Far East Lounge 三代目春駒小林一彦オフィシャル 小林一彦イラスト

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2006年05月の日記

拍子抜け、、、人間の尊厳、、、 (2006.05.31)

昨日、不撓不屈の精神を奮い起こして喫茶こばやし一時復帰を決断したというのに、直後オフクロから連絡があり「あのね、パートの人が見つかったけぇね、エエ人でねぇこれがまた。ほいじゃけアンタもう来んでもようなった」とのこと。ひでぶっ!
そんなわけで終日、いつも通りの執筆業務。そしてこれまたいつも通りにカネになる仕事ならん仕事、分け隔てなく粛々とこなす。忙しいけど楽しいなっ。1ミリでもいい、前進あるのみ。


「その男ヨシオ」こと、祖父嘉夫が生前愛読していた溝口似郎著『無人格者の群像』を読了。大東亜戦争後、戦犯として死刑宣告を受けて服役し、ひとり、ふたりと死刑囚仲間が当日告知で少しずつ処刑されていくという極限状態で185日間を過ごした溝口氏の自伝。結局、彼と数名の部下だけ奇跡的に無罪放免となるわけだが、同じ牢獄に繋がれていた死刑囚のほとんどが数日前か当日、不思議なことに自分の処刑日と時刻を極めて的確に予知したという。

彼らは悲しくも鉄格子の冷たい独房内で生の極限が他動的なものであるところに無限の淋しさと、無限の悲しみの裡に死と真剣に取り組む絶対境に於いてはじめて生の尊厳さを知り彼らの魂と霊をゆさぶり、眠れる霊感を覚醒さしたのではないだろうか、、、、。
(溝口 似郎「無人格者の群像」より)

嘉夫じいちゃんがこれを読んでいたのは亡くなる前、1970年あたりと思われるが、「えらいのう、このひとはえらいひとじゃのう、、、」と何度も感嘆していたと言う。戦勝国主導による一方的かつデタラメな戦争裁判により、輸送部隊長であった溝口少佐は身に憶えのない罪で「戦犯」「死刑」という烙印を押されての収監。明日は我が身か?と精神を四六時中ギリギリと苛まれながらの獄中生活は、肉体的拷問を凌駕するものだったようで「はよう、殺してくれっ!」と懇願する者も少なくなかったとか。
刑の執行を告げられ、刑場へ曳かれてゆく者は「みなさんさようなら。靖国で会いましょう」と仲間に言い残し、見送る者は「海ゆかば」を涙ながらに歌ったのだ。そして絞首刑台の13階段を昇り首に縄がかけられると、泣く子も黙る鬼将校だろうが憲兵だろうが年齢に関係なくほとんどが「おかあさんっ!」と絶叫したという。
たしかに日本軍は民間人や捕虜に対して残虐な行為をしたこともあるだろう。だが、それが戦争。正義も悪もない。勝ちと負けがあるだけだ。俺は首相の靖国参拝には正直、これまでいい印象を持てなかった。でも、あ
の時代を戦場で過ごした多くの人にとって靖国は絶対的な心の拠り所であったし、そこに今祀られている<戦犯>に対する認識も戦争裁判のいい加減さを見るに再考の余地があるのではないか。
原子爆弾で広島・長崎で30万人(俺の親族の大半が即死。骨さえ見つかっていない)、東京その他全国64都市に及ぶ大空襲で60万人もの非戦闘員が焼き殺され、戦争終結後の大陸引き揚げ途中の難民が強姦・殺傷され(これまた俺の親族多数犠牲)、シベリア抑留で40万人が凍死・病死・飢え死にし、一方的に裁かれた戦犯罪(A級&BC級)で1068人もの首が吊られている。もう充分だろ?償いなどとっくに済んでいる。<国>で語るな、何人であろうが個々の人間の尊厳を見つめて欲しいのだ。
雑職主義 (2006.05.30)

突然ではあるが、明日31日より実家「喫茶こばやし」のウエイターに一時復帰することになった。これはパートさんが体調を崩したことによるピンチヒッターなわけで、俺が執筆業を廃業するわけではない。以前サラリーマン時代にもこういうことは何度かあったがその度、出勤前にひと仕事し、会社では深夜まで働き、、、という睡眠時間2、3時間の生活が数カ月続いたもんである。予定では月〜金のAM10時〜PM2時は店にいると思うので、ひやかしにおいでくださいませ。

ちょっと前の日報で、某大学様(ま、ずばり言って徳山大学じゃ。ちゅーぴー梶山の母校でもある)のTVCFコンペで勝利したことを報告したが、いよいよ6月から撮影・編集に入り、7月1日にはオンエアされるようである。4社コンペでしかも採用された2案が両方とも俺の企画&シナリオっつーのは実に気分がよろしい。コピーライターだけやってたんじゃこのように全状況対応型クリエイティブ魂は育たなかっただろう。駆け出しの頃、カメラマン助手、アートディレクションetc、雑食ならぬ雑職主義を叩き込んでくれた古巣プロダクションのM会長にゃ、今は感謝しとる、今は!(当時はいつか殴ったろうかと狙っていたのじゃが。笑)。

目指せ、ハンク・アーロン (2006.05.29)

快食快便は俺の常とするところであるが、今朝の<おつとめ>における一本糞は、2006年度上半期No1間違い無しのバリー・ボンズ級特大ホームランであった。記憶が確かなら、昨年秋に敢行した上関は尾島1泊2日シーカヤックツーリング時、食い過ぎのため夜明け前の砂浜で人知れずブッ放したブツに匹敵する。渓流釣り師達は、30センチを超す巨大なイナワ、ヤマメを「尺もの(一尺=30.3センチ)」と呼ぶ。さすれば本日のそれは「尺余り」ということになろうか。産み落としたあと、「老人と海」のサンチャゴ爺よろしく大仕事を成し遂げた達成感で心地よい浮遊感に包まれることしばし(確かにカラダも軽くなったんだし)。一瞬、記念撮影でも、と思ったが、日光の盟友AKIRAっちであれば、迷わず魚拓ならぬ「糞拓」を写しとるはずである。別れを惜しみつつ多めのトイレットペーパーと共にリリースし、このカンドーを分かち合おうと「おい、オタマよ、、、」とトイレを出たところで俺の恍惚の表情を一瞥しすべて察した彼女、「言わんでよろしい。はよズボンはいてくださいっ!」とな。アイアイサー!!

骨はないけど鋼鉄製?! (2006.05.28)

朝イチで東京のOクンより、「夫婦蛸」の新アレンジがmp3で送られて来る。いやぁこれはマジでスゴイわ。前回の正統派演歌路線はすっかりなりをひそめ、かわって天も地も裂けよとばかり鉄分100%のメタル系絶倫ハードロックになっておる。夫婦蛸転じて「メタル蛸」ってか。ぎゃははははははははー!聴けば聴くほど笑いが止まらんぜ。一体世界の誰がこんなお馬鹿&ウルトラハッピーな曲を思いつくんじゃい。さすがOクン、期待を裏切らぬ男よの。これでNHK紅白出場できなかったらいよいよ日本も終わりだっつーの。歌入れ、乞うご期待!

