謙二叔父の葬儀に参列。親父の兄弟(男ばっかり5人)は、皆、スポーツ万能。次男の謙二叔父、三男である俺の親父シゲチャン、四男のミキタ叔父(30年前に他界)の三兄弟は競輪選手として活躍していたし、長男レイゾウ叔父(〜〜年前に他界)は優秀なサッカー選手だった。謙二叔父は昨日の日報にちょこっと書いたとおり、タップダンサー>ストリップ劇場のコメディアン(笑)>競輪選手>喫茶「活葉(かっぱ)」のマスターと、怒濤のトランスフォーメーションを展開したが、学生時代はやはりサッカー選手としても注目を浴びていた。ちなみに、サッカー選手時代の優れた資質を買われて広島東洋カープ〜ベルマーレ平塚の代表を歴任したこともある重松氏とはサッカー部時代の親友である(今日の葬儀にも出席しておられた)。
はてさて、火葬が終わって出て来た謙二叔父の骨を見て、居合わせた一同、ちょっと驚く。なんと、頭頂部から額にかけての頭蓋骨が、「どうだ!」といわんばかりに崩れることなく丸〜く綺麗に残っているではないか。 焼き場からの帰りの送迎バス車中で、当然のごとく、シゲチャンがでっかい声でその事について親族達に語り始めた。 「アニキはサッカーでヘッチン(ヘディング)やり過ぎたけぇ、デコチンが頑丈になってばっちり焼け残ったんじゃ。ワシャあ今まであんなの見たことないで。うわっはっはっは!」 大いにウケまくる親族一行。あの兄にしてこの弟ありってか(笑)。
その後、親族だけ再度葬儀場に戻り、談話室で茶を飲む。大叔父の三郎氏(御歳90)は、ほんの数年前までチャリで瀬戸大橋を往復する程の健脚(っつーかバケモンだな)であるが、彼の幼少時のハナシがメチャ面白かった。長くなるのでここには書かないけど、人にはそれぞれ、一編の小説になるほどの歴史があるのだ。特に戦争を挟んで生き抜いた人の、しかもここ広島で過ごした場合には、まさに手に汗握る波乱万丈物語となる。そんなわけで、俺の中には、彼らの話を聞き書きで残したいという思いが芽生えて来ている。
そうそう、今日初めてクーが歩いた。2歩!
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