティックギターでも沖縄の魂は伝わってくる。
続いて俺登場。ウクレレ一丁で三曲熱唱。まずまず。
演奏終えて、ひがさん、世那城さんと飲む。ひがさんは通常、かの有名な「モッズ」で歌っておられるらしい。早めに連絡取り合って、ジョイントしましょう、ということになる。

11時、読谷に住む陶芸家のニシヤン(彼は福岡から沖縄に移住して5年。陶芸家の前は福岡で刑事をやっていた)と合流し、オーシャンから徒歩10分の「民謡クラブ姫」へ。ここは俺の中では古謝みさこさんと並ぶサイコーの歌姫「我如古より子」さんが経営する沖縄随一の民謡スポットで、彼女自身もほぼ毎晩出演すると聞いている。一応、久保が確認の電話を入れると「はぁい待ってますよ〜」とより子さん本人が電話に出てきた(笑)。急げ、走れ!ステージは11時からだぞい。
店内にビーチサンダルはいた怪しい風体の中年男三人が息を切らせてなだれ込むと、、、平日のせいか意外と客はまばら。あ、我如古より子さん発見!わおっ、カワイイじゃんよ!俺らを待ってくれていたかのように演奏スタート。バックメンバー5人を従えた、生より子の歌に聞き惚れる。「リクエストありませんか?」「あ、じゃぁ『与那国のマヤグァー』をお願いします」、、、素晴らし過ぎる。俺のリクエストで憧れのより子さん歌うてくれはった(思わず関西弁)。この曲はいろんなシンガーがカバーしているけど、やっぱより子さんの唄がいい。カンドーして目頭が熱いぜチクショー。

一部のステージが終わったところで、より子さんらが俺らのテーブルへやって来てくれてしばし談笑。舞い上がる俺。と、より子さん、俺のウクレレを目に止め「あなたの歌を聞かせてくださいな」ときたもんだ。や、やりましょう!
厚かましくステージに上がらせていただき「月の下ジントヨー」「テビチ記念日」「UMIKAJI」を熱唱。やった、ウケた。途中からバックメンバーのオジサンが太鼓を叩いてくれたりして感謝感激。ああ、ミュージシャンやっててヨカッタでぇ。より子さんに新しいCD(しかも目の前で直筆サインを入れてもろうた!)を俺だけいただき(やーいやーい)、深夜2時半、夢見心地の千鳥足でホテルモンブランへ戻る。最後のライブがより子さんの「姫」で締めくくれるなんて、まったく上等さぁ〜。

*写真:「民謡クラブ姫」にて、我如古より子さんが見守る前で熱唱する俺。しかし、我ながらこのカッコ、なんとかならんのだろーか。まるで「裸の大将」じゃんか。

ゆいレール、、首里城、、ラジオ中継、、La manZana、、 (2004.08.10)

両親らのために、久保と首里周辺をガイド。首里まで行くのに俺も沖縄唯一の鉄道(モノレール)「ゆいレール」に初めて乗ったけど、この日がちょうどゆいレール開業一周年。2両編成のかわいらしいモノレールながら、すでに赤字で苦しいらしい(笑)。

すでに台風の影響か、時折強い風と雨。雨宿りがてら(?)寄った首里城、ここは俺も久保も初めて。なかなかに見ごたえがあった。しかし、惜しい。第二次大戦で破壊されていなければ、その文化的価値は、世界に冠たるレベルであったろう。今でも一応世界遺産だが、文献を元に復元されたものだから、イマイチ感情移入出来んのだ。

両親達は夕方の便で広島へ。そうとう楽しんでくれたみたい。少しは親孝行になっただろうか。

ところで本日はラジオオンエアがある。で、俺の代打として不肖イコマユカがメインパーソナリティを担当。沖縄中継っつーことで料理茶屋しまもとからビール飲みつつ「ハイサイハイサイ〜」とやらかす。俺も沖縄滞在4日目でアタマがゆるみまくっており、舌もカミカミ。
放送終了後、勇造師匠に教えてもらった那覇在住フォークシンガー、まよなかしんや氏に連絡とると「すぐ会いましょう」とおっしゃる。国際通りの「パレットくもじ」で落ち合い、連れて行ってもらった先が琉球新報裏のライブスポット「La manZana」。「僕が前座をやるから小林クン、あとでしっかり歌いなさい」とまよなかさん。フォーク歴33年というベテランシンガーの歌は、別の意味で島唄であった。米軍基地への反対意志、郷土への愛、前向きでいることの素晴らしさ、、、そんなものが彼の歌には込められていた。やはりあなどれんのう。いや、ホンマ、彼に比べればメジャーアーティストの大半の作品がなんと味気も生命力もないことか。ウチナーミュージシャン、最高!
俺はウクレレ一丁で5曲披露。聴衆は10名ほど。イイ感じで歌えた。マスターの岸本さんから「次回はぜひゲストで」と言われる。まよなかさん、ありがとうございました〜。