*写真:朝、たまたま付けたTVに竹村御大が。御健在でいらっしゃったんスね(笑)。

日本沈没 (2006.05.27)

夜の中には知って得をしたと感じるものと、知らなければよかったと後悔するものがある。今日、読んだ本はまぎれもなく後者?いや、とにかくコワイ。三五館から先月でたばかりの古長谷 稔著「放射能で首都消滅〜誰も知らない震災対策〜」がそれ。東海地震が起きれば、かなり高い確率で静岡県にある浜岡原発がメルトダウン(現在でも地震が起こっていないのに炉心隔壁にヒビが発生するほど老朽化著しい)、風下にある首都圏には約6時間で高濃度放射能が到達し、多数の犠牲者が出る、、、、そういった説は随分前から得ていたが、NPO法人「食品と暮らしの安全基金」の古長谷氏が、日本気象協会の元職員、原発技術者、大学の原子炉実験所などの協力を得て調査、シミュレーションした結果は、これまでの俺の認識などまったく甘過ぎるっつーか、まさに未曾有の大惨事だった(この本に紹介されているデータのほとんどが、民間がその気になれば収集・算出できるものばかり)。

たとえば、地震で浜岡原発の沸騰水型4号炉が爆発したとしよう。その場合、東京都だけで635,179人、周辺全体では約191万人もの放射能汚染による死亡者数が予想されている。これが4号炉だけでなく1〜5号機すべてだと東京だけでも2,791,541人になるらしい。もちろん首都圏の機能が麻痺すれば経済的な面だけでも日本全体に及ぼす被害は甚大。円も株もすべてパア。六本木ヒルズはもちろんのこと、合計1000兆円の不動産資産がゼロとなる。これだけでハナシは終わらない。風は常に南西に吹くとは限らず、大阪方面の場合だってある。そうなれば風下にあたる西日本の死亡者予測は約101万人。直線でたった600kmしか離れていないこの広島でも24,870人が命を落とすげな。これはある意味、「日本沈没」じゃないか。俺がこの小松左京の原作本を従兄弟から借りて読んだのは小学6年生だったが、「へっ、そんなこと起こるわけないじゃん」とガキが笑い飛ばせるレベルだった。しかしこれはSFではない。現実味100%の、いわば「想定内」のこと。この件に関し危機感を抱く人は全国でも急速に膨れ上がっており「浜岡原発震災を防ごう!」と呼び掛ける署名運動の<呼びかけ人>には坂本龍一さんはじめ、京セラ名誉会長の稲盛和夫さん、哲学者の梅原 猛さん、沖縄アクターズスクール会長のマキノ正幸さんら著名人も名を連ねている。

「そんな、いつ起こるかもわからないことを毎日ビクビク気に病んで人生が楽しめるかい!」
ごもっとも。ならば、この信憑性の高い警告を前向きに捉え、来るべきXデーに備えて用意をしておこうじゃんよ。この本の第2章では放射能から身を守るための方法が事細かにレクチャーされている。まったく、どこのどいつか知らんけど、一部のイカレた連中が無責任におっ建てた施設の倒壊が原因で人生を台なしにされたんじゃかなわんぜ。好きな時にギターを弾き、ビールを飲む。それが他者の介入を許さない俺のハッピーレギュレーションなり。てなわけで来週いっぱい、我が家は防災準備期間としますです。

*「放射能で首都圏消滅/古長谷 稔著」はアマゾンで手に入るよん。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4883203506/249-0666547-3413119?v=glance&n=465392

スケッチブック (2006.05.26)

さまざまなプロジェクトが同時進行中。アタマの整理が追付かず、メモあるいは業務日報程度では見るだけかえって混乱してくる。そこで思いついた秘策<スケッチブック整理術>。スケッチブックに文字だけではなく、イメージを図案化し併記するというもの。こっちのほうが情報が視覚化されて記憶に残りやすいし、イラストを描いているうちに新しい閃きがあったりする。
名前は失念したけど、某動物フォトグラファーが、ユニークな撮影法をテレビで紹介していた。東南アジアか南アメリカだったか、ウオクイコウモリなる希少種を撮影するにあたり、まずは文献でターゲットの姿、大きさ、習性をじっくり研究。現地に入ってからは現地人のヒアリング情報を元に棲息環境を詳細にチェック。この時、彼は決してカメラを手にしない。そして宿に戻るとやおらスケッチブックを取り出し、自分が撮りたいと思うビジュアルを詳細にスケッチするのだ。イメージがはっきり固まった時点ではじめてカメラを手にし、狙い定めたポイントへ出かける。はたして彼がモノにしたのは、ウオクイコウモリが満月を背に、月光照らす川面へ魚目がけて降下するという、スケッチと寸分たがわぬ写真であった!
フォトグラファーだけでなく、優秀なハンター、釣り師なども同様のイメージトレーニングをすると言うし、ヤクルトの古田も就寝前フトンの中で翌日の試合を1回からゲームセットまでの全イニングを予習するとか。強力で具体的な想念が現実を引き寄せるのでアルマジロ。さぁ、俺も彼らに近付け、、、、るのか?!

被爆の3日後ガレキの荒野に立ち「広島、一番乗りっ!」と、宮武は叫んだ (2006.05.25)

市内中心部某印刷所へデータ渡しに寄ったついでに、広島平和記念資料館東館地下展示室で開催されている「宮武甫・松本榮一写真展〜被爆直後のヒロシマを撮る〜」を見に行く。東京在住の現代浄瑠璃作家、橘凛保さんに「入口に置いてある写真展の無料パンフをもらって、東京に送ってちょうだい」と頼まれていたからなのだが、なんともスゴイ写真展だった。朝日新聞社のカメラマンだった宮武・松本両氏は社の指示を受け1945年の8月と9月に、被爆の惨状を撮影すべく広島入りし、それぞれ100枚を超える写真を残している。戦後の連合国軍のプレスコード(報道規制)により、普通なら没収・消却処分されているところだが彼らは密かにネガを守り通し、占領が終わった52年の夏にアサヒグラフ誌に発表、各方面に衝撃を与える。2005年に広島平和記念資料館が朝日新聞社から両氏の写真提供を受けて今回の写真展開催となった。ちなみに、橘凛保&野澤松也ユニットによる現代浄瑠璃「がれきの中に咲いたカンナの花」は、この時松本氏が写した「がれきの中に咲いたカンナ」(この1枚だけは以前から原爆資料館の出口に展示してあった)がモチーフになっている。
フルブラッド広島人である俺は、被爆写真などそれこそ不感症になるぐらい見てきたが、二人の写したそれは、まぎれもなくジャーナリストの視点で切り取られたもので、一枚一枚に生々しいストーリーが焼きつけられており訴えてくる度合いがまったく違っていた。やっぱりプロたるもの、こういう仕事をしなければならんよ。悲惨な写真にも不謹慎と言われるかもしれんけど「美しい」と感じるものが少なくなかった。このような極限状態においても人はなお、生への執着と他者への思いやりを失わずにいる場合もあるという意味において。捨てたもんじゃないで人間。そしてやっぱり、この地獄を生き抜いた先祖を誇りに思う気持ちが新たに沸き起こり全身の血が沸騰しそうになったス。この企画展は9月28日まで開催されているので時間のある人はゼヒ!無料です。
おっと、昨日の日報にも書いたとおり、橘&野澤コンビとは8月25日に中区袋町「広島市まちづくり市民交流プラザ」でジョイントライブやるからね。俺はもちろん「その男ヨシオ」を歌うけぇのっ。
77才のパンクロッカー (2006.05.24)

