午前中、某企業の会議場にて撮影&取材。夕方、その取材分の原稿をアップ。すぐクライアントにメールで確認してもらおうかとも思ったが「どうも原稿が早過ぎる。春駒さん、実はヒマなんじゃないの?」と思われるといけないので、一晩寝かすことに(笑)。 でもまぁ、これで某季刊誌春号の取材も原稿も完全決着じゃの。今夜は独り打ち上げでもするかの。誰か付き合わんかの?
ところで、昨日の新聞だったか、山口大学の試験問題が掲載されていて、気分転換を兼ねて「国語」に挑戦してみたけど、漢字の読み書き以外は集中力が持たなかった(笑)。っつーか、例文にしてもなんだってこんなに「虫食い問題」にする必要あんの?文章をここまでズタズタにして、「適切な語彙」だの「主人公の思い」だの、それこそ問題を出す側の勝手な解釈だっつーの。その昔、ラジオのゲストに遠藤周作が出ていて、自分の作品「海と毒薬」が試験問題にされていることに、彼はものすごくハラたてていた。「一部分だけ抜粋して、作者の意図もへったくれもあるか!これは文学に対する最大の冒涜だ」と。 俺は10数年前、日本でトップといわれている某大学の同窓会の記念冊子編集をやったことがある(大手広告代理店D社経由の仕事)。卒業生のほとんどは超有名企業役員だったり政治家だったり。そんな彼ら十数名の寄稿文をリライトする担当が俺だったのだが、それを読んで唖然とした。まともな文章などほとんどない。それを高卒でしかも在学中まったく勉強しなかった落ちこぼれ(俺のことだよ)がリライトするんだぜ。この一件で、いわゆる一流大学なんてものが所詮、こけ脅しでしかないことがよく理解できた。だいたい中学、高校と6年も英語を勉強して成績よくてもちゃんと話せるやつはほとんどおらんではないか。これじゃ学問じゃなくただのクイズなり。創造力など量れるわけがない。いや、大学が不要と言っているのではない。大学へ入るための「選別法」に問題があると言いたいのだよ。学ぶというのは、本来はとても尊いことのはずだ。入れるより、卒業を難しくせぇや。是非とも生きた学問を。
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