*写真:首里の歴史散策道で、アフリカマイマイを見つけて大はしゃぎの甥っこ直樹。

沖縄のプロフェッショナル、、台風13号発生、、 (2004.08.09)

両親達はタクシーを一日借り切って、名護、本部方面へ。
本日夕方の便で広島へ帰るウーヤンのため、俺と久保は国際通り周辺のおみやげガイド。久保、沖縄に初めて来たのが12年前。以来、年数回ペースでウチナー詣を繰り広げているわけだから、合計滞在日数は300日に迫る勢い。知識もハンパではない。今日だって公設市場の某八百屋で、そこのニイチャンを完全にやりこめていた。ヘタな八百屋よりも島バナナについて詳しいのだ(笑)。果物、焼酎、エトセトラ、すべて久保の的確なナビゲーションで、ウーヤンも大量のみやげ物を格安でゲットできました。

ウーヤンを空港に送ったあと、久保と山下町のシーカヤックショップ「漕店」へ遊びに行く。出されたビールを飲んでいると、「で、小林さん、いつ広島に帰るんですか?」とスタッフの酒井クン。「うん、12日じゃけど」「エエッ12日?危険信号!!」なんと、彼によると、台風13号が発生し、12日あたり沖縄本島直撃とか。沖縄の台風、か。どんなんじゃろう。ま、ジタバタしてもしょうがない。

夜は両親らと落ち合い、久保の案内で旨くて安いと評判の某料亭へ。焼酎で俺もしたたかに酔い、帰りはすっかりいい気分で久保とウクレレ弾き、歌いながら、国際通りを練り歩く。本日の宿は泉崎のハーバービュー通りに面した宿かりハウス「アーマン」。素泊まりナント1500円。ここに泊まるのは俺も2年ぶり。1Fにある日本料理屋「料理茶屋しまもと(ここも美味しいよ!)」が経営しているのでベッドも清潔で気にいっている。

座間味海水浴、、栄町「生活の柄」、、 (2004.08.08)

那覇市内、辻の近くのナントカいうゲストハウスの大部屋で目が覚める。ここは一泊2〜3000円という最近流行りのドミトリースタイル施設で、俺、久保、ウーヤンの他にも関西や名古屋からのバックパッカーがゴロゴロ。普通、ツアーに出たミュージシャンって、絶対こんなところに泊まらんだろう。俺らは今夜もこちらにお世話になる予定。自分のタフさが誇らしい、ていうか、単にカネがないだけだっつーの!

さぁ、本日は慶良間の座間味にて海水浴。国際通りにある西武オリエンタルホテルへ俺の両親&甥っこ直樹を迎えに行き、泊港から座間味行きフェリーに乗船。2時間で座間味着。たったの2時間であるけれど、俺と久保は2001年夏に、この60kmをシーカヤックで海図を頼りに三日かけて漕ぎ抜いたのだ。こういうのをまさに「バカ力」というのである。
2年前、オタマと婚前旅行で訪れた以来の座間味の海は、相変わらず気絶する程美しい。座間味港から渡船に乗り込み、沖合い1キロに浮かぶ無人島「ガヒ」へ。オヤジ、オフクロ、ウーヤンも「これがホンマにニッポンとは信じられん!」と感心しきり。皆ガキのようにはしゃぎまくる。

夕方、那覇に戻り、久保、ウーヤン、まきむんと栄町の居酒屋&オープンスペース「生活の柄」へ。ここは、京都の勇造師匠に紹介してもらった沖縄インディーズシーンの顔役であるケンコさんのブッキングで出演決定。タイミングいいことにこの日はちょうど開店一周年記念パーティーが開かれるとかで、2Fにあるフリースペースは足の踏み場も無い程の盛況ぶり。昨日の北谷ストリートライブに引き続き、那覇在住の友人である山内奈良さん、シーカヤックショップガイドの酒井君も応援に駆け付けてくれた。俺らはケツから二番目に登場。メチャクチャにノリのいい若い客が多く、こっちも燃えに燃えまくる。一応、俺らはあくまでゲストなので控えめに4曲。しかし、演奏は超過激に。手ごたえアリ。ケンコさん、サンキューでした。