クーが朝昼晩と一日3回ペースで「アンパンマン」のビデオを見るせいで、ほぼ四六時中頭ン中をテーマソングが幻聴のごとく鳴り響いている(泣)。登場キャラクターも相当数覚えてしまったし、アンパンマンの似顔絵だって描けちゃうぜ。ううっ、これってあと2、3年続くのかしら?

しかし、原作者であるところのやなせたかし氏を俺は秘かに人生の師として仰ぎ敬っている。若かりし頃、食うや食わずの極貧時代に「カネになるなら」と請け負った作詞仕事で、日本人なら誰でも知っている「てのひらを太陽に」を発表。この歌詞の「てのひらを太陽にぃ〜すかして見れば〜、まっかに流れる〜、ボクの血潮〜」は、精神錯乱状態で懐中電灯をてのひらに当てた時に見えたそれがモチーフになっていると、本人がなにかのインタビューに応えていた記事を見た気がするけど、朗らかな曲からは想像もつかないキケンなエピソードではないか。
そして還暦直前になってようやくアンパンマンが大ヒットし、人並みの生活がおくれるようになったとか。
現在、氏は77才。さまざまな病気を抱えながらも(彼に言わせると「ボクは10コの重い病気を持っている。これがほんとの十病患者だよ!」と屈託ない)常に人前にあらわれる時はボルサリーノ風のスーツとハットでキメるというダンディぶり。2003年末にリリースした人生初のオリジナルソロアルバム「ノスタル爺さん」は、童謡などではなく、毒気たっぷり&赤裸々でほとんどパンクのノリである。

いじらしかったあの人も
面影のこる 片えくぼ
けれども今では孫ができて
おばあちゃん
情ねぇっ!

M-1『ノスタル爺さん』


いつわりの夜は 深く
いつわりの花が 咲いていた
ありのままの 私は
ありのままの 私がこわい

M-12『これが愛だ』

、、、とまぁ、見せかけだけのヤワなロッカーには真似のできないキレ味抜群のレブル腰。え、なんでそんなに詳しいのかって?もちろんこのアルバムを愛聴しているからだよっ。
ジョニ・ミッチェル、、ミクシィ登録、、身体的記憶、、ライブ情報、、 (2006.05.23)

ツタヤで割と新しめのジョニ・ミッチェルのライブDVDを見ていると新しいアイデアがいくつも閃く。思うに日本国内では男女問わず、このような開かれたオトナのスタンスを自然体で出し切れているシンガーソングライターはごく一部を除きほとんど見当たらない。字幕が出ないので歌詞の意味はほとんどわからないけど、言霊の発するイマジネーションが充分に饒舌。

突然だが、あれほど抵抗のあったミクシィに本日登録。話せば浅くて軽いワケがあるので割愛するが(っつーかズバリ言ってAKIRAさんにハメられたわけよの。笑)、要するにこのシステムのことをちょいと誤解してたようだ。ここに登録したからといって、俺のオフシャルサイトになにかの制限が加わるわけでもないんだし、どっちみち俺の情報は随時大公開だからこのサイトの読者諸兄は心配無用でございます。そんなわけで「お友達」には今んことAKIRAさんとアカペラ伝道師である盟友、ゴスカルさんのみ。しかし、この二人だけで異様に濃いのはナゼ?ゆうに100人分はあるな。しかもゴスカルさんには早速熱烈な紹介文をいただいちゃった。ああ、ミクシィっていいね!(笑)。中に入ってみてたまげたぜ、人知れずこのような和やかなコミュニティが形成されていようとは。

クーが歩き疲れてグズった時など、ひょいと肩に担ぎ上げてやる。ヤツがまだ体重10数キロとはいえ、このような芸当はある程度体を鍛えてないと出来ないだろう。そしてふと、身体的記憶がよみがえるのだ。競輪選手だったオヤジも俺が同じ歳くらいの頃これをよくこれをやってくれたな、と。

ライブ情報速報を4連発
*6月18日(日)PM6:00〜/広島市中区加古町「OTIS!」にて、豊田勇造ライブに、梶山シュウと共にゲスト出演。三代目春駒の師匠、豊田勇造ワールドを未体験の方はぜひ!料金は前売り2800円、当日3000円。俺に連絡くれれば、チケット前売り料金で取り置きしておきますんでお気軽に。問い合せはOTIS!/082-249-3885
*8月6日(日)PM8:30〜(予定)/広島市中区流川「スマトラタイガー」にて、Far East Loungeと、作家にしてアーティストにしてミュージシャンでもある盟友AKIRAさん率いるONSENS、遂に広島で夢の共演、っつーか饗宴か?絶対見なきゃソンよ!料金は2000円を予定。詳細は近日アップ。
*8月12日(土)&13日(日)/広島県江田島市「真道山オートキャンプ場」にて開催される「パーカッションキャンプvol.13」にFar East Loungeで出演。垂涎料理も「勝手にバイキング」方式でたっぷりよん。ライブのあとは春駒の「納涼怪談ショー」でも久しぶりにやからすか?
*8月25日(金)/中区袋町「広島市まちづくり市民交流プラザ」にて、浄瑠璃三味線第一人者である野澤松也さん&浄瑠璃作家の橘凛保さんの演奏会にソロでゲスト出演。料金、時間等詳細は近日アップ。

新しいマウス、、、梅雨入り?、、、続・いまそこにある危機、、、 (2006.05.22)

終日執筆。合間に、某デオデオにてMac純正のマウスを購入(これまで約三年間ほぼ毎日使い続けたヤツは昨日ついに天に召された)。最新型はスクロール機能(マルチボタン)、主・副ボタン、アピリケーション機動などの操作が行える、、、、はずなのだが、それはOS X以降のバージョンに限られたもので、俺の9.2では今まで通りのことしかやれんのが哀しい。

