今年のトピックス、つれづれなるままに。
1月/生涯最大のヒット曲になるかもしれないポテンシャルを秘めた人生初の演歌『夫婦蛸』完成(爆笑)。福山(実際には神辺町)のハイダウェイで初ライブ。 2月/11年勤めたデザイン事務所を退社。フリーランスとして活動開始。 3月/某平和イベントで原爆ドーム前にてライブ。同日、親友のTさん逝去。心体育道の通算5本目となる新作プロモーションビデオのナレーション担当。駄犬ノリも逝く。 4月/銃刀法所持許可証を返却し、12年間愛用したショットガン「レミントンM870」を手放す。尾道音楽祭ゲスト出演。 5月/魂のフォトグラファー、トシ風間氏のスライドショー&講演会に行き、ショックを受ける。沖縄民謡風の『月の下ジントヨー』完成。 6月/コタマこと、長男「紅葉(くれは)」が桃太郎方式(帝王切開)により誕生。憧れの仏師、藪内佐斗司の作品展を三越に見に行き、またまたショックを受ける。 7月/オタマ&コタマ、退院し我が家へ戻り、一カ月以上に及んだ独身生活にピリオド。家族3人生活開始。 8月/Pステの被爆59周年記念特番パーソナリティーを担当。初の沖縄ライブツアーを5カ所で敢行。 9月/クアトロにて山口洋クンとジョイント。 10月/心体育道初の技術書のための撮影開始。コタマを抱き上げようとして5年ぶりのギックリ腰。コタマのお宮参り。南区神田神社にて心体育道奉納演武。俺、42回目の誕生日。世界一の侠客、花山 薫人形購入。岡山総社でライブ。 11月/通常のヨガ&西式健康法に「火の呼吸」を取り入れる。以来、二日酔いナシ!NYから再び来日したトシ風間氏の講演会に行くと、ナント彼が俺を憶えていてくれた。来年はジョイントライブしようとの申し出。湯木町ふるさと祭にて心体育道演武。盟友AKIRA氏より出版記念パーティーの司会を仰せつかり、何年かぶりに東京へ。風邪連発。 12月/オタマの親族、俺の親族が連続で逝去。フリーランスになって最高に多忙を極めた月。某食品メーカーから商品のテーマソング作曲依頼を受ける。
、、、、ライブだけでも30回やってるし、曲も10曲程度出来たし、なにより偶然の必然を思わせる新しい出会いがいくつもあった。友人や親族の死はつらかったが、コタマが産まれたことでこれほど「命」について考えさせられたことは無かった。いい一年だったと言える。
で、その締めくくりともいうべき、カウントダウンライブに出演すべく、みぞれ降る中、中区アリスガーデンへ。リハ終了後、11時半からの出演まで近所の某小料理屋にて熱燗すすりつつ待機。この寒さは尋常では無い。通常、ライブ前は決してアルコールを口にしないことを信条とする俺ではあるが、気付けにこのくらいならよかろう。 時間通り俺らの本番。二百人程度の観衆の前で、一曲目「その男ヨシオ」を実に気持ちよく歌い終わったあと、問題の「アホ」どもがやってきた。酒に酔った若い男女の8人グループで、そのリーダー格らしい、いかにもアタマの弱そうなひとりのガキが、奇声を上げながらステージ上に上がり、2メートルの距離から俺に向かってクラッカーを発射。紙スダレは俺には当たらなかったが、もし当たったりしたらすみやかにギターを置き、殴りかかっていたと思う。最近の成人式でも、やはり勘違いしたアホが式を台無しにする狼藉をはたらいているが、こういう場合、厳重に「鉄拳制裁」でもって対処するのがスジというものではなかろうか。武器を持っての報復は戦争に繋がるが、男同士、素手で健康的に殴り合うのを俺は肯定する。しかし、今回のようなラジオ中継時での「シンガー」自身によるスクランブル発進は大いに自重すべきである。かろうじて怒りを沈め、残りの2曲。しかし、俺もまだまだ青い。その後も一向に騒ぎを止めぬヤツラを懸命に押し返そうとしているPステスタッフを見ながら冷静に歌えるわけが無い。あのアホどものニヤケた顔面に「年忘れイナズマパンチ」をブチ込んでやりてぇ。「ヤメロ」「やりてぇ」「ヤメロ」「やりてぇ」のせめぎ合いが俺の中で激しく交わされ、ラストの「カプチーノもう一杯」はリズムも歌詞もクチャクチャ。年明け15分前の爆発寸前、まさに怒りのカウントダウンである(笑)。
ステージから降りても怒りがおさまらず、「アイツ見つけ出してしばいたろうか」などと、イライラしていたが、演奏を聞いた某センターの社長氏が「いやぁ、たいへんな逸材がPステにおったもんじゃ。あの原爆を題材にした曲といい、実に素晴らしかったよキミの歌は!今度ウチのイベントに出てくれんかね」と大絶賛してくれたりして急にニコニコ。コドモか俺は?! 帰りのタクシーの中、比治山トンネルの手前で信号待ちの時、10時の方向、たぶん多聞院からゴ〜〜〜ンと除夜の鐘。そこで一句「煩悩を、いっそ強める、ゴング鳴り」。むはははは、とにかく2005年か。今年も怒ったり笑ったりしながら激しく突っ走るぜい。
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