ハイサイ沖縄!!!!、、北谷ストリートライブ、、 (2004.08.07)

朝7時前、久保直樹、sax吹きのウーヤン、俺の両親、甥っこ直樹とともに広島駅からリムジンバスに乗り込み空港へ。バス内ですでにウキウキウッキーのオヤジ殿、寒いギャグの連射をかまし周囲を窒息状態に追い込む。不安になる俺をしり目に、空港で搭乗手続きを済ませたあたりからますますヒートアップ。飛行機が離陸して、まだシートベルト着用サインが出ているのに、腰をうかして、窓から外を眺めているイナカモンは、、、もちろんオヤジである(苦笑)。そして二時間弱のフライト後、眼下に信じられんくらい美しく広がる沖縄の海や島々を見てピークに達した彼は、カメラのシャッターを切りまくり、わずか数十秒で24枚撮りをイッキに使い果たすという暴挙に。たのむ、誰かこのオッサン止めてくれ!
さて、そんなこんなで那覇空港に降り立った俺たちは、タクシーを拾い、まずは糸満にある平和祈念館へ。家族はもちろんのこと、俺もここを訪れるのは初めてである。2002年、久保とシーカヤックで那覇から反時計廻りに久高島までの50kmを漕いだ時、 喜屋武岬沖からこの祈念館を見上げたことがあったけど、琉球瓦を効果的にあしらった近代的かつ重厚壮大な外観は近くで見るとド迫力。総工費74億円らしいが、沖縄人というのはカネをかけるべきポイントには全力で大枚を注ぎ込むところがある。展示内容もすこぶる充実しており、沖縄の歩んできた過酷な歴史概要が約2時間で把握できる。第二次大戦時、日本国内唯一の地上戦が繰り広げられた沖縄。米軍の撮影資料には思わず目を覆った。ひとたび戦争ともなれば、人間というものは悪魔も戦慄する程、残忍なことを平然とやってのけるものだ。

夜、久保、ウーヤン、首里のまきむん(ヤツと会うのはほぼ2年ぶり。今回はパーカッショニストとしてサポートしてくれた)と共に、北谷のカーニバルパークへ。かつて友人のボーカルデュオ、bkozがデビュー前に毎週末ストリートライブをやっていた場所。しかぁし、ここでいきなりハプニング。なんと、本日はこのエリア全体がナントカ祭とかいう巨大イベント会場と化しており、大勢の殺気立った人手でごった返しているではないか。ほのぼのとストリートライブなんぞやれそうな場所は皆無である。でも、せっかく来たんだし、ストリートライブ用にわざわざ電池式アンプ「マイキュー」まで持ってきたのだ。よっしゃあ、どこでもやったろうじゃん!気合いを入れ直し、屋台が並ぶ歩道の一角に陣取り、そして遂に遂に、、、、20数年ぶりのストリートライブ開始じゃい!
一曲目、「テビチ記念日」をブチかますとあっちゅう間に十数名が足を止めてくれる。乳母車を押していた白人の若夫婦などは、寝ていた赤ちゃんをわざわざ起こして抱き上げ、曲に合わせて踊ってくれたりして、俺らもボルテージ急上昇。結局数曲やり、充分ナットクしてフィニッシュ。ははっ、すごく盛り上がって大成功じゃないかいな。幸先いいどぉ。なお、この模様の映像は、近日WEBTVゴク楽生活委員会で紹介する予定。

*写真:北谷からの帰りに乗ったタクシーの運ちゃんはモヒカン! これでもれっきとした大手タクシー会社のドライバーなのである。恐るべし沖縄。

8.6特番本番 (2004.08.06)