今月、広島と高知では、記録的な降水量だったようである。日照不足で野菜の成育にも影響が出始めているとか。もしこれが奄美・沖縄並に早い梅雨入りであるなら、同じようにさっさと明けて欲しい。っつーか、そうなればすでにここらも亜熱帯化してるわけで、どっちみち気持ちが晴れんよなぁ。

夜、某NHKで大震災後の対処法が紹介されていた。これならダイジョーブ!難問解決!などと威勢のいいものだったが、このテの番組でいまだかつて原発倒壊が話題にされないことが腹立たしい。阪神大震災クラスが東海地方を襲ったならば、活断層の真上に建っている浜岡原発(老朽化も著しい)はまず無事では済まない。最近は島根原発もどうやら活断層のすぐ近くにあるらしいとの発表があり、警戒感が強まっている。原発立地の事前地盤調査など、それに関わった俺の友人(彼は上関原発予定地海域)も言っていたけどおそろくしデタラメなのだ。
もし浜岡原発が地震でメルトダウンでも起こしたとしよう。風は多くの場合、御前崎から南西に吹くから、数時間のちに首都圏はすっぽり高濃度放射能に汚染される。そうなれば被害は人口密度の低かったチェルノブイリの比ではない。もちろん相当な年数、原発から半径100kmは人の住めぬゴーストタウンと化す。こんな「当たり前のこと」をマスコミが報道しないのは、ひとえに「考えたくもない」からだとしか思えん。こればっかりは「お困りご近所への妙案」など通用するわけがないのだ。詳しくは下記サイト「ストップ・ザ・浜岡原発」を。東海地震が過ぎるまで、原発を止めておくことを嘆願する署名運動もやっているので、興味あるひとは賛同してほしい。「天災」はどうしようもないとしても「人災」を防ぐ手立ては残されている。くどいようだが無関心こそ危険。

http://www.stop-hamaoka.com/index.html

毎日が冒険 (2006.05.21)

実家の庭で遊ばせている時、ちょっと目を離したスキにクーが蚊取り線香をさわり、右てのひらに米粒ほどの水膨れができる。彼にとってはこれが人生初の火傷。これからは痛かったり嬉しかったり気持ちよかったりする「初物」といろいろと出会っていくんだなぁ。丸大ハムのCMじゃないが、わんぱくでも、少々アホでもいい、逞しく育ってくれよん。
思い出し笑い、ひとつ (2006.05.20)

昨日のクリエイターズパーティー。プロジェクターで会場の壁面に映像を写していたのだが、その壁際の席に、禿頭の紳士がいらっしゃった。もうこれでわかるよね?ビートの効いたトランス系音楽とシンクロして目まぐるしく移り変わる最先端ハイパー映像が、彼の「頭部スクリーン」にも綺麗に投射されるもんだから、それに気付いた数人のオーディエンスは笑いをこらえようと切腹でもしているかのように身悶え。いや、彼は毎日愛情をもって手入れされているのであろう、スクリーンのキメが相当に細かく解像度も、、、、っつーか、マジ、ハレーション起こしてました(笑)。俺の隣にいたT女史に「あれ見てごらん」と耳打ちすると、「笑っちゃいけません!」て叱られちゃいましたとさ。
クリエイターズクラブ (2006.05.19)

所用で吉浦へ。天応を過ぎたあたりから、どんより立ち篭めていた雨雲が少しずつ吹き払われ、時々陽も差し込んでくる。広島でもここらへんは他の地域に比べ雨が少ないのかも。滅入った気分も、海を見たとたんニヤけてしまうんだにゃ。俺って単純だにゃ。

夜、市内某所にて開催された、県内で活躍するクリエイター達の懇親会に参加。主催はSOHO's代表のG女史。なるほど、冴えてる彼女が呼び掛けただけあって、ユニークきわまりない人たちばかり約50名が集結。おかげでワクワクするような時間が過ごせた。新しい縁も生まれそう。途中、ゲストで演奏した3ピースのネオサイケ風のバンドがえらいかっこよかった。ギター&ボーカル、ベース、キーボード(?)でドラムは打ち込み。モニター2台をステージ両脇に置き、演奏とシンクロさせた映像を流す。どういうしくみか知らないが編集済みのビジュアルと斜め後ろから撮影されたリアルタイムの演奏シーンが交互に切り替わり、時に融合し、非日常的な浮遊感を醸し出す。演奏だけでも勝負出来ると思うレベルだが、こういうやりかたも新鮮だった。また見てみたい、と思ったバンドは広島では久しぶり。
ダ・ヴィンチ・コード、、、プロフェッショナル、、、、 (2006.05.18)

そろそろ公開になる映画「ダ・ヴィンチ・コード」に対し「カトリックを敵視するもの」として一部カトリック信者らが配給元であるソニーの製品の不買運動を呼び掛けているそうな。こういう「我が神を侮辱した」的な声をあげること自体、かえって自らの神を貶めていることに気付かないのだろうか。完全無欠の神であるなら、人間ごときの誹謗中傷などヘのカッパ。あれはダメ、これはイカンなどと戒律を人間に押し付けたり、ジャッジしたりもしないハズ。神との契約?人間なんかと取引するかっつーの。神はもっと凄いんだぜ。俺は常に神の気配を感じている。そしてそれは色んな名前で呼ばれている。

来月から自転車の運転に関する罰則が強化され、ケイタイで通話しながら、あるいは傘を差しながらの片手運転にも罰金が課せられることとなる。気持ちはわかる。特にこの広島においては自転車乗りのマナーは世界最低レベルらしい。我が家周辺は皆実高校、県立工業高校、進徳女子高など学び舎が密集しており、登校時間ともなればそれはそれは危険きわまりない自転車チキンレースが毎日のように繰り広げられている。片手運転どころか両手離し、信号無視、逆走、メール打ち運転は言わずもがな、中には荷台のない自転車のサドルに後部の人間を座らせ、運転者自身は立ち漕ぎという上海雑技団的パフォーマンスを披露する猛者もいる。これで事故を起こさないわけがない。
しかしな、俺のようなプロフェッショナル・チャリダーは特例とすべきだ。なんなら免許制にしてくれてもいい。傘を差しての片手運転で、坂道発進、クランク、急制動、8の字走行、一本橋など、ノーミスでクリアする自信がある。だいたい、雨が降った時のライブなど、ギター、ウクレレ、機材一式エトセトラ合計10数kgを背負ったまま片手傘差し運転で会場入りする俺じゃぞ。ほとんど<ハウルの動く城>だっつーの。そのうち空を飛んだりしてな(笑)。

*写真:大胸筋でアンパンマン人形を二つも挟めるワタシ。。自転車片手運転なんぞ朝飯前じゃ!

周防大島 (2006.05.17)

本日付けの某新聞で、山口県は周防大島でポットキャスティングラジオを開局している人物を知る。どうやら俺の高校の後輩のようだ。ラジオだけでなく「島スタイル」なるフリーペーパーも発刊しているらしい。ヤバイなぁ、読んでみなきゃわからんが俺がこれから創刊しようとしているモノにコンセプトが似てるかも(笑)。早速、新聞掲載のアドレスをたよりに彼にメールを送るとすぐ返信がきた。そのフリーペーパー、広島市内では広島そごう近くの山口県アンテナショップに置いてあるそうな。早速明日にでも取りに行ってみよう。

俺は周防大島には、20才の時に沖合い2キロに浮かぶ無人島「片島」でサバイバルキャンプをして以来、妙な因縁を感じている。一番好きなジャーナリスト、宮本常一はここの出身だし、冴えてる作家、佐野眞一も同じく宮本に多大なる影響を受け、大島に隣接する沖家室島のことをレポートした「大往生の島」を上梓している。また、敬愛する反骨の報道カメラマン、福島菊次郎さん(なにせ出版した写真集が某政治団体の逆鱗にふれ家に放火されたり暴漢に襲われて負傷もしている)は一時期大島で自給自足生活をやっており、俺は一宿一飯の恩義にあずかっているのだ。バイクやクルマでツーリングした回数も100回はくだらない。沖縄に次ぐ「アロハシャツ着用率」の高い島であることも気に入っている(ここは戦前から多くのハワイ移民を輩出してきた)。いずれはかの地へ掘建て小屋でも建て、シーカヤックのベースキャンプにする目論見さえあった。ううむ、なんだか知らんが胸騒ぎがするのう。

クーと一緒に風呂入ると、ヤツは俺のチ*ポコを「ん!」と指差し確認するようになった。まだ握ってみる勇気はないらしい(笑)。

リアル・ブルーズマン (2006.05.16)

昨年秋まで5年半に渡って担当した2時間生放送のFM番組の中で、本を紹介するコーナーがあった。週一回一冊のことであっても、放送までに読んだ本がコーナーで取り上げるに値する内容でないことも少なくなく、そん時ゃ必死になって代わりの本を探し、オンエアに間に合うよう夜を徹して読破したこともしばしば。しかし、そういう読み方をしたものは案外記憶に残らないものだ。今週はそんな本の一冊「101歳、人生っていいもんだ。/ジョージ・ドーソン&リチャード・グローブマン」を再読。1898年、米国テキサス州マーシャルに生まれた、黒人、ジョージ・ドーソンの101年(!)に及ぶ人生を、白人の小学校教師のリチャードが聞き書きした本。ジョージ翁を一躍有名にしたのは、98歳になって読み書きを勉強しはじめたことがニュースでとりあげられたからで、それまで彼は文盲だった。幼少から青年期にかけて彼が過ごしたテキサスでは、まだ相当に黒人は虐げられており、K.K.Kによるリンチも日常茶飯事。彼の親友も白人女性レイプの濡れ衣を着せられて裁判にもかけられず公衆の面前、しかも保安官立ち合いのもとで縛り首に処せられている。レストラン、列車、トイレすべてが黒人白人別々に分けられるという、そんな白人優位主義社会の中で彼はひたすら「目立たず、逆らわず、不正をせず」を決め込み、20世紀を生き抜いて来た。少しのミスが取り返しの付かないことになる状況下で、文字を読めない彼は全身をセンサーにし、常に「最適な選択」をしてきたという。ほかにも「なにか落ち着かない気分」を重視することや、健康法に関しても「食べたいと心が思った時にそれを食べるだけ」というのが興味深かった。人間、文字に頼り過ぎるとかえって真実を見抜くカンや記憶力が鈍ったりストレスが増えてしまうのかもね。やっぱ、<心の声>が一番信用出来るってことスか。ところでこの本が出版されたのは2001年。彼がまだ生きていれば108歳になる。一世紀の人生ってどんなんじゃい?

*写真:BGMはロバート・ジョンソンがハマる。彼が歌っているような旅から旅へのホーボーマンの暮らしを、ジョージは実際にやっていたのだ。ブルーズ、レゲェ、沖縄ミュージック。俺の魂を揺さぶる音楽は、哀しみを突き抜けた向こう側から発せられる、命の高笑いだ。

たまにはヘコむ (2006.05.15)

とあるボランティア仕事でこの数カ月、あれこれ奔走してきたのだが、あともう一歩でフィニッシュというところで思いもよらぬ事態が勃発。俺に落ち度はない、いや、あるある大事典なり。とにかく引き受けた手前、無事業務をやり遂げる責任は歴然と存在する。ああ、世の中うまくいかんなぁ。不思議なことにノーギャラ仕事ばかり、だっせぇトラブルに見舞われている。「マーフィーの法則」で似たようなのがあった気がする。ふぅ〜、マジでまいったぜ。もう少し暑けりゃベランダにハダカで出てヤケクソ踊りでもするところ。こりゃもう笑うしかねぇな。わははのは。もひとつおまけにうひょひょのひょ。

関係者代表に詫びのメールを打ったあと、気を紛らわせようと昨日買った、石川直樹著「いま、生きているという冒険」を読みはじめる。北極〜南極間人力踏破、世界七大陸最高峰登頂の最年少記録を塗り替えるなど若くしてさまざまなエクスペディションをこなしたこの冒険家には以前から興味があったけど、著作を目にするのはこれがはじめて。4分の1まで読み進んで妙なことに気付いた。まず、字がやたらデカイ。そしてほとんどの漢字にフリガナがふってあり、しかも文体は「ですます調」。イヤな予感に本の帯をしげしげ見たならば「中学生以上のすべてのひとへ」とある。っつーか完全に中学生向けじゃん。まぁ内容が面白いので許すけど、俺は小学生の頃からもっと複雑でフリガナ無しの難しい本をいっぱい読んでたがな。だからといってエライわけじゃないんだがな。むしろアホだがな。いいかげん誰か止めて欲しいんだがな。♪ボクらはみんなぁ生きている〜、生きているから悲しぃんだ〜、、、、今夜の俺は壊れている。

*写真:俺の愛車初公開。ダイハツ・アトレー・クラシック4WDターボちゃんです。タイヤは通常の軽より一回り大きいヤツを履かせているので車高が高く見張らし良好。シーカヤックが積めないのが難だが、プチライブツアーでは後部座席をフルフラットにするだけで簡易ホテルに変身するなど使い勝手はサイコー。ただ「春駒さんには可愛い過ぎて似合わない」としょっちゅう言われます。夏に向け、ハンドルをウッドに替えようかと思案中。

備えあれば憂いなし (2006.05.14)

ときどき覗いている某サイトからのリンクで、奇妙なブログに遭遇。そこには昨年3月、なにかの病気で臥せっていたある男性が、臨終間際に見た<2006年に起こる大災害のビジョン>を、奥さんが聞き書きしたものが紹介されていたのだが(いわゆるチャネリング。男性はその約一週間後の2005年3月29日に死亡)、これがもしホントに一年前の情報であるなら、すでにいくつかの予言(春先に各地で頻発したクジラの大量打ち上げ事件、石油の高騰など)が適中していることになる。まったくこのテの情報は、信じるに値する裏づけがゼロだし、俺の知る限り当たったためしがない。それに日本全国、安全な場所などありはしないのだし。よって興味ない人はここから先は読み飛ばしてくだされ。要約すると、、、