朝7時、Pステのスタジオへ。ディレクターS氏らスタッフと打ち合わせ後、気が付けば、、、っつーカンジですでに8時。あわてて気分を引き締めて特番「広島世界平和ミッション〜〜外からみたヒロシマ〜」第一部開始。秋葉市長の平和宣言文の検証が主なテーマ。ヒィコラ喋っているうちに30分終了。30分の休憩を挟み、9時より第ニ部。一部とはトーンを大きく替え、スタジオに招いた3人のゲストと討論形式で平和ミッションの課題と未来について面白おかしく語る。そう、「面白おかしく」である。しかめっ面してもしょうがない。59年前のあの日、木っ端みじんに打ち砕かれた広島市民。肉、骨を焼かれ、目玉を引き抜かれ、手足を潰され、カラダにウジがわいても、絶対に屈しなかった俺らのジイチャン、バアチャン。その気持ちなんかヘナチョコの俺ごときにわかろうはずもない。ただただ尊敬、畏敬の念あるのみ。だから俺は彼らに遠く及ばずとも精一杯のポジティブバイブレーションでにじり寄るのだ。
番組後半、日光在住の親友AKIRAさんが電話インタビューに応じてくれた。獣道さえないような人跡未踏の荒れ地を彷徨う時の恍惚。ああ、俺は今、すげぇ場所を踏破している。なってたって一番乗りだぜイエイ!などとはしゃいでいると、ふと誰かの足跡を発見。ゲゲッ、俺より先にここを歩いた人間がいるんかいや?吃驚してその足跡を詳細に調べたならば、結局AKIRAさんのものだったりする(笑)。それぐらいAKIRAさんというのは俺の遥か先を行く大したお人であるのです。

番組が終わったらダッシュでうちに帰り、明日からの沖縄ツアーの最終準備。

*写真:特番終わってお疲れの図。左から敏腕ディレクター迫田氏、中国新聞特別編集委員の田城 明記者、中国人留学生の岳 迅飛さん、広島出身の津田塾大生である荊尾(かたらお)遥さん。そして放心状態の俺(笑)。

特番準備、、、沖縄ツアーの本気汁、、、 (2004.08.05)

朝っぱらから明日のPステの特番「広島世界平和ミッション」のための資料集め。前半、後半合わせて1時間30分を音楽もかけずに俺ひとりで喋り倒せといわれても、「反核・平和」がテーマなら出来ないことはない。が、それじゃ今回のプログラムはまったく意味を成さない。いかにゲストのコメントをバランスよく引き出すか、これにすべてがかかっているのだ。前半、後半の間に、まったく別なコンセプトの30分間の音楽番組が挟まっているのも不利。こりゃなかなか手強いぜぇ。

沖縄ツア−の内容最終調整。結局、今回、俺はやはり音楽に集中する。バックパッキング、シーカヤックどちらもナシ。ライブをしない日は、気になるライブハウスなどを視察したい。サポーターとなってくれそうな人とも親好を深めたい。っつーことでツアー後半は久保直樹とは別行動の可能性が出て来た。なので、俺には珍しくガイドマップを買う。沖縄本島は那覇ばかりで、コザとか北谷には行った事が全然ないのだよ。ワクワクするどぉ。

師匠からの沖縄追加情報、、、俺のロゴがガウンに?、、、 (2004.08.04)

レギュラーでやっている某TV番組ダイジェスト原稿を書くのに、音声をヘッドフォンで聞きながら内容を整理するという方法にチャレンジしてみたならば、集中力が高まり、通常より1時間早く片付きよった。なんで今まで気付かなかったのだろう(笑)。

京都の勇造師匠からデンワがあり、沖縄プロモーションの追加情報をいただく。人、ライブスポットの紹介の他、ツアー先での細やかな心がけなどを伝授してもらった。サンキュー、勇造アニィ!

夕方、Pステーションにて6日特番の3回目ミーティング。俺がプッシュした県外からの2つのゲストのうち、ロックバンド「ゴッドブレス」の生出演は、番組構成上、難しくなった。日光在住アーティストAKIRAさん枠はなんとか確保。

ミーティングが終わってから喫茶こばやしスタジオにて、普段よりみっちり心体育道自主稽古。稽古は毎日やっているけど、ここでの稽古が頭がハッキリして一番集中できる。だってコーヒーのニオイが充満しているんだぜ(笑)。ふと、思い立ち、8種類あるサバキの型を、太極拳(俺は一時期、武道太極拳を習っていた)のように超スローでやってみる。と、これがたいへんにキツイものであった。フルスピードのほうがいくらかラク。技の正確性、身体の連動を強化するのに適した稽古法と思う。