2006年6月に東京、神奈川、千葉、茨城が大震災に見舞われる。神奈川では、1495年、海岸からおよそ600m奥に位置する鎌倉大仏を押し流したあたりまで津波が押し寄せる。この期間、極力エレベーターに乗るのは避ける(まず救出は不可能)。富士山登山もやめる。地震が来る時期を皇族は直前に把握するので、彼らが休暇を理由に東京を離れたら(皇太子一家の移動先はおそらく那須)要注意。地震後、夏は酷暑となり衛生状態が悪く感染症が蔓延。消毒用エタノールをスプレー容器に移し、外出後は必ず手にスプレーしてから部屋に入るよう心掛ける。品薄になるので早めに入手しておく。アウトドアの浄水器も役に立つ(雨水をろ過)。また翌2008年の冬になっても国内の食糧・燃料不足は解消されないので備蓄しておいたほうがいい。暖房器具としては炭が見直されるので(他は手に入らない)七輪も用意しておく。炭は部屋の四隅に置いておくと感染症の菌の力を弱める効果もある。
皇室の動きは下記でチェック可能。
 Yahoo!News 「皇室関連情報」
 http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/imperial_family

とまぁこんなものだ。原発がどうなるのか言及していないのがヘンだが(奥さんもそう思っているフシがある)、どっちみちいつかは地震がくることを考えれば、これくらいの準備をしておいても損はない。俺ならこの備蓄ラインナップに「缶ビール」を加えるがね(笑)。この予言がはずれたら?そん時は「デタラメ言いやがってこのアホッ!」と大笑いすればよろし。っつーか、正直言ってこんな情報にゃうんざりしている。関東には俺の弟や大切な友人がたくさん暮らしているんだ。デマだと割り切りたいところだが、皇室の動きだけでも毎日チェックするつもり。くどいようだが、それが明日でも10年後でも、備えあれば憂いなし。
邪道こそ正統 (2006.05.13)

昨夜の喫茶こばやしスタジオでの独り稽古で、左脚を痛めたようだ。膝上の外側の筋。階段の昇りはいいが下りになると全然ダメ、力が入らん。先週も同じところをやった。さすがに気が滅入る。

昼過ぎから夕方までマイアミスタジオに籠りひたすらリゾネーターを弾く。勇造師匠の「ブルーズをやろうぜ、三浦ふる」をオープンG・スライドバージョンにアレンジしてみるとカッコイイのなんの。これなら人に聴かせられるレベルだな。根っからのブルーズフリークからしてみると、俺のは完全な邪道。でもブルーズだって生まれた時は邪道どころか、ほとんど「悪魔の音楽」だったんだから、全然気にしまへん。

夕方道場へ。右脚の痛みが悪化する可能性もあったがまったくの杞憂であった。組手をした兄弟子S氏からキメられる関節技のほうが何十倍も痛く、脚のことなんかふっとんじまったぜ(笑)。痛みをもって痛みを制すってか?!

気分は「パリ、テキサス」 (2006.05.12)

終日雑事に追われる。ふと「瀕尿気味のフランス人=フランソワーズ・モレション」いう名を思いついてひとり笑い。

夕方、ちょっと早めに仕事が片付いたので、実家のマイアミスタジオに籠り、リゾネーター<デルちゃん>をブイブイ鳴らしていると、またまたあっちゅー間に数時間が経っていた。昔っからリゾネーター&ボトルネック使いのブルーズマンが好きだったけど、自分で弾いてここまで気持ちエエとは知らなんだ。ブルースハープと同じで、テクニックよりセンスの楽器(つまり自分はセンスがいいと言うております)。コード?ペンタトニック?知るかそんなもん。心のまま本能のまま、好きなようにかき鳴らしゃよろし。それにしてもメキシコ国境あたり、灼熱の荒野にぽつねんと立つ埃っぽいオープンカフェのベンチでこいつを弾いたら、気分は「パリ、テキサス」でっしゃろな。くどいようだが、この楽器を発明したドえらい野郎に慎んで「ノーベル平和てなもんや賞」を。

数日前「夫婦蛸」「ヨーデル潮干狩り」のアレンジサンプルが東京のOクンより送られて来た。一日何度も聞き直して、俺もアイデアを膨らませている。どっちもよく出来ているが数カ所にOクンならではのキラリと光る見せどころがあり、これを全編活かしたほうが面白い気がしている。なにせ彼はもともとメタル系ロッカー。鉄分いっぱいのメラメラしたフレーズを演歌に融合させたら、、、世界初「メタル演歌」が誕生する(笑)。

一方で、まるっきり完全ソロ弾き語りのレコーディングも人知れず進行中。俺の宅録技術じゃ、しょぼい音でしか録れないだろうが、やるだけやってみるべ。ブルース・スプリングスティーンが一年前に出したアルバム「デビルズ・アンド・ダスト」みたいなエアー感に近づけたい。
Boogie 太三 (2006.05.11)

昨年5月、倉敷のライブハウス「クッキージャー」で共演した、東京在住のロックンローラー、平井<Boogie>太三氏が2ndアルバム「SAME OLD NOISE」をリリースしたので早速購入。収録された全8曲のほとんどがアコースティックギター1本だけで演奏されており、そこに彼のちょっと神経しつっぽいブルージーなボーカルな乗っかって、実にいいカンジ。転がり続けるとは、こういうことさ。いつか広島に呼びたい。
オリジナル戯曲 (2006.05.10)

不燃ゴミ、粗大ゴミ、産業廃棄物などが見渡す限り地平の果てまで埋めつくす無人の荒野「ドリームアイランド」。その一角、ゴミが小山状に積み上げた頂に、巨大なコピー機が、斜に傾いで据え置かれている。と、突如不思議なことに、夕陽を背にしたコピー機が「ウィイイイン」とうなりをあげ、なにかしらデータが転送されてくる。しかも、排出口から出て来たのは紙ではなく、生身の人間だった。その男、どうやら記憶の大半を喪失しているらしく、あたりをきょろきょろと窺いながら、ここがどこで、自分が誰で、なんの目的でここに立っているのかに思いを巡らす。と、そこで再びコピー機がいななき、第二、第三の人間が、、、、

そんな、オリジナル戯曲を数年がかりで構想中。テーマは、宇宙の起源と終焉。そしてそこにつかのま関わる人間の使命。記憶を喪失した5人の男女が互いの目を通して少しずつ後天的なパーソナリティを取り戻しながら、ありえない空間だからこそ許される自由なイマジネーションで時と場を検証し、夜を徹して<現状>の整合性を構築しようとする。そしてふたたび東の空が朝焼けに赤く染まる頃、コピー機が低く唸り、5人の目の前に最後の物体が姿を現す。
生命の根源論争にまったく新しい視点を投げかける、驚愕の結末とは?!、、、、、、、、、まだ考えておりません(笑)。
ドタバタな一日 (2006.05.09)

所用のため、ある時はクルマで、またある時はチャリや駆け足で、終日県内を奔走。しかし、暑い暑い!これでイッキに夏かと思えば明日からはほぼ一週間長雨が続くげな。

このところ少〜しヒマをこいていたのだが、なんだか数カ月先まで相当なハードスケジュールになりそうな雲行き。忙しいのはとてもいいのでござりますですよぉ、どんどんかかって、お・い・で・くださいませ〜、へぇ、一生懸命のおつとめでございますよって(桂枝雀風に)。

そんなドタバタの最中、ふいに新曲「ニャン太のブルース/ニャウバディ・ニャウズ」っつーのが降りてくる。 リゾネーター<デルちゃん>を使ってエルモア・ジェイムスっぽくやるつもり。
大相撲夏場所 (2006.05.08)

目覚めると、スッキリ風邪は抜けた気配にて、終日執筆に勤しむ。

昨日から始まった大相撲夏場所。エストニア出身で197センチ172キロの巨漢・把瑠都に入幕二日目で土がつく。ブロンドヘアで5カ国語に堪能。たまげることに酒場の用心棒の経験もあり、先場所においては十両で全勝優勝を果たした超異色の怪物なれど、カラダがでかくパワーがあるだけじゃ幕内では通用せんのですな。昨日把瑠都に負け、今日初日が出た山口県出身、豊真将もこれからが楽しみ。相撲といえば、曙がK-1やHERO'Sで毎度醜態をさらしているが、彼はなぜ相撲の突っ張りや張り手でいかんのかね?慣れないグローブなんかはずしたまえよ。そうすりゃ摺り足が活かせるし彼の体重がうまく掌に乗り、凄まじい破壊力を生み出すと思うのだが。それを無視し、いわゆるキックボクシング流の打撃をやらせてもダメざます。日本武道と西洋式の格闘術は、根っこのところがまるで違うんじゃい。などとブツクサ言っておったら、結びの一番で若の里が朝青龍に勝っちゃっいました。相撲、すご〜〜〜〜〜〜く、おもろいよん。

なんの花だろう、夜になると裏庭(比治山)の方から月下美人にも似た濃密な香りが漂ってくる。おおっ、早くもムシの声も。もう、初夏でしょか?

*写真:気品と風格を備え、雅びかつダイナミックな古き良き大相撲を今に継承&体現している力士といえば、やはり琴光喜ではなかろうか。そういや昔、近所に彼に顔も体格も酷似した人が住んでいた。しかも女性(笑)。

瀬戸龍介 (2006.05.07)

全身の倦怠感と発熱。周りに風邪ひきが多いので用心していたのだが、昨日立夏ということに気を良くし、肌寒い雨の中、アロハ+半パン+ビーサンで散歩したかのがまずかったのか。傘は差していたけど目的地に着いた頃はかなり濡れてしまい震えがきた。ホンマにアホですな〜。

10代後半だったか、AMラジオで「龍介の独り言」という番組をよく聴いていた。パーソナリティはミュージシャンの瀬戸龍介さん。アコースティック系の弾き語りの人だったけど、日本のシンガーソングライターのような四畳半的湿っぽさや俺がもっとも嫌いな卑屈さがまるでなく、曲のモチーフはアメリカをグレイハウンドバスで旅した時のダイナミックな爽快感や、まったく逆に華厳の滝を見た時の精霊への畏れだったり、とにかく「洋の東西なんて関係ない。カンドーしたことはなんでも歌っちゃうぜ!」みたいなヌケの良さに惹かれたものである。そんな彼が昨年エッセイ「新しき旅立ち/日新報道」を出したことを知り、取りよせて読んでみた。60歳を目前にして、彼はやはり彼のままだった。ぶきっちょだけど変わらないことに価値がある、そういう場合もあるのだ。そしてあの時のラジオのように、俺の肩を気持ち良く後押ししてくれた。ありがとう。
夢想家がゆく (2006.05.06)

オタマがツタヤで借りてきた「ビッグ・フィッシュ」を観る。奇想天外なホラ話ばかり聞かせる父親と、それを成人してからは鬱陶しく感じていた息子が、父親の病状悪化を機に少しずつ互いの心の溝を埋めていくというストーリー。しかし、そこに描かれていた父親のエピソードは他人とは思えぬほどかなり俺と重なる部分が多く(一例をあげてもいいのだが恥ずかしいのでヤメ)、のめり込み過ぎたせいかラストでは涙腺が大決壊。
「現実としっかり向き合え」「夢でメシが食えるか!」「いつまでたっても甘チャンじゃのう」、、、、物心ついてから、オトナたちから何度このセリフを浴びせられたことか。でも今俺は、ガキの頃思い描いていた夢をほぼ実現している。なんという誉れか。だから毎日が楽しゅうていけん。これからも夢想家街道まっしぐらじゃい。それにしても、ここまで泣けるたぁ、劇場で見なくてよかったぜ。

*写真:夢想家近影

トレーニング日和、、、亀田兄弟、、、 (2006.05.05)

気候がよくなったせいもあって、カラダを動かすのがすごく楽しく気持ちいい。っつーか、もっと痛めつけたいほど。メシ食う前に腕立て伏せ、ビール飲む前に腹筋、風呂入る前にスクワットという具合。ウエイトトレーニングをばんばんやってた時は大胸筋の盛り上がりの方が目立ったが、今は広背筋がキングコブラ状態でアピール度が大きい(誰に見せるんスか?)。体重は63.5kgとほぼ20年間変化なし。どこまでいく、俺の原始力。

夜、亀田兄弟の試合をTVで見る。兄貴の興毅の素晴らしいファイトの一方で、弟、大毅の対戦相手はあまりにもデキが悪くシラけた。その昔、浪速のロッキーこと赤井英和が再起をかけて闘った相手、大和田正春などはまさしく「かませ犬」だったけど(結局赤井は自信をつけるどころか大和田に脳挫傷を負わされ引退)、今でもこのような役どころは存在するのかな?亀田兄弟のレベルの高さは大いに認めるが、もう少し実力に似合ったカードは組めるような気がする。
亀田興毅以外で、見てて負ける気がしなかったのは、元WBA世界Jr.フライ級チャンピオンで13度の防衛を成し遂げた具志堅<カンムリワシ>用高。彼の戦いっぷりは格闘技なのにまるでモーツァルトの「ディヴェルティメントK.136〜第一楽章」ような気品と軽快さがあった。亀田の世界戦が早く見たいね。