東京のチクワブ小野寺からデンワ。K-1と人気を二分する某格闘技イベントにヤツの友人で元関取のNが今年末に出場するらしいのだが、どういうわけかNが俺のロゴ(当オフィシャルHP)をえらく気に入ってしまい、自分のリング登場ガウンにデカデカとプリントしたいとか。それでデータをくれ、という。断る理由もないのでOKする。しかしNさんよ、たのむ、1ラウンドKOだけはされんでくれ(笑)。

*写真:春駒オリジナルの心体育道自宅稽古用の黒い道着。シミ状のものは本日かいた汗。

フルラウンドの末、、、 (2004.08.03)

原稿ラッシュ。はへひへ状態。俺の仕事に貴賎ナシ。カネになる仕事、ならん仕事、おかまいなしに全力投球。手ぇ抜いたら、自分にウソつくことになりますけぇの。

イコマからデンワがあり、相談にのってやる。まったく広島っつー街はつまらんシガラミが多すぎるス。ネタミ、ヒガミ、ヤッカミ、これを三ミ一体という、などと言ったところで誰も感心せぬが、相手の飛躍を共に喜び、互いに力をあわせる事で、双方さらにハッピーになるということを理解している人は少ない。また、俺のような、いわゆる「マルチ」と称されるタイプは基本的にナメられる傾向が強いようだ。ライブ会場では俺はどこまでもミュージシャンだからな、絶対音楽で勝負しとるんぜよ。え?言わぬが花?はは〜っ、失礼いたしやした。

いつもより2時間早くPステ入り。S氏や局長らと8月6日の特番の打ち合わせ。この2回目のミーティングで、局側が俺をPステのレギュラーパーソナリティというより、ユーモアと反骨精神に溢れた一人のミュージシャンとして今回のプログラムに起用してくれた事が判明。うん、素直に嬉しい。

さて、ラジオ本番。先週もゲストが多くてたいへんだったが、今週はさらに過密。ゲスト4組に、電話出演者2組。魂のレッドゾーンに突入。帰ってサッカーのバーレーン戦を見終わったら、すべてしごき出され尽くしたカンジにてすみやかに気絶。

異常気象で異常気性?、、焼酎で二日酔い、、フラミーティング、、 (2004.08.02)

全国的に猛暑と大雨の波状攻撃。今度は高知の土佐市で浸水被害がひどいようだ。気象も相当にヤバイが、人間も相変わらずロクでもない事件を連発している。いや、気象異常が、人間の精神にも悪影響を与えているのだ、という説をとなえている人物を知っている。月の満ち欠けが人の血流にも大いに作用しているわけだから、充分あり得ることと思う。

能率が上がらぬまま終日ノロノロと原稿執筆。昨夜の大しょう酎でのbkozの打ち上げ時、久保直樹の推薦するままにあれこれ焼酎をあおりまくったせいでけっこうな二日酔い。久保からもメールがあり、ヤツも同様に調子悪く結局仕事を休んだげな(笑)。

夕方、全日空ホテル1Fカフェにてフラダンスグループメンバーのエビィ、ソノコ嬢とミーティング。18日のジャイブでのジョイントライブ、彼女達のほうからもアイデアが出て、俺のイメージも広がる。

スケジュールを見ると、ウーンと目眩がしそうなほどギッシリ。数週間前からこんな具合で、しかも8月いっぱい続くのである。ボランティアもあるが、稼ぎになる仕事が増えてきた? こうなりゃやれるだけやったれ。どんどんいったれ。

*写真:母親に似ておそろしく寝相の悪いコタマ。寝返りはうてぬものの、強力な背筋を使ってシャクトリ虫のようにベッド内を大移動しよる。

bkozライブ (2004.08.01)

夕方、Pステーションにて、8月6日の特別番組のための打ち合わせ。中国人ゲストG氏、東京の女子大生Kさんを交え、総勢8人のミーティング。もっと簡単に考えていたので焦る俺(笑)。テーマは「外から見たヒロシマ」。どんなんなるんでっしゃろ?

そのあとジャイブへ。俺の友人デュオbkozのライブ。バックはチューピー梶山、ツンチャン、柴作氏、ミチコチャンというこれまた身内。メジャーデビューして以来、約2年程会っていなかったので妙な具合に変わっていやせんかと少々心配であったが、まったくの杞憂であった。いいライブでありました。
終了後、大しょう酎にて打ち上げ。bkozのベンと以前から友だちだった、ダイヤモンド商のO氏も参加。

*写真:大しょう酎にて、左からbkozのベンハー&コースケ、そして主催のミチコチャン。

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