*写真:GWスペシャルピンナップ『横尾忠則的・和服の日傘美女』ってか、、、、ぐえっ、マジ気持ち悪いよの。

祭りの本質 (2006.05.04)

午前中、執筆。
午後、家族+甥っこ直樹のメンバーで千田町の中区スポーツセンターへ行き、一時間ほどバドミントン。

某フラワーフェスティバルもかなりの人出で賑わったそうだが、俺は去年初めて、ラジオDJの公開放送というスタンスでこの不毛なイベントに参加。んでもって、今年は満30歳じゃげな。この祭りがスタートしたあの頃俺は中学生だったが、妹と弟を連れて行き、しょうもないパレードが延々と続くだけの退屈さに「なにが、ふ・れ・あ・い・じゃい!」と毒づいたのをおぼえている(笑)。

祭りっつーもんはのう、まずは<バイオレンス>ありきじゃろうがい。むき出しの生と生、あるいは性と性のぶつかり合いが命の火花を散らすことではじめて、刹那の美、時空時間を共有することの連帯感が産まれるのである。こんな去勢され消毒され管理されまくったフェスティバルもどきが、そのようなプロセス抜きでいきなり「ふれあい」を口にすることの不謹慎さ。リオのカーニバル、スペインの牛追い祭り、諏訪の御柱祭の健全さを見よ。参加者が「もうこのまま死んでもかまわん!」というレッドゾーンに突入せずして祭りを語る資格はない!、、、、、、、おそろしく可愛げのないガキだったのは百も承知している。妹、弟も、拳を握りしめ怒りに体を震わせる不思議な兄をポカンと見上げていた。だが、その無垢だけどやや屈折した童貞の目は、この祭りのウソを見抜いていたのだ。って、誰がそこまで怒れ言うた?わはははのは。明日も天気いいそうだから、クーを連れて行ってみるかフラワーへ(爆笑)。

*写真:最近、ベランダから通りに向かって意味不明の雄叫びをあげることに楽しみを見い出したクーおぼっちゃま。しかも、ケツをかきながら。

人間力 (2006.05.03)

午前中、オヤジ、オタマの3人で海田の山中にある墓(オタマの御先祖さん)の掃除を兼ねてのタケノコ狩り。周囲がグルリと竹林なもんだから、この季節、放っておくと墓がタケノコに突き上げられてひっくり返される恐れがある。しかし、一週間遅かったようで、近所の人のシワザだろう、すでに20カ所ほどタケノコが抜かれた跡があった。ありがたいやら悔しいやら。諦めきれないオヤジは、地面に顔を擦り付けるがごとく執拗に草をかき分け、わずかに顔をのぞかせていた数本をゲット。俺も墓の真ん前にひとつ発見。

それにしてもオヤジ殿、粘り強さといい、人間ドリルみたいなシャベルさばきといい、食える草や品種不明の柑橘類を見つけたらすぐさま口に放り込む野性味といい、昭和ヒトケタ世代のエゲツないまでのパワー全開で圧倒されまくる。それにひきかえ俺も含め若いヤツらのだらしなさときたら、こりゃ日本滅ぶでホンマ。
松田優作フォーエバー (2006.05.02)

夜、某NHK教育TVにリリー・フランキー氏が出ており、松田優作論を熱っぽく語っていた。そうとも、思春期の俺も(ま、今も思春期っちゃあ思春期だけど)リリーちゃん同様、彼から多大な影響を受けていたのである、っつーか、たいへんなコンプレックスを植え付けられたモンブラン。最たるものは「背の高さ」である。哀しいことに170cmに1cm足りない俺は、185cmの氏の存在はそれだけで嫌味であった。まずその身長ありきで、すべての魅力は語られるのである。「太陽に吠えろ」で打ちのめされ、公開中の映画「遊戯シリーズ」のスクリーンになけなしのこづかいすべてを注ぎ込んで食い入り、「探偵物語」のビデオを持っている友人宅に厭がられるほど通い(当時我が家にはビデオデッキがなかった)、、、、、しかし、無い物ねだりばかりしてもいられない。ならば、別のファクターで勝負したる。てなわけで、音楽、武道エトセトラ、ここまで俺がシブトク燃え続けていられるのは、常に「松田優作が見ている」と意識しているからこそ。優作っち亡き今、彼よりすでに4つも年長になってなお、ちっとも距離が縮まった気がしないけど、勝負はこれからだ。勝手にライバル、これが俺の原動力なのさ。

新しいストーリー (2006.05.01)

終日執筆。しかし、なんという暑さか。気がつけばパンツ一丁になっていた。

昼過ぎ、東京のサウンドコンポーザーOクンから、頼んでいた「夫婦蛸」「ヨーデル潮干狩り」のアレンジの途中経過報告。連休明けにはmp3でサンプルが送られてきそう。また、ほかの曲に関しても彼の方からいろいろとアイデアが。
俺の生涯ベスト10に入っているPANTAのアルバム「クリスタルナハト」は、それまでのロックの概念を打ち破る斬新なアイデアに満ちあふれており、リリースから20年経ったというのに今聴いても全然古くない。彼がそれまでの「頭脳警察」でやっていたようなアプローチではこうはいかなかった。思うに、自分の中にはないアレンジセンスを信頼出来る他人に求めた結果と思う。殻を打ち破り、見たこともない地平に立つには勇気がいる。最初から完成した絵が浮かぶようなものでは、それが音楽でもデザインでも俺は満足しない。
とかいいながら、一方ではごくシンプルな、いわば「素うどん」のような音源もたまらなく好き。こっちのほうは独りレコーディングでやってみようと思っている。こういう両極端なことを俺は平行してどんどんやっていきたい。

夜、だしぬけに曲と詞が降りて来る。音楽でも、広告業務でも、武道でも「これでいい」というピークポイントには永遠にタッチダウンできないであろう。作品は作った時点で終わってしまう。だからまた次のステージ「新しいストーリー」を目指すのだが、それはまるで虹のように、近づく程に求める程に遠ざかる。そんなもどかしさと新しいことに挑む高揚感を表現したかった。

『新しいストーリー』

なにもかもが通り過ぎて
またひとりになった
たどりつけないもどかしさに
戸惑っているけど
一方的に交わした約束は
明日を生き抜く勇気
まだまだ終われない、大丈夫さ
一緒に来てくれるかい?
騒がしい俺のギターよ

 空を見上げて
 風を感じて
 今、はじめよう
 新しいストーリー

それがどんなに素晴らしい場所だったとしても
それがどんなに愛おしい人だったとしても
時の流れ止める呪文は
神様だって知らない
だからまた歩いて行けるのさ
一緒に歌ってくれるかい?
騒がしい俺のハープよ

 空を見上げて
 風を感じて
 今、奏でよう
 新しいメロディ

彩りをなくしていくこの世界で
バカげた夢を描き続けよう
終わらない夏を信じて
まだ見ぬ友よ世界よ
待っていてくれ、必ず
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